第22話 接近戦の反動

 陽平が帰ったあとすぐに私は花火大会のことを聞きそびれたことに気がついた。土日の間モヤモヤとした感情を持ち越して迎えた月曜。

 放課後、委員会のため会議室に向かう途中。

 前を歩く陽平に、私は尋ねる。

「あのさ、陽平、夏休みの最初にさ……花火大会あるよね?」

「……そ、そうだね」

 少し掠れてしまいそうな声で、私は彼に聞く。

「……陽平は、見に行くの?」

「まあ……きっと恵一あたりがみんなで見に行こうって言うと思うから……」

 やっぱり、陽平はみんなでって言うんだね。

 二人で見に行く、なんて全然思ってないんだね。

「……陽平、もし──」

 中央階段に差し掛かったタイミングで、私は「二人で見に行かない?」と切り出そうとした。でも。

「あ、高崎君に茜。これから委員会ですか?」

 中央階段の近くのスペースにある自販機で飲み物を買っていた遥香が、私たちのことを見つけて声を掛けてきた。

 ……タイミング悪いよ、遥香……。

「う、うん。そうだよ、遥香は飲み物?」

「はい、ちょっと休憩を取ろうかと思って……。結構小道具作るのって集中力使うんですね」

「そっか、そうなんだね、じゃああとはよろしくね、私たちは委員会行くから」

「はい、任されました」

 顔の高さでヒラヒラと手を振る遥香。初めて出会った頃からは考えられないくらい打ち解けてきている。でも、今日この瞬間ばかりは、それを後悔せずにはいられなかった。

 口から出かけた誘いの台詞は、もう言い出すことはできなかった。


 委員会の終わり、今日は下校時間ギリギリに終わった。というのも、今日は下校時間になったら帰るよう生徒に言って回る仕事の当番に当たったからだった。

「下校時間でーす、まだ準備をしている人は速やかに帰宅してくださーい」

 菊高には定時制もあり、五時半を回ると定時制の生徒が登校し始める。それまでには全日制の生徒は校舎から出ないといけないみたい。

 そんな言葉を、校舎をぐるっと回りながら掛けていく。

 菊高の学祭は点数をつけて順位を決めることもするらしい。クラ対何位で何点、クラス発表何点とか。あとは準備段階での違反があると減点とか。つまり、この帰宅の指示に従わないとクラスの順位に響くわけで、結構みんな素直に聞いてくれる。

 ……まあ、正直このルールないと、私みたいな一年生が三年生に帰って下さいって言っても聞いてもらえないだろうし……。

 そんなことを思いながら一通り回り切った。他にも陽平や一年生の女子がそれぞれ回っていたのですぐに終わった。生徒玄関前で落ち合い、解散となった。

 帰り際、先週末に話しかけていた女子二人が陽平にまた近づいていた。

「高崎君、家ってどこらへんなの?」

「もし方向同じだったら一緒に帰りたいなーって」

 …………。

 私はその様子をチラッと見てから、下駄箱で上靴からローファーへと履き替える。

「ああ、えっと……僕、ここから歩いてすぐのところに家あるから……」

「え? 高崎君徒歩通学なの? いいなー近くて」

「私たち地下鉄からバスでかなり遠いんだよね」

「そっか……じゃあ、すぐに僕とは分かれちゃうね」

「うーん、残念―」

「……じゃ、じゃあ僕、もう帰るね」

「あっ、うん。じゃあねー」

 私が玄関のドアを抜ける頃には話も終わって、陽平は手早く靴を履き替え外に出た。ササっと外に出たからか、私に追いつく格好になってしまった。

 ……もしかして、陽平、女子のこと、苦手なのかな……? なんか、対応があからさまに硬い、というか……。

 でも、私や絵見に対してはそんなことないし……いや、既にもう仲が良いからか。確かに、出会ってから仲良くなるまでは結構長かった。陽平と今みたいに砕けた仲になったのは、中学二年の春の頃。

 遥香とも、序盤のコンタクトでは陽平が途中で保健室に行くこともあったし……。

 ……もしかして、宿泊研修後、陽平と遥香がギクシャクしたのって……。

 遥香が遠慮していたのもあるけど……陽平にももしかして意図があった?

「……あ、茜……」

 追いついて「しまった」私の背中を見つめつつ、彼は消え入りそうな声でそう言う。

「……帰ろっか? 陽平」

 ここまで来て、もう先に帰ったりなんてさせない。それに。

 聞かなきゃいけないことが、増えたから。

「……う、ん……」

 私は、いつも通りの歩幅で帰り道を歩く。歩いているはず。

 だけど、隣に映っていたはずの陽平の姿は、やがて影だけを残すようになり、そして、気づいたときには影すら見えなくなっている。

 そして私が歩幅を緩めて、また陽平が追い付いて、そしてまた私が陽平を引き離して追いついての繰り返し。

 ……おかしい。おかしいよ、これ。やっぱり。

 どうして二人きりになると、こうなるの?

 夕方六時前。陽も長くなって、この時間でもまだ太陽は残っている。じりじりと照らすアスファルトの歩道は、照り返しこそ強くないものの、微かな暑さをもたらしている。

「ねえ、陽平。聞きたいこと、あるんだけど」

 再び開いていた彼との距離を埋めるため、私は歩みを止める。

 真面目な調子で切り出したからか、陽平も立ち止まり、「……何?」と聞き返す。

 私は、一歩、二歩と戻って、彼のもとに近づいた。そして。

「……陽平ってさ。……女の人、苦手だったりする?」

 そのとき。

「……な、なに、いってるの? あかね……そ、そんなわけ……ないじゃん……」

 一瞬表示がおかしくなるスマホの画面のように、彼の表情が点滅する。色を失って、それを隠すために、また無理に平静を装おうとしている。

 誤魔化しかた、下手すぎるよ、陽平。そんな反応されたら。

 ……悲しくなっちゃうよ。そうなんだなあって、思っちゃうよ。

「そう? ……私には、そう見えなかったけどなあ……」

 私はさらに確信を深めるために、彼の手を取ろうともう一歩踏み出す。

「──っ」

 彼の手は、見えない速さで引っ込められた。それは、紛れもない証明だった。

「ごっ、ごめん僕──」

 一瞬光って見えた彼の瞳は、すぐに私の横をすり抜けて行く。

「──先帰るね」

 靴が道路を叩く音が、次第に小さくなっていく。それと反比例するように、私の後悔が徐々に広がっていった。

 ……詰めた分の、倍以上。かな。

 三年とちょっとかけて積み上げた彼との距離が、関係が。ガラガラと音を立てて崩れ落ちた、そんな気がした。

「……でも」

 思わないよ、だって。

 じゃあどうして、そんなに優しくできるの? でなかったら、私は陽平のことを好きにならなかった。この感情を認めたのはつい最近だけど、きっかけは昔だとわかっている。

 中学三年の、あの一連の勉強会。


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