第7話 喉に溶け残った粉薬のように引っかかる記憶

 翌日。告白を振ったとて、特に何かが変わるわけでもなく、また一日が始まる。今日は実力テストが午前中に組まれていて、午後はまたホームルーム。テストもあくまで実力テストで、成績評価には関係ないものだから気楽と言えば気楽だ。

 教室の雰囲気もそれほどピりついているわけでもなく、和やかなものだ。まあ、ついこの間ピリピリにピりつくイベントを終えたばかりだから、そうやすやすとストレスは溜めたくないよね。

「あーあ、なんでこの間試験やったのにもう試験あるのかなー」

 朝のホームルーム前、僕が教室に入り自席に向かうと、僕の席を占領し背もたれに腕をかけてそう嘆く茜の姿があった。

「……サラッと僕の席座って朝から何言ってるの? 茜……」

 机に荷物を置き、後ろを向いている彼女に声を掛ける。

「あっ、陽平、おはよー」

「う、うんおはよう……」

 茜と一緒にもう話をしていた絵見と恵一も僕の方を向いて、

「茜の言う通り、大丈夫そうで何よりね」

「いやー、昨日結構探し回ったんだけどなー」

 などと口々に言ってくる。

「そ、その件はごめん……ちょっと、色々あって……」

 その「色々」の「一部」を知っている茜は気まずそうに視線を床に落とす。

「ま、別に俺はいいんだけどね、何もないならそれはそれで」

 恵一が言外に「何かあったのか?」と尋ねるような、そんな目線を僕に送る。口では気にしないように言っているけど、それを僕にだけ伝えるあたり、やはり恵一らしい。

「ま、まあ……みんなが心配するようなことはないから、大丈夫」

 その視線に答えるかのように、僕はそう言った。瞬間、恵一の表情が少し和らいだ。

 ……少しだけ、心配をかけたことに対して申し訳なくなった。

 そうしているうちにチャイムが鳴り響き、僕の席の周りに集まっていた茜と絵見は自分の席へと戻っていった。


「あああ……テスト終わったぁぁ……」

 四時間目の英語のテストが終わり、全科目のテストが終了した。それと同時に、恨み節を唱えつつ僕の席に茜が近づいてきた。

「おお、死んだ声をした茜がやって来た」

「だってテストってだけでうんざりなのに入試終わってすぐにこれだよ……、こうなるって恵一……」

「で、今日は一緒に昼食うのか?」

「うん、そうするつもり、少ししたら絵見も来る」

「オッケ―、なら椅子だけ持ってきてよ。俺と陽平の机合わせておくから」

「りょーかーい……」

 昼休み特有の教室の騒がしさが広まる。入学式から何日か経った今日、そこそこクラス内の人間関係も形成されきってきて、ある程度誰が誰とつるむのかというのも確定してきた。そんな四角い空間の隅に。

 一人お弁当を食べている及川さんの姿が見えた。

 自己紹介さえ全部をちゃんと聞き取れなかったし、昨日の班決めも「事実として最後に余って」しまった。多分、まだ友達ができていないんだと思う。……彼女に友達を作る気があるのなら、の話だけど。

 ふと、彼女の机の横に掛かっているカバンについているキーホルダーに目が移った。

 なんか……どこかで記憶があるような、そんな気が……。

「ようへーい、けいいちー、お待たせ―」

 と、そのタイミングに椅子を引っ張ってきた茜が僕らのもとに戻ってきた。視線を左右に大きく動かすと、絵見も自分の椅子を動かしている。

「いつまで声死んでるんだよ茜は」

 机の脇にかけてあったビニール袋から今日のお昼を取り出す恵一は、苦笑いを浮かべつつもそう言う。

「茜の機嫌は楽しいことないと直らないから今日は駄目だね、きっと」

「ちょっとー、絵見までそんなこと言うー」

「さ、食べよ? 四人揃ったことだし」

 絵見の一言で、「いただきます」とそれぞれのお昼ご飯を食べ始める。例によって僕と恵一は菓子パン、茜と絵見はお弁当だ。

「そういえば、陽平って昼はお弁当じゃないんだね」

 綺麗な赤色をしたミニトマトをつかみながら、茜は僕にそんなことを聞いてきた。

「ああ、確かに、陽平は普段自炊しているんだよね、やろうと思えばできそうだけど」

 絵見にも重ねて言われる。

 実際、昨日もああやって麻婆豆腐を作るし、僕は夜ご飯に関してはきちんと自炊をしているつもりだ。ただ、どうしてもお弁当を作るとなると朝一時間くらいは早起きしないといけない。

「朝起きるのがしんどくて……あとお父さん寝てるときとかだと起こすのも申し訳ないしさ……」

 で、つまりはそういう理由で僕はお弁当を作っていない。しばしばたまに、父親が家に帰っているときもある。でも、そういうときは大抵疲れて寝ている場合がほとんどなので料理の音で起こすのは悪い気がする。

「でも、そんな菓子パンで足りるの? まあ、それは陽平だけじゃなくて恵一にも言えるけど」

「俺はもともとそんなに量食べないからこれで十分」

「僕も……まあ、そうかな」

 顔を見合わせる男二人。一般的に食べ盛りと言われる男子高校生だけど、どうやら僕ら二人にはそれは適用されないみたいだ。

「そうそう、昨日の帰りに同じ小学校の赤坂と会ったんだ」

「え? 赤坂って、小四のときに転校して山形に引っ越した赤坂? 茜会ったのか?」

 お弁当の話も終わり、今度は茜達の小学校の同級生の話になる。

「うん、同じ高校に入学したみたいで、八組だって。野球部入って体かなり大きくなってたよ。あれ、多分陽平とか恵一の食事量じゃ話にならないくらい中学のときから食べてるよきっと……」

 あっ、お弁当の話まだ続いてたのね。

「そっか……赤坂も菊高来たんだ……結構同じ小学校の奴いたよな。陽平のところはどうなんだ?」

「え?」

「いや、陽平と同じ小学校の奴で菊高来ている人いる?」

「あー、えっと……どうかな、わかんないや」

 食べ終わった菓子パンの袋を小さく丸めつつ、僕は頬を掻く。

「陽平の学校、菊高から一番近い小学校だから結構いてもいいと私は思うんだけどなあ」

「……僕、小学生のときは全然友達いなかったから、クラスメイトの名前とか全然覚えてないんだよね……」

「それ、毎回聞くけど全然イメージ湧かないんだよね、友達いない陽平って。今の陽平からは全然そんな感じしないもん」

「ははは……まあ、そんなこと言われても……なんだけどね」

 事実は事実なので、これ以上弁明しようはない。……弁明って、別にこれに関しては僕何も悪いことはしてないよね。

「公園で一人で本読んでたりとかしてたよ、小学生の頃は」

「一年中? ずっと?」

 …………。

 恵一のその問いに、一瞬答えが止まる。けど、すぐに僕は、

「うん、ずっと、かな」

 そう、答えた。喉の奥に、何か引っかかるような思いを抱きつつも。

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