第24話 消したくない過去

 そう、劇的な理由なんてない。ただ、勉強を教えてもらって、好きになっただけ。突き詰めてしまえば、やっぱり、「私は陽平の隣にいたかった」んだ。

 それで、よかったんだ。なのに。

 焦って、慌てて。間違えて。

 距離を詰めようとした結果が、今なんだ。

 陽平がおかしくなってから、彼はそれをみんなの前でも見せるようになってしまった。私が間違える前は、女子と二人きりとか、そういう場面のときだけぎこちなくなる、程度だったのに。

 特に、私の顔を見ると、それだけで怯えた様子を見せてしまい、口を聞くことはおろか、顔すら合わせられなくなってしまった。

 そんな陽平を心配した恵一が、放課後になると強引に手を引いてどこかへと連れ出していた。

 ……私の、せい、なんだよね……? きっと……。

 彼が昼ごはんを一緒に食べなくなってから、一週間が経った。もう学祭も目前になって最後の追い込みに入っている。彼は彼で委員会を放棄したりはせず、淡々と目の前の仕事をこなしているけど、そこに生気は感じられない。

 遠くから眺めるだけの彼の様子は、とても弱々しく、さながら色が落ちた枯葉のようで。

 委員会も終わり、全員が帰った無人の会議室に一人、残る。

「……どうしよう、かなあ……」

 宛名のないひとりごとが、テーブルと椅子が並んだ部屋のなかに広がる。今年に入って買い換えたという真っ白いテーブルに突っ伏して、意味もなく唸り声を漏らす。

 そうしていると、ふと。会議室のドアが開く音がした。

 え? 誰……?

「帰宅時間でーす、下校してくださーい。……だっけか?」

 開いた後ろのドアの方を向くと、そこには見知った男子の姿があった。

「……恵一? どうして……」

「……まあ、色々、な」

 最初はおどけた顔を見せていた恵一は、途端に真面目な表情を浮かべ私の隣に座る。

「……陽平に、言ったんだって? 『女の人、苦手だったりする?』って」

 あまり思い返したくないことを言われ、思わず顔が歪む。

「そ、そうだけど……陽平に聞いたの?」

「……いや、まあそれは別になんだっていいんだけどさ……。あいつは……陽平はさ……自分でも知らないうちに血流してそれを放置しているような感じだからさ……」

「なに、言ってるの?」

 恵一がした例え話についていけない。きっと陽平の今の状態を踏まえて言っているのだろうけど……私にそれを理解することはできない。

「……こっちの話。……なあ、茜はどう思っている? 陽平のこと」

「どうって……いきなりそんなこと聞く?」

「大事な話なんだ」

 いつになく、いや、私が知っているなかで一番真面目な恵一を見たかもしれない。

「……好き、だよ? 陽平のことは……」

「まあ、薄々予想はついていたけど、そうだよな……で。ここ最近の陽平の様子を見て、それを陽平に言った、と」

「……うん、そうだけど」

 だって、と一呼吸置いて私は続ける。

「それこそ今日恵一が陽平を保健室に連れて行ったように、グループ長の男の先輩とは普通に話せるのに、どうして知らない女子と話すときはあんなにぎこちなくなるし、私と二人になると言葉に詰まるの? そう思うよ……そう思っちゃうよ……」

「あのさ。茜」

 私の言葉を聞き終えた恵一は、諭すように言った。

「……それ、本当なんだ」

「……え?」

 一瞬、頭のなかがショートした。言われたことが飲み込めない。

「陽平は……恋が、できないんだ」

「いや、その……え?」

「陽平は……どういうわけか知らないけど、女子に恋することができない。……男なら大丈夫、とかそういう話でもない。俺が陽平に出会ったときから、そうだった」

 恵一がポツリポツリ話していく言葉から、段々ぼんやりと事実が浮き上がって見えてくる。

「じゃ、じゃあ……。春に陽平が告白してきた女の子振ったのは……」

「もうあいつ高校でも告られたのか。早いな……まあ、外面も内面もいい奴だから、自然とそうなるのはわかるし……。うん。今言った理由が原因だ」

「そ、それじゃあ……陽平が最近おかしくなったのって……私が……私が……無理に距離を詰めようとしたから……?」

 隣に座る彼は沈痛な表情をし、ゆっくりと頷く。

「もう、友達ってラベリングがされているんだと思う。陽平にとって茜は。もちろん、俺や絵見だって。結構陽平が俺等三人と馴染むのに時間かかっただろ? むしろそれのおかげで、陽平は茜と絵見に対しては普通でいられている。『友達』でいる限りは」

「友達で、いる限りは……?」

「陽平にとっては女子と仲良くするのが特に怖いんだと思う。実際、及川を引き入れたときも多少は反動あったし。きっと、一緒に帰る、っていうことはもう限界を超えているんだと思う」

「……そ、そうだね……」

「……だから……さ。茜」

「……諦めて、って言うつもり? 恵一」

 先回りして、彼の言葉を潰してみる。すると恵一は苦笑いを浮かべ、

「……そんなこと、言えるわけないじゃん。人の恋心、諦めろなんて言葉、誰が言えるかよ。俺は悪魔になんてなりたくはない」

「じゃあ……何?」

「……待ってくれないか? 陽平が、恋できるようになるまで」

 それは、予想していない答えだった。諦めろ、ではなく、待て。

 待つって……。でも……。

「中学から、なんでしょ? 出会ったときからってことは、一年生のときからってことでしょ? 三年も直ってないんだよね? それが、待つだけでどうにかなる問題なの?」

 別に恵一が悪いわけではないけど、語気を強めて彼を問い詰めてしまう。

「……もう、頃合いだと思うんだ。もう、陽平も一歩踏み出す時期だと思うんだ。遅かれ早かれこの問題はどうにかしないといけない。でも、きっと陽平一人じゃあどうしようもない。……俺が、俺がどうにかする」

「どうにかするって……」

「手がかりは……あるんだ……。だから……学祭が終わる日まででいい……俺に、時間をくれないか……?」

 彼は、席を立ちあがり、私の方を向いてスッと頭を下げた。

 恵一はよく周りを見る性格だってしばしば人に言われるけど、ここまで必死になる恵一は初めて見た。普段は、何気なく周りにフォローを入れる、そんなタイプだから。

「……そこまで待てば、どうにかなるの?」

「……どうにか、するよ」

「信じるよ?」

「ああ」

 夕陽が差し込む会議室。完全下校の予鈴が鳴り響いた。

 私は、こちらを見つめる恵一の顔をじっと視界に入れる。恵一なら、あるいは本当にどうにかしてくれるかもしれない。そんな考えが、走り出す。

「……下校時間なんで、帰って下さい」

 私はそれだけ言い残し、会議室を後にした。


 一人歩く帰り道。トボトボと歩いて行く道は、ひどく長く感じた。ヘッドライトからテールランプまで照らしつける私の姿は、きっとひどく落ち込んで見えたと思う。

「……恋、できない、か……」

 円形歩道橋の階段を上りつつ、ふと呟く。口をついたその言葉は、私の考えを整理していく。

 どうにかする、って言ったって……。

 どうにもならないことも、想像はしないといけない。そんな、簡単なことではないだろうし。

 それに。……どうにかならないと、私は陽平とこのまま友達ですらいられなくなってしまう。それは、本当に嫌だ。

 別々の高校に通ったのと、何も変わらなくなってしまう。あの時間を、無かったことになんてしたくない。それなら……。

 私は。


 恵一と話をした次の日。委員会も終わり、当番の下校の呼びかけも終わった後のこと。

 私は、生徒玄関前で解散しそそくさと下駄箱に向かおうとする陽平を呼び止めた。

「陽平っ」

 その声に、彼は足を止め、角ばった動きでこちらを振り向く。

「な、何かな……」

 夕陽が差し込む、玄関前。伸びてくる影は、私の分も含め、陽平のもとへ集まっていて。それは、まるで、彼の暗い部分が今この場に現れているような、そんな気がした。

 彼は、無理に作った悲しい笑みを私に向ける。いつもの柔らかい表情と比べて、胸が締め付けられる。

 こんな表情をさせたのは、私のせいだというのに。

「ぁ、あの……」

 咄嗟に言葉が出てこなかった。

「……何もないなら……帰るね、僕……」

 そして、陽平は私に背を向けた。

 何か、何か。何か言わないと。

「あ、あのさ……こ、この間のこと、なんだけど……」

「っ……」

「わ、私はっ……『仮に』陽平がそうだとしても……別に、気にしないから……」

 嘘だ。気にしないわけがない。

「いつか言ってた、彼女欲しいと思わないってのもさ……つまりはそれが理由、なんだよね……? ……いいんじゃないかな……仕方、ないよ、ね」

 仕方ないなんて思っていない。

「……自分のペースで……いいと、思うよ……? ごめんね……、急にあんなこと言って……」

 違う。本当は。叶うなら、今すぐ、この十メートルの距離を埋めたかった。

「だから……だから……」

 せめて、陽平の隣で、隣にいて、話すことくらいは。

「……ならさ……」

 陽平は、ゆっくりと私の方を向く。その表情はまるで儚げで。映画のワンシーンのような、そんな表情で。

「……わがままなのはわかってる……。でも……」

 彼の瞳から、雫がひとつ、ふたつ。

「……このまま、友達でいて欲しいかな……」

 ああ、きっとこの後に続く言葉は、優しい陽平のことだから、きっと。

「……本当、ごめん……」

 やっぱり、そうだよね。そう言うよね。

 ……私の、きっとこれが初めての恋は、始まる前に終わって。

 それは、口の中にほろ苦く広がるブラックコーヒーのようで。

 せめて、微糖だったら、よかったのにな……。

 溢れそうな感情を抑えて、答える。

「……うん、わかった……友達、ね」

「あり……がと……。ごめん……僕が……こんなんじゃなかったら……」

「やめて」

 それ以上、言わないで。仮にこんなんじゃなかったとしても、私の恋は叶わなかったのかもしれない。もっとひどいことになっていたかもしれない。だから、たらればの話なんて、しないで。

「……帰るね、私」

 開いた下駄箱の音が、辺りに響き渡る。何一つ音がしない空間を、私は抜けた。


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