第5話 黒くて透明で、

 目が覚めたのは、チャイムの音が鳴り響いたときだった。

 体温くらいまで温かくなった布団から起き上がる。寝る前まであった頭痛は治まり、昼寝をしたことで気分も上々だ。

「ありがとうございました」

 養護教諭の先生にそう言い僕は保健室を出る。どうやらちょうど放課後になったみたいで、校舎は授業が終わって解放された生徒達で騒がしくなっていた。階段を上り、教室にカバンを回収しに行く。その途中。

「あっ、た、高崎君っ」

 ある女子生徒にすれ違い際に呼び止められた。同じクラスではないけど、見覚えがある。すなわち同じ中学校だったっていうこと。

「ちょっと、お話、いいかな……」

「う、うん……」

 僕に声を掛けてきた女子生徒はすると階段を上がって、人気のない最上階の校舎隅、LL教室に連れて来られた。

「保健室、行ってたみたいだけど、大丈夫……?」

「え、あ、うん……もう、大丈夫」

 見られていたのかなあ……い、いや、まあ別にいいんだけど……。

 この流れ……。

 髪をくるりと揺らめかせ、彼女は僕と向かい合った。

「あ、あの……高崎君、中学からずっと……学校祭とか色々イベントを中心になって引っ張っているのとか……見ててずっと……」

 ……ああ、きっと、やっぱり。

「高崎君っ、去年の夏から好きでした、付き合って下さいっ」

 それまで合っていた視線が外れ、僕の視界には頭を下げる彼女の姿が入る。

「……だめ、かな……?」

 それまでしっかりと見えていた彼女の髪の色、少し苺がかった赤みを帯びた頬さえも、その奥に映っていたちらつく粉雪さえも。

 彼女の告白を聞いた瞬間、色を失ったかのようにモノクロにその姿を変えた。

 その次は、心がキュウっと音を立てて締め付けられるような感覚に苛まれる。締め付けられるくせに、温かくもないし、じゃあ逆に冷たいってこともない。

 ただ、締め付けられるだけ。それ以外の感覚は死んでしまう。

 視線をわずかに上げる。見えない位置で自分の右手を握りしめる。それを守るように、左手を添える。


 ……最後に、一瞬過去の記憶がフラッシュバックしてくる。

 言葉にもしたくない、できれば忘れてしまいたい、嫌な事実が。


 ──だから、僕の大切な人はみんな僕の前から消えていなくなってしまう。


 そんな思いが、目の前にいる彼女の告白を断る理由になって。

「……ごめん、高梨たかなしさんとは、付き合えない」

 そっか、そうだ。この子は、高梨って名前だった。確か、中学校で同じ学祭実行委員になったんだ。

「……っ……他に、好きな人がいるの……?」

「……わからない」

「え?」

「僕に、誰かと付き合うってことが……できる気がしないんだ。……だから、ごめんね」

 僕はそう言うと、逃げるようにLL教室から出て行く。

 背中に立ち尽くしている彼女を置いて。

 僕は逃げ出した。彼女の好意から。


 覚束ない足取りで教室に自分のカバンを回収しに向かう。階段を下りると、踊り場で茜と鉢合わせになった。

 ……なんか、今は会いたくないんだよな……女の子と。

「あっ、陽平やっと見つけた。探してたんだよ?」

 少し表情を曇らせた茜は、腕を組んで僕を見つめる。

「……ごめん、ちょっと、ね」

「保健室行くともう出て行ったよって先生に言われるし、ラインも既読つかないし」

「だからごめんって……」

 僕は茜との会話を早々に切り上げ、教室に向かう足取りを再び動かす。

「あっ、ちょっと陽平っ、まだ話終わってない──」

 本日二度目の逃避、間違いなく僕の気分は最悪だ。


 中学生のときにも、二回告白を受けた。でも、僕はそれを断った。別に、タイプじゃないとか、好きな人がいたとかじゃない。むしろいい子だとすら思う。

 じゃあなんで、って話だよね。

 僕の家は片親だ。父親と僕。二人で暮らしている。離婚でも、別居でもない。僕のお母さんは、僕が中学に入学する春に交通事故で死んでしまった。しかも、それは僕も事故で入院していた時期のことで。

 父親は今も当時も仕事で忙しく、僕の面倒を入院中も見てくれていた母親の死は、僕の精神的支柱を失うようなものだった。

 そのころからだろうか。僕のなかに、芽生えたのは。


 ──僕の大切な人はみんな僕の前から消えていなくなってしまう。


 そんな意識が。僕を縛り付ける。

 友達でも、性別を問わず。

 きっと、恵一が今の関係より、もっと仲良くなったら僕がどうなるかはわからない。

 茜や絵見とも、多分今の距離感が今の僕が維持できる最短の関係。

 もし。もし。ないとは思うけど。

 茜や絵見に告白なんてされたら、僕は正気ではいられないと思う。

 つまるところ。


 僕は、恋をすることができないんだ。


 カバンを回収してから、僕は足早に校舎を出た。きっと、連絡をすれば昨日と同じように、恵一達四人で帰れたのだろう。

 でも、僕はそれをしたくなかった。自己嫌悪と告白を振ったことへの罪悪感、これに加えて振った直後に平然と友達と歩いて帰る、そんな人間にはなりたくなかった。

 雪融けが進みつつある札幌の街は、歩道の所々にアスファルトの黒色が雪の色に混じって浮かぶようになってきた。俯きながら進む家路、優先的にそういったアスファルトの部分を歩いていたら、足元の氷に足を滑らせてしまった。

「あっ──」

 ブラックアイスバーンか……。

 そう理解したころには僕のお尻が地面に落下していて、鈍い痛みがジーンと広がる。

「っ……痛っ……」

 少しの間痛みに悶絶していると、軽いクラクションが通りに響く。ふと顔を上げるとどうやらそれは僕に向かって鳴らされたもののようだ。

 ……なるほど、転んだ場所が歩道と車道の境界だったんだ。そりゃ危ないから鳴らすよね……ごめんなさい。

 僕は慌てて立ち上がり、三歩下がって車の通過を待つ。それを確認してから、僕はまた歩き始め小さい車道を横断した。

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