久利須黄沙はルールを決めない

黄沙きささん! また喧嘩が始まってます! どーしましょー」


 宮本みやもと要愛かなめは出社してモニタを覗き込むとすぐに、お隣の社長室へと駆け込んだ。


 社長室内は相変わらず雑然としている。というか、シンプルに散らかっている。朝一だというのに、まるで夕飯前の子供部屋だ。その部屋の中央にででん、と置かれた机には、ノートPCを前に頬杖をついてジュースをチューチュー吸っている社長の久利須くりす黄沙きさが行儀悪く座っている。


「おっ、かなめちゃん、朝っぱっらからノックもしないでカチ込んでくるとはやるねえ。社長、びっくりしちゃったよ」


 要愛より5歳も年下、24歳の社長は、言葉とは裏腹に全然驚いた様子も見せずにのんびりとしている。


「ノック無しはすみません。でも社長、大変なんです。常連のお2人がなんか険悪な雰囲気で、コミュ内が現在進行形で荒れてしまってるんですけど」

「かなめちゃん、そんなに慌てないで。えーと、どれどれ。ふむふむ。あーこれ個室行きかなー。はい決定ー。どぞー」


 黄沙は画面内の2つのアバターをタップし、管理者用ツール内の「匣」へとドラッグする。匣の中に移送されたアバターは、戸惑っていたようだったが、やがて口論を再開した。だがそれは、先ほどよりは少し大人しい雰囲気になっているようだった。要愛はホッと胸をなでおろした。

 

「ありがとうございます。社長。それにしても匣って凄いですね」

「そだね。ああいう鍔迫り合いフレーミングみたいなのってさ、誰かに見られてる事前提でヒートアップしていくからね。当事者だけしか関われない場を用意してあげると、それだけで結構収まっちゃうものなんだよね。不思議」


 要愛が勤めている会社は、web上でのコミュニティ・サイトを運営していた。ゆるくテーマを定めた仮想空間エリアを用意し、ユーザーはそこにアバターを通して参加する。基本的なやりとりは、タグ付きのオープンチャット形式になっており、誰が発言しても、エリア全体のメンバーにその内容が届くようになっている。


 この手のコミュニティ・サイトを運営しているときに付き物のトラブルが、ユーザー間の諍いフレーミング合戦だ。最初はお互いにささいな冗談のつもりが、だんだんとヒートアップして喧嘩になってしまうことは珍しくない。


 さらに、当事者の2人だけでなく、続々と外野から横やりが入ってきたりしたら黄信号だ。ほんの小さな諍いだった騒ぎはあっという間に拡大し、話題の方向性はあちらこちらにズレて収拾がつかなくなり、場の雰囲気を完全に壊してしまう事態にまで至るケースまである。


 要愛のコミュニティ、つまりは、黄沙がオーナーのコミュニティがこの問題にどう対処しているのかと言えば、先ほどの「匣」だった。単純だが効果はてきめんで、だいだいは収まってしまう。


 それでも収まりがつかない場合はどうするかと言うと、もっと単純だ。黄沙が出て行って「裁定」を下すだけ。黄沙はこのコミュのオーナーであり、ルールだ。その判断は絶対なのだ。そこそこの規模のコミュニティであるにも関わらず、このコミュニティへの参加規約は二つだけだ。


1:なかよく

2:黄沙がいう事は絶対


 この2つの他にルールはない。実にシンプルだ。要愛は前々から思っていた事を黄沙に尋ねてみた。


「社長、なんでルールって2つだけなんですか」

「んー、かめちゃん、ルールってなんでできると思う?」

「え? 皆で守る決めごとを作っておいた方が、物事がスムーズに運ぶからでしょうか。『どちらがいいか』みたいな事で揉めなくなりますし」

「なるほどね。私はこう思ってるの。『ルールってのは、極端な事をする人が出てくるから、やりすぎないための線引きをする事だ』、って」


 線引き。なるほど。ここまではいいけど、それ以上は駄目、という指針があるというのは、分かりやすくて良い。


「でもね、いったんルールを決めるとね、絶対にギリギリを攻める人が出てくるんだよね。人間って。そうすると、極端な事をする人を規制するために作った決めごとが、逆に、『そこまでならOK』ってお墨付きをあげる事になっちゃうの。しまいには『ルールに無いからOK』とかいって、さらに極端な事をする免罪符に利用する輩も。ルールって、厄介なの」


 そんなものだろうか。確かに、ルールを悪用したり逆手に取ったりする人というのは、一定数出てくるのかもしれない。だが、ルールがない事によって何を、どこまでならやって良いのかわからないという不安がつきまとうというデメリットも大きいのではないだろうか。要愛は黄沙にその疑問を投げかけてみた。


「それはあるね。だから、私のコミュではもうひとつのルールがあるわけ。『黄沙がいう事は絶対』。私が決めるの。10個のエリア資源を独り占めするのは駄目な日もあれば、いい日もあるとかね。その日の気分で決めちゃうの」

「それって、ちょっと曖昧じゃないですか」


 要愛がそう指摘すると、黄沙は悪い顔をしてフフフ、と笑った。


「その通り。曖昧なの。でもねかなめちゃん、曖昧なくらいが丁度いいの。そうでないと、ルールの本質を考えないでギリギリを攻める人ばっかになっちゃうからね。そうなっちゃったら、凄いせちがらいもの。だから、これでいいの」


 そんな物だろうか。確かに一理あるかもしれないが、黄沙の判定があまりにも気まぐれで納得感が無い場合には、物凄く不満が溜まりそうだ。だが、幸いにして、そんなことは起きていない。なんだかんだいって、バランスがいいというか、筋が通っているというか、「正しい」のだ。このだらしない社長は。


「それに、私ってばオーナーだしね。それじゃかなめちゃん、あとはよろしくー」


 要愛は社長室を出て自分のデスクに戻り、一息ついた。ルール。そういうものなのだろうか。難しいものだ。そう思いつつ、カップの中にコーヒーを一口飲んだ。コーヒーは朝に1杯。お昼に1杯と決めている。これもルール。要愛が自分で決めた自分だけのルールだ。


 例えばこのルールの理由は何だっけ。そうだそうだ。カフェインを取りすぎるのが良くないから、1日に2杯に決めたんだっけ。あとは水か麦茶かルイボスティー。案外、自分でも忘れている物だ。でも、このルール、本当に「正しい」ルールなのだろうか。


 要愛は少し考えて、やめた。たぶん、そんなには間違っていないだろう。とりあえずはコーヒーを飲み、気分も新たに1日を始めていくとしましょうか。

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