自動化オートメイション
今日も今日とてせっせとプログラムのコードを書くわけですが、ふと思いました。なぜ、人はプログラムを書くのでしょう(疲れているので主語がデカい)。それは、何かを楽にしたいから、という理由が一番大きいのではないでしょうか。
めんどくさかったり、複雑すぎてわけがわからないことを、プログラムを書く事で整理し、ボタン一つを押すだけで一連の計算やお仕事を一気に完了できるようにするためなのでしょう。つまりは
自動化というのは、不思議なもので、ともすれば「ズルをしている」「手を抜いている」と思われる事もあります。ボタン一つでパッとやるよりも、手作業で、手作りで、時間をかけた方がよきものとされる事もしばしばです。
実際はどうかと言うと、自動化できる物は自動化した方が、より正確になります。ただし、融通が利かなくなる面があるのも事実です。でも、トータルで見ると、自動化した方が「先に進める」という面だけでも、かなりのアドバンテージがあるのではないでしょうか。
それでも自動化が悪いという場合には、自動化できないものを無理矢理自動化してしまったがために、陳腐なものになってしまってるんじゃないのかな、と思っています。最初の計画が無茶だったって事ですね。
この自動化、プログラムの世界だけでなく、ことばの世界でもおなじような事がありますよね。例えば「カレーのレシピ」。この言葉だけで、読んだ人の頭の中には、自動的にじゃがいもの皮を剥いたり、玉ねぎを切ったりする手順が浮かび上がる事でしょう。中には、トマトジュースを入れたり、ガラムマサラを入れたりも。
長い長い手順を1つずつ列記しなくても、「カレーのレシピ」ということばひとつで済ませてしまえるのです。そしてその先のお話へとGO。非常に自動化されています。さらに面白いのは、思い浮かべるレシピに個人差がある事です。同じカレーのレシピでも、人によって手順が違ったり、あるいは、好き嫌いが違ったり。割と揺れ幅があって、それでも揺れ幅を許容してお話が進んでいきます。
論文のように、共通の認識に齟齬が産まれるとまずいテキストであれば、そのへんの揺れを防ぐために定義をキッチリしますが、お話に関してはそこまでする事は少ないでしょう。「お約束の展開」「例のアレ」「なんとなくヨーロッパ」。このあたりは全て、ある意味、自動化された処理の部分なんでしょうね。
プログラムのコードに比べると、お話の自動化された部分というのは物凄く散らばっていて、各人の脳内に準備された「
皆に共通の何か、体験、思い、そんな物を使って、誰もが解る言葉で、そして、わからなくても察する事ができることばで紡いでいるのでしょうね。
私もそんなコードを書きたいなあ、なんて思いながら、今日も一日始めていくのです。さ、行ってみましょう。
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