埋められた数センチの距離感

「……僕なんかなんて、言っちゃだめだよ」

 彼の側に座り、囁くように二の句を継ぐ。

「陽平にだってさ。いいところ、いっぱいあるんだから」

「ぼ、僕は……茜が思っているような人間じゃ……。僕に価値なんて……」

「いいから黙って。価値があるかどうかは私が決める。っていうか、陽平が自分のことどう思っていようが私には関係ない」

 それに、と付け足して、

「……遥香だって、陽平のいいところ知っているから、陽平を選んだんだよ」

 彼は、濡れた瞳を月明りに光らせて、こっちを向く。

「陽平はわかってないかもしれないけど」

 私はそう前置いて、少し強く息を吸い込み続けた。

「陽平は優しいよ、そうやって他人のことを考えて自分のことを後回しにできるし、それでも自分のことを優先しないといけないときは泣きながら謝ってもくれる。自分の身体も危険にさらすってわかっていても助けようとしてくれる。それに、一度振られた仕事は何があってもどうにかする。知ってる? 陽平が来なかった学祭の打ち上げ、一番『当日』の運営で助かったって言われていたのは陽平なんだよ? だから、クラスの皆陽平が来なかったことを残念がっていた。勿論、私たちだって、中嶋君たちだって。中嶋君なんて『高崎が来ないと締まらない』って言っていたんだよ? そこまで思われている人がさ……『自分には価値がない』とか言うって……ふざけてるの? 私たちを馬鹿にしてるの? 自己評価低いのも大概にしてよ……! 遥香はさ、陽平のそういうところを見てっ……」

 最後、絞り出すようにして呟いた。

「好きに、なったんじゃないの……?」

 徐々に夜は深まっていって、今は何時なのだろうか。時計を見ていないからわからない。少しの間、風が草を揺らす音が響き渡る。

「まだ全然陽平のいいところ言えるよ? まだ言う?」

「もっ、もういいよ……もう、いいから……」

 隣の彼は両手をブンブンと振りつつそう言った。

「……他の皆はもう知らないけどさ。少なからず、私は。私は陽平のこと、そう思っているから。……だから、私の目が黒いうちは陽平にそんなこと言わせないから」

 ……もしかしたら、半分告白に近いようなことを言っているのかもしれない。

 でも、きっと今言わないといけないこと。遥香がいなくなった今、そしてこの場に恵一がいないなら、陽平を支えることができるのは、私しかいないのだから。

「……陽平は、十分凄いよ。だから……少しは自分のこと、認めてあげなよ」

 そこまで言い切り、私はそっと立ち上がり彼の目の前に手を出した。

「帰ろう? いくら夏だからって、外で夜は明かしたらだめだよ」

 陽平は小さく「うん」と頷いて、私の手を取った。

 帰り道、会話こそ生まれないものの、たった数センチ横を歩く彼の横顔は、少しだけ晴れていたように見えた。


 花火大会から少ししたある日、家のポストを覗くと、差出人が書かれていない小包が入っていた。宛名は私だったから、一度部屋に持って帰り、中身を開けてみると──

 包みのなかには、私が遥香に貸したピンク色の浴衣が入っていた。

「……遥香……から?」

 そして、一枚の便箋が一緒に入っていて。それを開くと見覚えのある字が並んでいた。


 浴衣、返すの遅くなってごめんなさい。色々、気を遣わせてごめんね。茜と友達になれてほんとうによかったよ。


「……そ、そんなこと言われたらさあ……」

 外から聞こえてくる蝉の大合唱が、一人泣きそうになる私の声をかき消す。

「──」

 夏は、まだ始まったばかりだ。

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