トバリと錬金術の夏休み
柏木雨傘
プロローグ
きゅっきゅっとなる革製のブーツの音。太陽の光と混ざって廊下を照らす蛍光灯。片耳は教室の中から聴こえるざわめきを捉え、もう片耳は現実逃避するように開いた窓から鳥のさえずりを脳に伝達してくる。ああ、この瞬間はこの先何度やっても慣れないだろうな。と、トバリはぎゅっと目をつむりながら目の前の大人の背を追った。
「さーて、トバリくん。名前を呼んだら入ってきて、みんなに自己紹介するのよ。お名前は黒板に大きな字で書いてね。」
分かったかしら、と今日から自分の担任の先生となる女性が首を傾げる。理解はした。けれど心臓が爆発してしまいそうなほど不安で、トバリは抱えている分厚い本をぎゅっと抱き締めた。
おとうさん。僕のこと応援してね。
『魔導書』と呼ばれるそれは、魔術を使うときに必要な媒介品の一種。一般的なのは杖だが、トバリは亡き父の形見のこの魔導書を愛用している。優秀でいつも人々の為に尽くしていた優しい父は、トバリの憧れであり目標だ。会えない存在となっても、自分の心の支えなのだ。
「うん。わかった。」
「いい子いい子。じゃあちょっと待っていてね。」
教師が教室の扉を開けようとするので、トバリは中から自分の姿が見えてしまわないように咄嗟に身を隠した。中からは先生おはよう! という声がたくさん聞こえてきて、前に居た学校との違いに圧倒されそうになった。トバリの居た学校には生徒が初等部から高等部まですべて合わせても三十人しか居らず、しかもそれをごちゃまぜにして教室に詰め込んでいたため初等部はトバリと合わせた四人しかいなかったからだ。こんなにも自分と同じ二年生の子供を見たことがなかった。ルイくん、アヤねぇちゃん、元気にしているかなあ。と、思わず感傷に浸る。別れを告げたのはたった三週間前のことだと言うのに、寂しくて仕方がない。トバリは、自分の事を寂しがり屋で意気地なしな人間だと恥じた。昔家の近くの森で迷ったときのようななんとも言えない孤独感が自分を襲い、トバリは扉の前でただその感覚を追うのに精一杯で、隙間から聴こえていた筈の教師の声をすっかり消してしまっていた。
「トバリくん、入ってきてちょうだい。」
その声でハッと意識が戻る。思っていたよりも早く呼ばれてしまいアタフタしながらも、トバリは教室に入った。無数の視線が突き刺さるのが見ていなくてもわかる。足がすくんでしまうのを必死で抑え、教室の真ん中にある教卓の横までなんとか進んで大きく息を吸った。
「と、トバリ・ツツキミです。よろしくお願いします……」
頭を下げると先生を中心にパラパラと拍手が起こった。少しでも自分の存在を受け入れて貰えたような気がして顔を上げるが、そこには知らない物を興味深そうに見つめる目があった。ヒソヒソと口角を上げて隣りの席の子と何かを話している生徒もいる。トバリにはそれが何だか恐ろしく感じ、生徒たちの顔がすべて同じに見えた。
「はい、じゃあトバリくんに質問ある子はいるかなー。」
先生が皆にそう問いかけると、何人かの手が上がった。質問は、どこから来たの、趣味はなに、などありきたりなもので話しているうちに少しずつ緊張が溶けていき、トバリは小さく安堵のため息を吐き出した。
しかし子供とはとことん白黒ハッキリつけなければ気が済まない生き物だ。白星ばかりあげてきた短い人生を過ごしてきた者がいきなり圧倒的な力を目にしたとして、果たしてあっさりと自分よりも相手が秀でていると認められるだろうか。
「トバリくん凄いっ!」
まず大人ならば諦めという便利な言葉によって同じ土俵に立つことすらしない。その点無邪気な子供はどこまでも勇者である。しかしそれは時に負の感情となり、自分が優位であると思える様になるまで留まることを知らない感情の濁流となる。
「みんな、トバリくんに拍手!」
良くも悪くもトバリは大人であった。そして今まで同い年の子供に滅多に出会わなかった。だから幼いと具合よく心に折り合いをつけることが出来ない者が多数なのだということを知らなかった。先に席へと戻ったトバリの前の解答者、彼が答えられなかった問題をトバリはいとも容易く解いた。喜ぶ訳でもなく教師が促すよりも先に椅子に座ったトバリの姿は、幾人かの少年少女には高慢で横柄な人間に見えた。
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