第54話 剥がされる仮面

 冬音は、槍を回しながら自らもゆっくりと回転して小春に背を向けた。

 すると、回転させていた槍の勢いはそのままに、身体を小春の方へひねりながら、槍を船の櫓のように腰の位置で持って横に薙いだ。

 強烈な槍の一撃を小春が大刀で受け止めた。

 いや、受け止めたのではなく、大刀を斜めにして槍の攻撃を上の方にそらせたのだ。

 大刀を頭上に掲げたまま、小春は冬音の方へと駆け出した。槍の柄と大刀の刃が擦れ合う音があたりに響く。

 小春が冬音めがけて大刀を横に薙いだ。

 しかし、冬音は後ろへと飛び去って小春の攻撃を避けた。

「考えたわね」

 冬音が槍を構えながら笑みを浮かべた。

「私と闘ってこれほど持ちこたえた者は今までいなかったわ。念のため聞くけど、私の下僕として仕える気はない?」

「鬼などに仕える気などない」

「それだけの腕前を持っているのに、失うなんてもったいない話だわ。いい話だと思うんだけど」

「しつこい」

「妖怪がどうして人間のために尽くそうとするのかしら。惚れた男でもいるの?」

「そんなものはいない。鬼を倒すのは私の宿命だ」

 冬音が、小春の話に興味を持った。

「あなた、面白いことを言うわね。剣生の敵討ちかしら?」

「そんなことはどうでもいいだろう」

「私を倒したからと言って、剣生が戻ってくるわけでもないでしょ?」

「師匠は関係ない」

「じゃあ、ますます分からないわね。どうしてあなたが命を賭けてまで闘おうとするのか」

 冬音は微笑みを浮かべた。

「これはお互いのためなのよ。闘いを止めて、あなたが私に仕える。私は素晴らしい仲間が得られるし、あなたも死ななくて済む。何が不満なの?」

 長い間、沈黙の時間が流れた。小春も冬音も動きを止めていた。まるで、時間そのものが静止したかに見えた。やがて沈黙を破り、小春が冬音を睨んだまま真実を話し始めた。

「この刀は、鬼を滅ぼすためだけに生まれたもの。そして私はこの刀の真の所有者。それだけ聞けば満足だろう」

 冬音の表情は変わらない。しかし、その視線が小春の顔から刀に向けられた。

「じゃあ、どうあっても私とは組まないということね」

 小春は刀を構えたまま沈黙を守った。

「そう、残念だわ。じゃあ、悪いけど死んで頂戴」

 冬音の顔から笑みが消えた。


 霧に煙る森の中、三玉は木の間を縫いながら走っていた。その後ろを鬼が追いかける。

 三玉は、できるだけ木の密集したところを選んで走った。狭い場所は鬼が通ることはできない。どうしても遠回りすることになり、その分だけ鬼の足は遅くなる。これが三玉の秘策らしい。

 しかし、三玉と鬼の間の距離が変わることはなかった。狭まることはないが、遠ざかりもしない。これは三玉にとって誤算であった。鬼から離れてしまえば、どこにいるか分からなくなるだろうと考えていたのだが、これではやがて自分の方が疲れてしまい、追いつかれてしまう。

 三玉にはもう一つ、心配なことがあった。森の中にいる鬼は一体だけではないだろう。もし、他の鬼に見つかれば、ますます自分が不利になる。鬼たちが協力し合うのかどうか分からないが、挟み撃ちにでもされてしまえば一巻の終わりだ。

 果たして、悪いことは起こるものである。後ろを振り向くと鬼が増えていたのである。しかも二体ではない。三体の鬼が自分を追い掛けている。

 もう長いこと走ってきた。さすがに疲れが出てきたのか、鬼との距離がだんだん狭くなってきた。

 一体の鬼が、棍棒を振りかざそうとする。しかし、周りの木が邪魔をしてそれはできなかった。すると、鬼は棍棒を槍のように三玉めがけて投げつけた。

 あわや、もう少しのところで三玉に直撃するところであったが、棍棒は三玉のすぐ右側をかすめて地面に激突した。それを見た三玉が慌てて左側へ逃げる。

 そこは少し開けた場所であった。鬼にとって邪魔な木はない。距離が一気に縮まり、鬼たちは三玉を攻撃できるようになった。

 鬼が棍棒を地面に叩きつける。三玉は衝撃波で茂みの中に吹き飛ばされた。胸のあたりに痛みが走る。苦しげに息をしながら、三玉はすぐに近くの木の陰に隠れた。

 鬼たちは、三玉が飛ばされた茂みの近くまでやって来た。しかし、目標を見失ったらしく、あたりをキョロキョロと見回している。

 三玉は、鬼が立ち去るのを辛抱強く待ったが、鬼はずっと立ち止まったままだ。まるで、相手が動くのを待ち構えているように見える。三玉は危険を承知の上で、鬼たちから遠ざかるべく移動すべきかどうか悩んだ。

 そのとき、遠くから声が聞こえてきた。

「兵士長、どこですか?」

 佐助の声だ。応援を連れて戻ってきたのだ。

 だが、三体の鬼を相手にするのは無理がある。三玉は思わず佐助の声のする方へ駆け出した。

 その音に鬼たちが反応した。いや、その前に佐助の声で、他に人間がいることは把握している。鬼たちの行進が再開した。


「兵士長、いたら返事をして下さい」

 佐助は、大声で叫びながら周囲を見渡していた。鬼がいるかも知れないというのに、なんとも軽率な行動であるが、それだけ三玉のことが心配なのだろう。それに、仲間を六人も連れてきたこともあり、倒せるという自信もあった。

 すると、少し離れたところから声がした。

「逃げろ、鬼が来るぞ」

「兵士長!」

 声の方を見ると、三玉がこちらへ向かってくるのが見える。佐助の顔に笑みが浮かんだ。しかし、その笑みはすぐに消えた。三玉の背後にいる三体の鬼に気づいたのである。

「鬼は三体いる。相手にするのは無理だ。逃げるぞ」

 三玉はもう間近に迫っていた。鬼たちも同様だ。佐助を含めた七人の兵士たちは、踵を返して逃げ始めた。


 山の頂への石段を、晶紀はできる限りの速さで駆け上がっていた。

 石段には落ち葉が重なり、走る度に乾いた音を立てる。

 陽射しを浴びて空気は暖かく、しかし山の頂から吹く風は冷たく、火照った顔を冷やしてくれた。

 この山へは、いつか冬音に連れられて儀式のために登ったとき以来、訪れてはいない。

 暗がりの中、炎で浮かび上がる冬音の顔が不気味な笑みを浮かべていたときのことを晶紀は思い出した。

 もし、冬音にもう一度会うことになったら、自分がどういう態度をとるのか、晶紀は分からなかった。

 自分を裏切った冬音に対して怒りをぶつけるのだろうか。それとも、悲しみに涙を流すのだろうか。

 そんなことを考えていたら、いつの間にか山の頂に近づいていた。

 そして、金属どうしがぶつかった時のような鋭い音が響いてきた。

(誰かが争っている?)

 小春が鬼と闘っているのではないかと思い、晶紀は息を凝らして山頂へとゆっくり登っていった。

 儀式の舞台を見て晶紀は驚いた。

 晶紀が見たのは、雪に覆われた一面の白い世界の中で、二人が闘っている場面だった。

 一人は小春、そしてもう一人、白い衣装に身を包み、槍を振るう女性は冬音であることが分かった。


 小春と冬音は少し離れた状態で、お互いに睨み合っていた。変わらぬ佇まいの冬音に対し、小春は息が上がっている。手や足にはいくつかの傷があり、白い肌に赤い血が滲んでいた。

「そろそろ限界かしら。じゃあ、これで終わりにしてあげる」

 冬音は、槍を横に構えた。切先は下げた状態だ。おそらく、足を払うつもりなのだろう。

 お互い、じりじりと間合いを詰めていく。小春は、冬音が足を払うと見せかけて違う攻撃を考えているのではないかと怪しんだ。

 冬音が大きく一歩踏み出した。

 槍の切先が小春の足元へと迫った。やはり、足を狙ってきたようだ。

 小春は大きく前方へと飛び跳ね、大刀を振り上げた。狙うは冬音の脳天だ。

 しかし、冬音は踏み出した足を元に戻した。それと同時に槍を自分の方へと引きつけ、その切先を空中に浮かんだままの小春の胸へと差し向けた。

 避けることができない小春は、左手で槍をつかもうとしたが、あまりに速く強い一撃に切先の軌跡を変えるのが精一杯だった。

 槍の切先が、小春の脇腹へと突き刺さる。それでも、小春は右手に持った大刀を冬音めがけて振り下ろした。

 冬音の右腕を刀の切先がかすった。その腕から黒い血が流れる。

「まさか、傷をつけられるとはねえ」

 冬音が槍を引き抜いたところが赤くにじんだ。小春は、その場に崩れるように座り込んでしまった。

「小春さん、もう一度聞くわ。私に仕える気はない?」

 小春は、苦しげな表情を冬音に向けた。

「断る」

「・・・残念ね」

 冬音が、槍を構えたときである。

「待って下さい!」

 冬音と小春は、声のした方を向いた。

 晶紀がこちらへ駆けてくるのが見えた。

「晶紀?」

 晶紀が、小春の横に座り込み、頭を下げながら

「お待ち下さい、冬音様。どうか、小春様を殺さないで下さい」

 と嘆願した。

「晶紀さん、逃げるんだ」

 小春が思わず叫んだ。

「小春様を助けていただけるのなら、私の大事にしている物をお渡しいたします」

「大事にしている物? なんだい、それは?」

 晶紀は、懐に手を入れた。しかし、少しの間、晶紀は懐にあるものを差し出すことをためらった。

「いったい、何を出すんだい?」

 晶紀が動かないのを見て、冬音はじれったくなって強い口調で尋ねた。

 晶紀は、小春の顔を見た。小春の苦しそうな表情を見て、晶紀は決心した。

「これでございます」

 そう言って、晶紀が差し出したのは『鬼の涙』だった。


「それは・・・宝石かい?」

 晶紀が差し出した両手の中に、透き通る石があるのを冬音は見つけた。

「晶紀さん、どうしてそれを?」

 小春が驚いた顔で晶紀の方を見た。

「こちらへ持ってきなさい、晶紀」

 冬音の命令に従い、晶紀はすっと立ち上がると冬音の方へ近づいていった。

 冬音は『鬼の涙』を手にした。

 その澄んだ石の中央に、炎のような揺らめきが見える。

 冬音は、その炎に魅せられ、目が離せなくなった。

「これは美しい・・・」

 炎はまるで自分の周囲を照らすかのように大きく、明るくなっていった。

 自分がその石に引き込まれていくような感覚を覚えた。

 やがて、自分の意識が遠のいていくような気がして、冬音は危険を感じた。

 しかし、目をそらすことができない。すでに炎は目の前になく、あるのは深い闇だけだった。

 突然、冬音は真正面を向き、持っていた槍を手放して、腕を横に伸ばした。

 この世の者とは思えぬ、甲高くおぞましい叫び声に、晶紀も小春も心臓が止まるかと思うほど驚いた。

 美しい冬音の顔から、皮がめくれていく。顔だけではない。腕や足の皮も、まるで虫が脱皮をするかのように下へ落ちていった。

 晶紀は、その姿を見て戦慄した。人間の死体を使い、身体を覆っていたものがぼろぼろと崩れ落ちていく。

 崩れ去った冬音の手から『鬼の涙』がこぼれ落ちた。

 『鬼の涙』は、偶然にも冬音の持っていた槍の切先にぶつかった。

 その槍の鋭さによるものか、それとも今まで吸い込んできた魂が満杯になったからなのか、『鬼の涙』が粉々に割れた。

 何か、白い帯のようなものが、その割れた石の中から一斉に現れ、天へと昇っていく。

 空が黒く染まり、その中に白い帯が吸い込まれていった。

 すべての白い帯が暗黒の空へと消えてしまうと、空の色は元の澄んだ青色に戻った。元は冬音だった肉片は、黒い煙とともに消えてしまった。

 静寂があたりを包む。後に残ったのは、冬音が持っていた槍だけだった。


 晶紀は、その場に座り込んだ。自分のした事が思いもよらない結果になり、恐ろしくなったのだ。

 『鬼の涙』が何か危険な代物であるとは感じていた。しかし、まさか冬音がそれで倒せるなどとは思ってもいなかった。

 ただ、小春を助けるために、冬音の好きな宝石を渡そうと考えていただけだった。

 しばらくの間、晶紀は呆然と冬音の持っていた槍を見ていた。

 しかし我に返り、小春の方へと慌てて駆け寄った。

 小春は、脇腹を押さえた状態でうずくまっていた。

「小春様、お気を確かに!」

「やったな・・・晶紀さん」

 小春はそう言うのがやっとだった。あたりの雪が真っ赤な血で染まっている。出血が止まらないようだ。

「小春様!」

 もはや、小春は返事をしなかった。


 大府の北門は破られた。頑丈な鉄の扉が、音を立てて倒れてしまった。兵士たちは、その下敷きにならないよう逃げるだけで精一杯だ。

 今や、鬼たちは大府の中へ、禁断の地へと足を踏み入れようとしていた。

 だが兵士たちは最後まであきらめなかった。門から続く大通り、鬼から少し離れた場所で横並びに列を組み、弓矢を使って鬼に対抗する。

 鬼はきちんと三列に並んで行進してきた。先頭の三体が矢に目を潰されて倒れるが、その体を踏み潰して後ろから大量の鬼が押し寄せる。

 矢も底を突き、残るは刀のみとなった。絶望的とも言える状況の中、兵士たちは逃げることなく刀を構えた。その兵士たちの前に、鬼たちが押し寄せる。

 三体の鬼が、兵士たちを見下ろしている。嵐のように吹き荒れる殺気の渦に晒され、卒倒する兵士も中にはいた。持ちこたえている兵士たちも、体の震えを抑えることができない。

 中央にいた一体の鬼が、棍棒をゆっくり頭上に振り上げた。いよいよ、最後の闘いが始まろうとしていた。

 しかし、鬼は棍棒を高々と持ち上げたまま動かない。ここで更に、兵士たちを恐怖の渦に巻き込もうとしているのだろうか。

 いや、どうも様子がおかしい。鬼の体が大きく揺れている。持ち上げた棍棒が、その手から離れ、大きな音を立てて地面に落ちた。他の鬼たちも、体を揺らし始めた。

 兵士たちは、目の前に繰り広げられる光景が信じられなかった。鬼たちの体から、黒い煙が立ちのぼり始めたのだ。鬼の体が溶けるように崩れていく。黒い煙は兵士たちの下にも漂い、視界を遮った。

 昼間だというのに、あたりは真っ暗になった。兵士たちは、何が起こったのか分からないまま右往左往するばかり。鼻をつく腐臭が漂い、目を刺激して開けていられなくなった。

 その煙が消え去り、ようやく周囲の状況が分かるようになって、兵士たちは唖然とした。あのたくさんの鬼たちが、消えていなくなったのだ。

「どういうことだ?」

 誰かがつぶやいた。それに他の一人が答えた。

「鬼は集落を襲わない。その禁を破ったからじゃないのか?」

 すぐに反論があった。

「それなら、なぜ大府を襲うような真似をしたんだ? 自殺するようなものだぞ」

 誰も、それ以上、口を開く者はいなかった。ただ、呆然と破壊された北門を眺めるだけであった。


「このまま逃げていても無駄だな。さっきみたいに同士討ちを狙うか」

 三玉は走りながら、皆に聞こえるように叫んだ。

「うまくいくとは限りませんよ。それよりも堀まで逃げましょう」

 佐助が叫ぶ。

「まさか、堀に飛び込むつもりか?」

「さすがに、いっしょに堀へ飛び込むことはないでしょう」

 三玉は少しの間、押し黙っていたが、決心したのか笑顔で答えた。

「分かった。全員、泳げるよな?」

 もう少しで森を抜けることができそうだ。しかし、鬼はかなり近づいていた。堀にたどり着くのが早いか、その前に攻撃を受けることになるか、判断できない状態だ。

 鬼の一体が、棍棒を振り上げようとした。衝撃波で兵士たちを吹き飛ばすつもりだろう。しかし、またも木が邪魔をして振り上げられない。今度は投げることはしなかった。その代わりに地面を棍棒で突いた。

 土砂が吹き飛んで兵士たちを襲った。大小さまざまな石が体にぶつかる度に、うめき声が聞こえる。それでも手で頭を覆いながら、兵士たちは走り続けた。

 森を抜け、堀との間の道にたどり着いた。スピードを緩めることなく、八人の兵士は一斉に堀に飛び込んだ。

 これで逃げられたと誰もが思っていた。しかし、鬼は予想以上に執拗だった。なんと、三体の鬼がいっしょに堀へ飛び込んだのだ。

 兵士たちが水しぶきを上げて水の中に落ちた後、今度は鬼が巨大な水柱を立てた。鬼の落ちた衝撃で、兵士たちの体が水の底近くまで押しやられる。

 果たして、鬼は泳げるのだろうか? 浮かぶことはできるのだろうか? 堀は鬼の身長以上に深く、浮かび上がらなければ息をすることはできない。鬼が息をする必要があるのか、それは分からないが。

 兵士たちは慌てた。できるだけ鬼から遠ざかろうと、必死になって手足を使い、水を掻いて泳いだ。幸い、鬼たちは頭から落ちたため、姿勢を戻すのに手間取っていた。その間に兵士たちは水面に浮かび上がり、堀の石垣に近づいた。

「全員、無事か?」

 三玉がそう言いながら、頭数を数えた。全員の姿があって、三玉はほっとした。

「まさか、一緒に落ちてくるとは・・・」

 兵士の一人が話し始めるのを三玉が制した。

「今は逃げるのが先決だ。石垣を登るぞ」

 鬼たちは浮かんでこない。泳ぐことができないのだろう。しかし、油断はできないと三玉は考えていた。そして、その考えは正しかった。

 三玉たちが石垣を登り始めたとき、水面から鬼の腕が突然現れた。鬼たちもまた、石垣を登ろうとしているのだ。

 鬼たちは泳ぐことも浮かぶこともできない。水底を歩いて石垣まで近づき、指ではなく爪を石垣の隙間に器用に差し込んで、登り始めたのだ。

 内側の石垣は、隙間なく石が積まれていて、指を差し込む場所などなく、登るのは不可能だった。それに対して、外側の石垣はわざと隙間を大きくとって、登りやすくしていた。堀に落ちた場合に自力で上がれるようにしたのだろう。そのため、体の大きい鬼でも登ることが可能なのだ。

 下を見れば、鬼の上半身が水面から姿を表していた。

「いかん。奴らも登ってくるぞ」

 鬼は体が大きい分、登るのも早かった。石垣を登る兵士たちの中で、しんがりを務めていたのは三玉だった。その足に、鬼の手が伸びる。

 三玉は右手で石垣を掴みながら、左手を使い、刀を逆手の状態で抜いて、鬼の手に突き刺した。鬼が手を引っ込めるのを見て、刀を口でくわえて急いで登ろうとするが、胸の痛みが激しくてそれができない。

 また、鬼の手が伸びてきた。別の鬼が三玉を捕まえようとしているのだ。もう一度、刀で斬りつけようと片手に刀を持ったが、今度は鬼の方が早かった。足を捕まれ、三玉は悲鳴を上げた。

「兵士長殿!」

 三玉の様子を上から見ていた佐助が叫んだ。

「構うな、早く登るんだ」

 そう叫びながら、三玉は自分の足を掴んでいる鬼の手に斬りつける。しかし、鬼は放そうとはしなかった。そのまま引っ張ろうとする鬼の力にかなうはずもなく、三玉は石垣に体を擦り付けられるように下へと落ちていった。

 三玉は死を覚悟した。このまま水中に沈められるか、握りつぶされることになるだろう。それでも、持っていた刀を鬼に向かって投げつけると、必死になって石垣をつかもうとする。幸運にも、途中で手を引っ掛けることができて、水中に落ちるのは免れた。

 しかし、鬼の手は、三玉の足を掴んだままである。引き込もうとする動きが何故かピタリとなくなった。投げた刀がヒットしたのだろうか。

 三玉が下を見ると、三体の鬼が全て、まるでぜんまいの切れたおもちゃのように動きを止めていた。その体から、黒い煙が立ちのぼる。煙は三玉の周りに漂い、視界を遮ってしまった。その腐臭に顔をしかめながら、なんとか下の状況を確認しようと目を凝らすが、もはや何が起こっているのか分からない。そのうち、何かが水の中に落ちる音が聞こえてきた。鬼が落ちたにしては音が小さく、しかも何度も聞こえてくる。鬼はバラバラになってしまったのだろうかと三玉は思った。

「兵士長殿!」

 頭上から声が聞こえる。佐助が下まで下りてきたのだ。

「大丈夫だ。生きてるよ」

 三玉は、上に向かって叫んだ。

「いったい何が?」

「分からん。だが、おそらく小春殿のおかげだろう」

「では、晶紀さんは無事にたどり着いたのですね」

「とりあえず、まずはここを登ってしまおう」

 そう言って、三玉は再び石垣を登り始めた。

 三玉が道端までたどり着いたときには、黒い煙は消えていた。仰向けに転がり、しばらくは苦しげに息をしていた三玉が、再び堀の中を覗き込んでみるが、鬼の死体はどこにも見えない。普段の堀となんら変わらない状態だ。

「どうやって鬼を葬ったのだろうか? 妖術か?」

「ここの鬼が消えたのなら、門にいた鬼たちもいなくなったのでは?」

「小春殿も晶紀殿も、北門のあたりにいるかも知れぬ。いったん戻ってみよう」

「そうですね。兵士長殿の傷の手当もしなければ」

 三玉たちは、北門へと向かった。


 北門のひどい有様を見た三玉たちは皆、絶句したまま立ち止まってその光景を見ていた。

 しばらくして、佐助がようやく口を開く。

「これはひどい」

 それだけしか言葉にならない。他の者は押し黙ったままだ。

 壊れた門の近くにいた兵士たちを見つけ、そちらに近づいてみる。

「鬼たちは?」

 三玉が兵士の一人に尋ねた。

「三玉殿、よくぞご無事で・・・ 鬼は黒い煙に包まれて消えてしまいました。まるで夢を見ているようでして」

「我らも鬼に追い回されていたんだ。もう駄目かと思った時、同じように黒い煙に包まれて鬼がいなくなった」

「いったい何が」

「小春殿のおかげだと思っているのだが、小春殿はこちらには?」

「小春殿? いや、そのような方はこちらには来ておりませんが」

 三玉は、自分が外に出た目的が小春を探すためであること、その小春が鬼退治の専門家であることを説明した。

「私は、妖術の類で鬼を消したのだと思ったのだが」

「もしそうなら、すぐにでも鬼を滅ぼせそうなものですが」

「そう言われればそうだな。どうやって鬼を消したのか、本人に直接尋ねなければ分からんようだ。いずれ、晶紀殿と一緒にここに来るだろうから、しばらく英雄殿の帰還を待とうではないか」

「その前に、兵士長殿は傷の手当をしないと」

 佐助が横から口を挟んだ。

 こうして、兵士たちは小春が来るのを待っていたが、晶紀も小春も一向にやって来る気配はなかった。

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