なにが「シャカイ」だ。

@palmyomu

第1話 電車内のシャカイ

 地下鉄は嫌いだ。

外が見えない。息が詰まる。


ドアが開き、人が乗り込んでくる。始発駅から乗り込む私は、席がガラガラなら座るが、半数以上埋まっているときは座らない。

この時間はガラガラ。みんな大好き端の席に失礼する。

またドアが開き、人が乗り込む。2、3回繰り返すと半数の席が埋まった。そろそろ立とう。閉め切り側のドアに寄りかかり、しばし人を観察。

スマホ、スマホ、スマホ、スマホ、スマホ、居眠り、スマホ、スマホ、スマホ。

惜しい。

こっちはどうだ。

スマホ、本、スマホ、スマホ、居眠り、スマホ、スマホ、スマホ、スマホ。

だめだ。悔しい。

今日こそは揃うと思ったのに。またの機会にしよう。


そのうち席は埋まり、立っている人も増えた。軽めの混雑程度。

優先席を見る。ヘルプマークを付けた人が立っている。スマホを見ている男性が座っている。

おいおい、またスマホかよ。横に持っているからおそらくゲームか動画。

そんな小さな画面は見えるのに、自分の目の前に立っている人は見えてないんかい。


「あの、ヘルプマーク付けている人が立っていますよ。優先席は席を譲るべきです。」


そんな風に言ったとしたら、なんと反論されるだろうか。


「自分だって身体が悪いんだ」、「本人に代わってくれと言われていない」、

「この人よりも自分のほうが長時間乗っているから疲れている」。


お年寄りや妊婦さん、怪我をしている人やヘルプマークを付けた人などに席を譲る行為は、「親切な国」「優しい国」の代名詞である日本では美徳とされている。

私も小学生の頃、遠足で電車に乗った際、席を譲った行為が評価されて学級新聞で褒められたことがある。


これを時代のせいにはしたくないが、はっきり言って現代人は忙しい。

社会で働く大人、そうなるために勉学に励む学生。どちらも自分のためではもちろんあるが、日本のためにもまた、頑張っている。

その日の体調不良や見た目ではわからない負傷。優先席でさえも座らずを得ない状況だってあるかもしれない。


じゃあ、どうすればいい?


前日の残業が響き気分が悪く、気を紛らすために動画を見る健常者か。

ヘルプマークを鞄につけ、優先席の対象となり得る障碍者か。


小学校で教わる「美徳」は正義ではあるが平等ではない。

ただ、平等が正義に敵うとも限らない。


誰か答えを教えてくれないか…?



優先席に座る態度の悪い若者を、

「これだから最近の若者は。」

と言って、一括りにすることは正義でも平等でもない。

誰かが言っていた。「感情論で動くとろくなことにならない」。

優先すべき人に気が付かない人には、

きっといつかどこかで自分も同じ目に遭うかもしれないよ、

その時つらくても誰も席を代わってくれないかもしれないよ、

それでもいいんだ、知らないからね、

と、心の中で勝手に辟易すればいい。自分の気持ちに踏ん切りをつければいい。


自分の中に留めておくことが正義となる。

偏見の色眼鏡で見ないことが平等につながる。

これが正義、これが平等、なんて定義は存在しない。

電車という小さな「シャカイ」の矛盾には、こう答えを出すことでしか太刀打ちできない。


綺麗じゃない。だから綺麗事でもない。

あぁ、今の私はきっと、学級新聞で褒められるような優しい生徒じゃないんだろうな。

悪いね先生。


そんなことを考えながら、私は電車を降りた。




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