えばりんぼ

 何気なくことわざ辞典を見ていた私は衝撃を受けた。私にわりと大きなショックを食らわせたのはこのことわざだ。


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虎の威を借る狐:権勢を持つ者に頼って、威張る小者のこと。

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 私が「狐」な事を指摘されてショックを受けたのかというと、そうではない。多少そういう面もあるかもなあ、と、思い当たる節もあるのだけど、問題はそこじゃない。問題は「威」だ。


 辞典に「威張る小物」と書いてあるからには、「『い』ばる」が正しいのだろう。「『え』ばる」ではなくて。同じア行のご近所さんだけど。


 うっそ、あの状態って「えばる」じゃなかったの? ひょっとして、えばるは方言なの? 静岡県東部限定なの? と衝撃を受けたのだ。


 えばる。あいつは。怒りんぼのだから嫌い。小さいころからずっとそう発音してきたし、なんなら書いてきた。でも、辞書に「いばる」と書いてあるうえに、漢字的には「威張る」ときたら、これはもう「いばる」だ。「えばる」が返り咲く隙は無い。もしかしてと思って漢和辞典で「威」を調べてみたけれども、音読みは「い」で、訓読みは「おど(す)」だった。


 私はえばりんぼという言葉の響きが凄く好きで、よく使っていた。初めにこの言葉を言ったのは克絵かつえちゃんだ。小学生の頃、やたらとえらそうにふんぞり返っている誠二せいじくんにキレた克絵ちゃんが、「誠二くんのえばりんぼ! 嫌い!」と叫んだのが始まりだ。


 私は初めて聞く言葉に戸惑ったのだけれども、「ああ、怒りんぼの『怒って』+『ばっかりの人』方式で、『えばって』+『ばっかりの人』だから『えば+りんぼ』なんだな」と理解した。そうだそうだ! 良く言ってくれたぜ克ちゃん! という爽快な気持ちが沸き、なんとなく可愛い語感がとても気に入った。


 何より、ちょっとコミカルな感じが出るのがいい。「威張ってる奴」だと刺々しくて、口にした自分まで嫌になる感じだが、「えばりんぼ」はまっすぐで、それでいて、「仕方ないなあ」というニュアンスが出る……気がする。だから私は克ちゃんが使わなくなっても、ずっとこの言葉を使ってきた。


 えばりんぼの困る所は、もはや事が目的になってしまっている所だ。隙あらばえばる。自分が知らない事やよく考えていない事でも、えばりチャンスの匂いをかぎつけるや否や、すっとんできてえばり散らす。厄介だ。


 そして、このえばりチャンスがある場面というのが、「『正しい』事を言っている場面」が多いのがまたややこしい。えばりたいだけなのに、『正しい』を振りかざして得意になる。『正しい』が納得できない人にとってはもちろんめんどくさいし、真剣に『正しい』に取り組んでいたり突き詰めたりしたい人にとっても迷惑だ。


 そしてそのうち、えばりたいだけなのに自分は『正しい』と思い込んでしまって、ますます厄介になる。もはや、えばりんぼのちょっと可愛いイメージからは逸脱してしまい、やべー奴だ。できることなら関わりあいたくない。


 時には、くさくさして、ついついえばってしまう事もあるだろう。それでも、自分の中のどこかに、「あ、今、私、えばってるな」と気づく部分を残しておきたい。えばりんぼを宥めすかす私でありたい。正しく『正しく』ありたい。「威張る」の読みは「いばる」だって知らなかったくせに、私はそう思う。まだまだ私には、知らない事が山ほどあるのだ。


 そんなことを考えて、ことわざ辞典を閉じる。さて、珈琲を淹れますか。そして今日も一日やっていくとしましょうか。

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