無敵の天敵
彼岸花
前編
蝋燭の明かりを頼りに、夜の村を歩く。
わたしは夜目が利く方だとは思うけど、あくまで人間の範疇。新月で真っ暗な村を歩くのは少し辛い。木で出来た村の家々の壁に手を付けながら、ゆっくりと進まねば転んでしまうだろう。
だけどのんびりしていたら、村の外から忍び込んだゴブリンとかに襲われるかも知れない。最近そんな話はないのだけれど ― あるのに夜中一人で出歩く奴は、間抜けか、或いはそういう願望持ちの変態だけだ ― 、最初の一人は『そんな話』がない時に襲われるものである。早々と通るに越した事はない。
生まれてから十四年間過ごし、頭に刻み込まれたこの村の地図を頼りに出来るだけ早足で進んで……わたしは、この村唯一の『空き家』に辿り着いた。
空き家があるのは、村の南端。南に広がる大きな森に隣接するように建っている。周りに他の家はなく、その空き家だけがぽつんとある状態だ。手入れはあまり行き届いてなく、壁や屋根が夜でも分かるぐらい老朽化している。
わたしはそんなオンボロ家屋のドアの前へと向かう。息を吸い、吐いて、それからコンコンとドアを叩く。
しばらくして、家の中からギシギシと板を踏む音が聞こえてきた。足音はわたしが立つドアの方に近付いてきて、やがてドアが開かれる。
扉を開けた、普段は『空き家』であるこの家の中に居たのは若い男の人だった。
背丈は、十四歳であるわたしより少し高いぐらい。顔立ちはあどけなさがあって、丁度わたしと同い年か、ほんの一~二歳年上な感じがする。髪はこの辺りでは珍しい黒色で、ちょっと興味を惹かれた。
彼が着ているのはラフな麻の服と、獣皮のズボン。安物、というほどじゃないけど高価でもなさそう。一般的な市民の格好という感じだ。
腰には剣が装備されていたけど、その剣も普通のもののように見える。普通というのは、つまり彼の背丈にあった大きさという事だ。彼の年頃で冒険者をしている人も、珍しくはあっても皆無ではないので、恐らく特注品ではなく市販品だろう。
「おや、こんばんは。何か用かな?」
そしてちょっと甘ったるい、優しい感じの声。
……なんというか、ちょっと信じられない。何処からどう見ても普通の男の子なのに。
この人が、『勇者様』だなんて。
「……村長から、お話はありませんでしたか?」
「ん? ……ああ、そういえば『試練』を見守る巫女が来るって言ってたね。君がその巫女という事かい?」
「はい。よろしくお願い致します」
わたしが自己紹介を済ませると、勇者様は家の扉を大きく開けて、わたしを中に招き入れようとした。わたしは誘われるがまま、中へと入る。
家の中はランタンが灯されていて明るくなっていた。近付かなくても、人の身形や顔が分かる程度には。ドアの先はすぐリビングになっていて、テーブルやベッドが置かれている。逆に、それ以外のものは何もない。キッチンや風呂、便所もだ。便所については、代わりに壷が置かれている。肥料として使うので、うちの村では壷に用を足すのが一般的だ。都会の村は、水で流しちゃうらしい。
普段使われていないこの家の中は、少し埃っぽくて、カビ臭さがある。まぁ、我慢出来ないほどのものではないのだけれど。天井にある蜘蛛の巣は、気にしないでおこう。
ボロボロだった外面と同じぐらい古びている。そんな屋内の隅にあるテーブル席に、二人の女性が居た。どちらも若く、わたしよりちょっと年上か。一方は黒いローブを纏い、杖を持った吊り目で金髪の人。もう一方は教会のシスターが着る修道服を纏った、黒髪の人だ。金髪は多分魔法使いで、修道服がシスターなのだろう。多分。
「ふぅーん。随分小さい子ね。ちゃんと判定してくれるのかしら」
……魔法使いは少し意地悪な性格なようだ。
「こら、そんな事を言うものではありません。ごめんなさい、この子少し言い方がキツくて……」
わたしがムスッと唇を尖らせると、シスターが魔法使いを窘める。そして魔法使いの代わりに謝ってくれた。
謝罪を受けたら許す。それが大人の女性というやつだ。魔法使いと違って心が広い大人の女性であるわたしは、シスターに「気にしないでください」と伝えた。そんな女三人の会話を、勇者様はドアの近くで見守っている。
……さて、わたしは彼等とお喋りに来た訳ではない。
この勇者様達が、試練を受ける資格があるか見定めるのが目的だ。
試練とはこの村で行われる、ちょっとした行事だ。この小屋には真夜中に試練の使者が現れ、挑戦者に襲い掛かってくる。挑戦者は三人一組で挑み、その使者を打ち倒せば……おめでとう、君達は勇敢な者だと村から認められる。その程度の行事だ。
とはいえ面白半分で挑まれても困る。何しろこの試練、失敗すると死に至るのだから。
だからわたしのような『巫女』が挑戦者達を選別し、受けるべきか諦めるべきかを告げる。まぁ、どうしても受けたいと言ったら、受けさせてあげるけど……
「……勇者様、そろそろ本題に入りたいのですが」
「ん。ああ、試練を受ける資格があるかどうか判断するという話だったね。何か、力を見せれば良いのかな?」
勇者様は軽く手を上げ、その手に力を集めていく。手がぴかぴかと光り始めたのは、その手に魔法の力が集まっているのか。わたしは魔法などよく分からないのだが、なんとなく、彼の手に集まっているのが凄い力だというのは感じた。
実力を見せてもらうというのも、悪くはない。だけどあまり大きな力で暴れられても迷惑。彼が暴れ回った後、片付けをするのは村人なのだ。
聞くのは、話だけで良い。そこで嘘を吐かれても、わたしにとってはどうでも良い事だ。
「……いいえ、大丈夫です。ただ、話だけ聞かせてもらえれば十分」
「話?」
「あなた達が、どれだけ強いのか。つまりは武勇伝を聞かせてください」
わたしが聞きたい話について教えると、勇者様一行はキョトンとした表情を浮かべる。話すだけで良いと言われれば拍子抜けするのも当然だろう。
だからといって、それを疑って話さないと当然選別も何も始まらない訳で。
「分かった。話すだけで良いなら、喜んでするよ」
勇者様はそう言って、自分達の武勇伝を語り始めた。
「まず、ボクはとある辺境の村出身なんだけど、お城で行われた『召喚』によって王都に呼ばれたんだ」
「召喚ですか。確か、目的に合致した対象を呼び出すための魔法でしたっけ。どのような目的なのですか?」
「魔物達の長、魔王を確実に倒せる者、と聞いたよ」
魔王を倒せる。その言葉に、随分と大きく出たなと思った。
魔物と言えば、オークとかゴブリンとか、ドラゴンや吸血鬼などが挙げられる。彼等は一部を除いて、生半可な人間では何人集まっても太刀打ち出来ないほど強い。しかもどいつもこいつも残虐な上に狡猾、好戦的で貪欲な性格だ。何処かの村が襲われて壊滅した、ある町が襲撃されて町人がたくさん死んだ、隣国が焼き払われて滅んだ……そんな話が嘘ではなく現実に起きるほど、危険な存在である。
そして魔王とは、そんな魔物達に人間世界への攻撃を命じている元凶だ。
魔王は百年ほど前に、人間達に宣戦布告をしてきた。目的は不明。領土的野心か、人間に恨みがあるのか、ただの気紛れか……なんにせよ実力主義な魔物達が大人しく命令に従う事から、どんな魔物よりも強いと考えられている。
魔物達が人間を襲うのは、その魔王が命じたからだと考えられている。魔王の命令により幾つもの国が滅び、大勢の人間が命を落とした。勿論人間も手をこまねいていた訳ではない。攻撃を命じたのが魔王なら、その魔王を倒せば魔物達の攻撃は止む筈。故にこの百年間で何度か魔王討伐隊が送り込まれているのだけれど……誰一人生きて帰ってきた事がない。それだけ魔王、或いはその前に立ち塞がる魔物達が強いという事だ。
そんな魔王を討伐する事が出来る力。
自称なら鼻で笑うところだけど、魔法による召喚なら、彼を召喚した魔法使いがど素人で失敗してるとか、魔法使いが大嘘を吐いていない限りは本当だ。魔王より強い勇者様がこれまでどんな事をしてきたのかなんて、小市民であるわたしには全く想像も付かない。そしてそれを尋ねるのが、選別をするわたしの役目である。
「その力で、どんな事をしてきたのですか?」
「そうだなぁ。例えば……召喚されたばかりの時、王都をオークの大群が襲撃してきたんだ。確か、三百体ぐらい居たかな」
「それはまぁ、大軍勢ですね」
一番に語られた内容に、わたしはなんとも間の抜けた答えを返す。オーク三百体とくれば、普通は一万の兵士で止められるかどうかの大軍勢だ。常識的に考えれば、策略などでオーク達に大きな被害を与え、追い返せればそれで十分英雄的な行いである。
でもまぁ、これは『武勇伝』を話してくれとわたしが言った上で語られた話なのだから。
「その三百体の魔物を、ボク一人で倒した」
そりゃ、一人で倒したという話にもなるだろう。
「……方法を聞いても?」
「ボクには呪い返しのスキルがあってね。敵意を向けてきた対象に、死の呪いを掛けられるんだ。耐性次第ではあるけど、大抵は即死する」
「つまり敵意を向けた時点で死ぬ訳ですか。滅茶苦茶ですね」
「普段はその効果が暴走しないよう、対象を制限しているけどね」
抑えていなかったらなんでもかんでも殺していく殺戮兵器じゃないか。そんな感想が頭に浮かんだが、言葉に出すのはぐっと堪えた。万一これで機嫌を損ねて、わたしが『対象』になったら堪ったもんじゃない。
それにしてもこれは凄く強い力だ。この時点で殆どの敵は戦う前に死ぬだろう。
しかし、抜け道はある。
「なら、ゴーストやスケルトンのような魔物は? 或いはスライムのような、自我の薄い魔物にその力は効くのですか?」
既に死んでいる魔物や、敵意の感情を持たない魔物はどうなのだろう。
「そういう魔物相手には通じないから、直接戦うしかないね。ボクの戦い方は、魔法を使ったものが主だよ」
「魔法ですか。具体的には?」
「魔力をそのまま放射する。これだけで、山の一つ二つは簡単に破壊出来るよ。かつて村を襲撃したドラゴンと出会った時、そのドラゴンが暮らしている山を蒸発させてやったんだ」
やっぱりコイツ兵器じゃなかろうか? そんな考えが浮かんだ。大体魔力をそのまま放出って……そのまま放出しても強くないから炎や雷の形にしているらしいのに。
物理的な作用を持つほどの大魔力。もしもこれを初級とはいえ普通の魔法を発動するのに使ったら、国どころか大陸が消し飛ぶかも知れない。普通の人間の何百万倍の魔力があればそんな事が出来るのか、魔法使いでないわたしにはさっぱり分からない事だ。
なんというか、戦う選択をした時点で勝ち目がないように相手のように思える。本気じゃないのに山を消し飛ばすような力なんて、もうどうやれば勝てるというのか。心を持たない兵士百万人で作った軍勢も、彼がその気になれば瞬殺だろう。
「まぁ、その力を見せてからは人間からも敵意を向けられてね。死の呪いは掛けないようにしていたんだけど、そうしたら毒を盛られた事があってさ」
「……でも生きているという事は」
「何も問題なかったよ。ボクの身体はあらゆる状態異常を防ぐスキルがあるからね」
「ですよね」
「あと、自称最強の魔法使いという人に攻撃された事もあったなぁ。不意打ちで雷魔法を撃ち込んできてさ」
「ちょ!? アンタそんな昔の事……!」
勇者様が話していると、魔法使いが顔を赤くして間に割り込んできた。自称最強の魔法使いとやらは彼女の事らしい。
「攻撃されて、無事だったのですか?」
「ボクの身体に流れている魔力の量が多くて、身体の表面に魔力が滲み出て膜のようになっているんだ。殆ど攻撃はその魔力の膜で弾かれる。ドラゴンの炎も効かないよ」
さらりと言ってのける勇者様。しかしドラゴンの炎は、一息で小さな村を焼き尽くすほどの火力だ。それが効かないというだけで、彼がもう人間には為す術もない存在だというのが分かる。
「ま、まぁ、この私の魔法を防ぐぐらいだから、コイツが最強なのは異論ないけどね! 私が勝てなかったんだから、魔物だけじゃなくて人間にも勝てる奴なんている訳ないわ!」
「私も、故郷の村を救ってもらえましたが、勇者様の強さは素晴らしいものでした。彼なら、きっと魔王を討ち取ってくれる……そう思います」
魔法使いとシスターはそう語り、勇者様の話が嘘でないと補足する。勿論三人がぐるになってホラを吹いている可能性もあるけど、それはわたしが関知する必要のない事。わたしはただ、聞かされた話を元に判断するだけ。
ただ、彼等はこの村での試練を受けたがっている身。何故試練を受けたいのかは知らないけど、受けるために『強さ』が必要ならしっかり誇示しておきたいのだろう。魔法使いとシスターはあれやこれやと勇者様を褒め始めた。やれ「どんな魔物もイチコロ」、やれ「瘴気に覆われた森を浄化した」、やれ「洗脳されていた領主を救い出した」……
「ま、一言で例えるなら無敵よね。コイツの強さはさ」
そんな褒め言葉の一つとして、魔法使いがそう呟いた。
無敵。成程、無敵か。彼女がそう呼びたくなる気持ちはよく分かる。
悪意に反応して発動する死の呪い。
何もかも破壊する出鱈目な魔力
竜の牙すら通らない結界。
数えきれないぐらい挙げられる力の数々。
正しく絵に描いたような無敵だ。わたしがこの勇者様を殺そうとしても、殺そうとした瞬間に返り討ちだろう。
お供の魔法使いやシスターの活躍が全く話されないのも頷ける。こんな出鱈目の傍に居て、一体どんな活躍が出来る? ただのお飾りその一とその二になれればマシな方だ。回復魔法すら出番がない。
『おまけ』二人が言うように、こりゃ無敵と言うしかない強さだ。
だからこそ……
「どうかな。まだ他にも話せる事はあるけど」
考え込んでいたわたしに、勇者様はそう尋ねてくる。まぁ、これだけ強いなら他にもっと武勇伝があってもおかしくはない。話してほしいと頼めば、彼は幾らでも話してくれる事だろう。
でも、これだけ聞ければ十分。わたしは首を横に振った。
「いえ、十分です。もう、判定は下せます」
「そうか」
「じゃあ早く言ってよね。時間を無駄にしたくないし」
「こら! またあなたは……」
勇者様は気楽な様子で待ち、魔法使いはふんぞり返りながら言葉を促す。シスターは魔法使いを窘めるが、落ち着いている素振りからして内心は二人と同じか。
三人とも、合格だと思っている。
そんな彼等にわたしはハッキリと告げるのだ。
「不合格です。試練を受けるのは大変危険ですので、今すぐこの小屋から出ていってください」
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