第38話 わがままだとわかっていても
「……ど、どういうこと……?」
事故の一部始終を話し終えた私は、ゆっくりと三人の三角形に近づく。
絵見ちゃんは、今の話を聞いて私の姿をまじまじと見つめている。そりゃそうか。
「私、三年前に、もう死んじゃったんだ」
「……死んでる……って……?」
いまいち現状を受け入れられていない絵見ちゃんに、とどめの一言を添える。
「車に轢かれて、私は死にました。陽平君も私を助けようとしてそれに巻き込まれて、事故と、私に関する記憶を失いました」
「……で、でもそれじゃあ今ここにいる遥香は……」
「心残りがあったから、残っちゃったみたいです。……私の幽霊が」
「ゆっ……幽霊……なの?」
息を呑んで、絵見ちゃんはそう呟く。茜も、時間を追うにつれ、ぎこちない笑みを作り始めた。
これで、三人みんなに、話してしまった。戸塚君は受け入れてくれたけど、二人はどうなんだろう。
信じて、くれるかな……。
信じてくれたとして、これまで通り、関わってくれるのかな……。
「……戸塚君は、……きっと話している高崎君の事情を調べる段階で私のことを知ってしまったんだと思います。だから、絵見ちゃんに問い詰められても理由を話そうとしなかったんだと、思います。……理由を話そうとすると、私のことまで、話さないといけなくなるから。そう、ですよね? 戸塚君」
私は視界の端に片手で額を押さえている戸塚君を捉えて、そう言った。
「……そうだよ。及川の言う通り。……俺が出した陽平が恋をできない理由は、及川の死と関係があると踏んだ。だから。答えることができなかった……ごめん、本当……」
「そ、そういう理由なら……恵一が謝ることじゃ……」
さっきまで戸塚君に詰め寄っていた絵見ちゃんも、落ち着きを取り戻したみたいで真っ赤になっていた顔は今ではもとの肌色に戻っている。
「それで、遥香なんだけど……」
視線を戸塚君から私にと向けた絵見ちゃんは、困惑したような顔色でこちらを窺う。
「事故は、遥香が言っているだけ、っていうわけではないんだよね? 恵一」
「……ああ。新聞記事にも載ってる。そこでも、及川は亡くなったって書いてあった……だから、嘘じゃないんだ、及川の話は」
「……遥香がもう亡くなっているっていうのが本当なら……本当に、幽霊……なんだね」
その言葉に、私は静かに頷く。
「普通なら、幽霊なんて絶対に信じられないんだろうけど……ここまで仲良くして、遥香がそんな、みんなを騙すような人ではないってもうわかってるし……それなら……信じても……いいのかなって私は……」
「え、絵見ちゃん……」
「茜は? どう、思うの?」
絵見ちゃんは座り込んでいる茜のもとに向かい、目線を合わせてしゃがみこむ。
「……わ、私も……っ……遥香はいい子だって……知ってるから……っ……」
茜は、どうやら泣いてしまったみたいだ。
その姿を見て、申し訳ない気持ちになってしまう。
茜は茜で、優しくて真っすぐな子だから。気持ちに正直に生きている子だから。
私がもう死んでいる、という事実に悲しんでくれているのかと思うと、申し訳なくなると同時に、ちょっとだけ、ありがたくも思う。そこまで思ってくれる友達が、できたんだって実感できて。
「……だから……もう信じるしか、ないよね……」
「茜……絵見ちゃん……」
私のことを信じてくれると言ってくれた二人に、駆け寄ろうとする、まさにそのとき。
「みんなーここにいるの……?」
恐らくは、今一番の招かざる人が教室にやって来た。
「あ、全員いる……、なんか、クラスで後夜祭終わったあと集合写真撮ろうって話になったけど、主要メンバーほぼいないんじゃんってことで探してきてって言われたんだけど……」
突然入って来た陽平君の言葉はそれ以上続かなかった。それは、
「け、恵一? どうか、したの……?」
戸塚君の瞳には、微かにだけど、光るものが映ったから。
「あ、あれ……? ……俺……泣いてる……? おっかしいな……そんな、そんなことできるはず……ないのに……」
陽平君が見えた瞬間立ち上がっていた戸塚君は、さっきの茜の焼き直しのように、力なくまたもとの椅子に座りこむ。そして──
「っ……俺に、泣く資格なんて、ないはずなのにっ……」
今度は、大粒の雫を、堰を切るようにしてボロボロと机に落とし始めた。
私はそんな戸塚君の姿を見て、思わず立ち上がりドア付近で立ち止まっている陽平君の手を取り、
「行こっ、高崎君っ!」
教室を、飛び出したんだ。
「え、お、及川さんっ?」
困惑しながら私に手を引かれる高崎君を尻目に、走りながら教室をチラッと確認してみる。直後。
「っ、ああああああああ! ごめん、ごめんっ……ぁぁ!」
戸塚君の悲鳴とも取れるような、叫び声が聞こえてきた。
「恵一……? ねえ及川さん、一体何を話してたの」
「……大事な、話だよ」
階段を上り、完全に暗闇の空間と化している四階の図書室前に出る。
「はぁ……はぁ……ね、ねぇ及川さん、こんなところに僕を連れてきて……どうするつもりなの?」
なんとなく、あの場に陽平君を居させてはならない気がしたんだ。
戸塚君は陽平君の「恋ができない」ことを隠していたんだ。それをみんなに結果として話すことになってしまってそれの罪悪感で、きっと今戸塚君は……。
「ちょっと……ね……」
私は陽平君の手を離して、図書室の壁にもたれかかるようにして立つ。彼に、向かいあうようにして。
「学校祭、楽しかったなあって……」
そして、なんてことはない、ただの学祭の感想を話し出す。少しでも、さっきの戸塚君の絶叫を忘れさせるために。
「え、あ、まあ……それはそうだけど」
「高崎君と一緒に色々回れたしね」
「そ、それは……周りがなんか囃し立てたからで……及川さん、むしろ迷惑だったんじゃ……?」
「ううん。迷惑なんかじゃ……ないよ?」
「……そ、そう? なの……?」
こうしてただ話しているだけでは、全然恋ができないだなんて想像もつかない。陽平君の内面は、今どうなっているのだろうか。
荒波が迫って来ていて、慌てているのだろうか。
切なかったけど、ね。
陽平君を好きなまま死んだ私は、幽霊になった今も彼を好きなままでいる。よみがえったって言い方が正しいかどうかはわからないけど、また生き始めた高一の春から、この気持ちは変わっていない。
でも、所詮私は幽霊。この気持ちが、叶うなんてことはあり得ないって思っていた。
それに。茜が陽平君のこと好きなのは、一緒に過ごしていてすぐに気づいたから。
だから、諦めようって思っていたのに。彼に優しくされるのを避けようとしたのに。
そうでないと、茜の邪魔になってしまうって思ったのに。
茜と陽平君が同じ実行委員になって、一緒の時間をより多く過ごしているのを見て、嫉妬してしまったり。
中央階段で一度委員会に向かう二人を呼び止めたこともあったけど、それは茜が陽平君を花火大会に誘おうとしているのを聞いたから、つい。
豊平川の花火大会は、陽平君と二人で見たいと願ってしまったから。それが、心残りの約束だったから。
茜の邪魔になりたくないという感情と、でも彼と本当は近づきたいっていう感情が交差して。
「高崎君はさ……花火大会、誰かと見に行くの……?」
本当は、嬉しかったんだ。彼とまた会えて。彼とまた話せて。
彼と、学校祭を一緒に回る、というデートみたいなこともできて。
「……まだ決まってないけど、きっと、みんなで行くんじゃないかな」
ここのみんな、とは、五人のことを指すんだと思う。
「みんな、は……嫌かなあ……」
もう、だめだ。一度幸せを享受しちゃうと。こらえきれなくなる。
「お、及川さん……?」
……わがままなのは知っている。
茜が陽平君のこと好きなのも知っている。
陽平君が恋をできないのも知っている。
これが、最後の夏だから。どうか、私のわがままを、許してください。
「ねえ、陽平君。覚えて、ない? 私のこと。私とした、約束のこと」
「……よ、陽平君……?」
「私。六年生のとき、四葉公園で本の感想言いあったり、映画見に行ったり、ゲームセンターで遊んだ私、及川遥香」
「……六年生の、とき? っ……」
私の言葉を反芻すると、彼は頭が痛むのか、額を右手で押さえだす。
「パスコードシリーズ、私がいつも陽平君よりも先に借りて、それが、最初の会話の種だった」
「……パスコードは僕も読んだ……あれ、確かに、いつも誰かが僕よりも先に借りていたような……」
「──本当に仲良くなれる人は、きっと趣味とか、そういうのを抜きにしてきっと色々でことぼこが噛みあう人だと、思うんだ」
私がかつて言った台詞を繰り返すと、目の前に立つ彼は目をパッと見開いて……私の姿を見つめる。
「な、んでその言葉を……、及川さんが……?」
よかった。この言葉は覚えていてくれたんだ。それなら、きっと、あと一押しすれば。
「三年前の三月三十日。陽平君と一緒に遊んでいたのは私で、事故に遭ったのも、私だよ。陽平君」
「──お、及川……遥香って……」
陽平君は、思い出してくれたみたいだ。けど。
「……ね、ねぇ……及川さんは……今、生きているの……?」
それと同時に、すがるような目で私を見てきた。まるで、現実を受け入れたくないかのように。
ゆっくりと間合いを取って、私は小さく笑みを浮かべて言った。
「……ごめんね、『陽平君』」
たった一言でも、十分だった。次の瞬間、陽平君は顔面蒼白になり、
「う、嘘……だよね……そ、そんなの……う、嘘……うそだ……」
一歩、また一歩と後ずさる。
「う、嘘だよ……だって……それじゃあ……。あ、あああ!」
彼は、私の目の前からいなくなった。
「……駄目、だったかぁ……」
やっぱり。私の正体をばらしてはいけなかったのかな。陽平君には。
後悔しても、もう遅いわけだけど。
真っ暗な図書室前の廊下に、私はヘタリと腰を落としてしまう。しばらくの間、そこから動くことは、できなかった。
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