第52話 思いがけない援軍

 晶紀は小春のいる根城へ向かうために、大府の通りを北へ進んでいた。

 晶紀は、小春がいつの日か、二度と会うことのできない遠くの世界へと旅立ってしまうのではないかと感じていた。

 鬼を全て倒したとき、小春の使命は終わる。その後は、刀を人間に戻して自分は消え去るつもりなのだろうと晶紀は思っていた。

 それが不安で仕方なくて、晶紀は店の仕事がないと必ず小春に会いに行った。この世界から小春が消え去ってしまうことが耐えられないのだ。

 鬼がいなくなれば、大府には平和が訪れるだろう。

 しかし、すぐには鬼に滅んでほしくはないとまで考えていた。

 このまま、時が過ぎてくれればと願っていた。

 北門の近くまでやって来て、門が閉まっていることに気がつき、晶紀は首を傾げた。見れば兵士たちが門の周りに集まっている。まるで巨大な釜を棍棒で殴りつけるような音が聞こえ、晶紀は胸騒ぎがして門に近づこうとした。

「こんなところで何をしているんだ?」

 背後から声がして、晶紀は思わず叫んだ。振り向けば、一人の男性が晶紀のことを訝しげに見ている。少年のような顔立ちで、背丈も晶紀とあまり変わらない。しかし、帯刀しているところを見ると、一応兵士らしい。とても兵士が務まるようには見えなかった。

「外に行こうと思ったのですが、いったい何が?」

 晶紀がそう尋ねると、兵士はあきれ顔で口を開いた。

「我々の声が届かなかったのか? 今、大府は鬼の襲撃に遭っている。すぐ家の中に身を隠すんだ」

「まさか、そんな・・・ 鬼は集落は襲わないはず」

「どうやらそれは間違っていたようだな。実際、ああやって攻撃されているんだ。さあ、すぐに避難しなさい」

「それなら、小春様が助けてくださいますわ」

「小春? ・・・桜雪殿と一緒に旅をしたという、鬼退治の専門家か?」

 この兵士は、小春のことを聞いたことがあるらしい。晶紀は

「そうです。小春様は今、大府の北東にいます。私が助けて下さるようにお願いしてきます」

 と答えたが、兵士は首を横に振った。

「危険過ぎる。外には数え切れないほどの鬼がいるのだぞ。もしかしたら、小春殿もすでに倒されてしまったのかも知れぬ」

 晶紀はその言葉を聞いて小春のことが心配になった。

「そんな・・・ お願いです。私を外に連れて行って下さいませ」

「無茶なことを言うな。死にに行くようなものだぞ」

「小春様は、私の命の恩人です。私は何度もあの方に救われました。今度は、私がお救いしなくては」

「いったい、どうやって助けるつもりなんだい? あなたが鬼を倒すとでも?」

 そう言われると晶紀は何も言えなくなってしまった。

「さあ、鬼のことは我々に任せて、あなたはどこかに隠れていなさい」

 うつむいていた晶紀が、兵士をきっと睨みつけた。

「皆様方のお力だけで、鬼を防ぐことはできますか?」

 今度は兵士のほうが何も言えなくなってしまった。晶紀の言動に呆れてしまったのだ。

「小春様は鬼を倒すため、この世に生を受けたお方です。あの方のお力をお借りしなければ、この難局を乗り切ることはできません」

「小春殿一人で、あの大量の鬼どもを倒すことができると?」

 兵士は薄ら笑いを浮かべて尋ねた。その問いに、晶紀は大きくうなずく。

 兵士が笑い出したのを見て、晶紀は大声で叫んだ。

「あの方は、鬼を滅ぼす剣の守護者として生まれたのです。鬼を滅ぼすのが運命と、素直に従って・・・」

 晶紀の目から涙があふれ出した。しかし、晶紀は話を止めない。

「私は、あの方の苦しみを少しでも和らげてあげたい。少しでも長く生きてほしい・・・」

 晶紀はそれ以上は言葉にならず、泣き崩れてしまった。兵士は、その場に晶紀を置いたまま立ち去るわけにもいかず

「頼むからどこかに隠れてくれ」

 と懇願するが、晶紀は首を横に振るばかりだ。

「分かった、とにかく付いてきなさい」

 兵士は、今の状況をひと目見ればあきらめるだろうと思い、門の近くまで晶紀を連れて行くことにした。


「その娘はどうしたんだ」

 兵士長らしき人物の声に、兵士は

「それが、どうしても外に出ると言って聞かないので、今の状況を見せようと思いまして」

 と言った後、晶紀のほうへ振り向いた。

「これを見れば分かるだろ? 門の前には鬼の大群がいる。蟻の這い出る隙もないよ」

 門扉に棍棒を叩きつける音がやかましく響き渡る中、兵士は大声で晶紀に叫んだ。

「隠し通路などはないのですか?」

 それでも晶紀はあきらめない。

「娘さん、私は兵士長の三玉と申す者です。どうして外へお出になりたいのか、訳をお聞かせ願えませんか?」

 三玉と名乗ったその男は、丁重に晶紀に尋ねた。般若の面のような顔をしているが、表情は穏やかだ。晶紀は、先程と同じ話を繰り返す。

「小春殿と言えば、桜雪が滅法強いお方だと話していたな。確かに助けてもらえれば心強いが、あなたが外に出るのは危険過ぎる。我々が呼んで来ようではないか」

 その提案を聞いて、晶紀は首を横に振る。

「そんな、皆様方に危険な任務をお願いするなんてできませんわ」

「しかし、我々のほうが小春殿の下にたどり着く可能性は高いですよ」

 そう言われると晶紀も言い返すことはできない。しばらく口を閉ざしていたが、ぱっと三玉の顔を見て

「私も皆様にお供します」

 と言い出した。三玉は面食らって晶紀の顔を見ていたが、やがて笑みを浮かべて

「よほど小春殿のことが心配なのですな」

 と尋ねる。すると晶紀はこう話し始めた。

「私は、いつか小春様に恩返しできることを願っていました。今が、その機会のように思えてならないのです。小春様の下へ行かなければ後悔する気がするのです」

 話を聞いている間、三玉は晶紀の目をじっと見つめていた。晶紀が話し終えた後もその目を離さなかった。晶紀も、三玉の目を凝視している。

「分かりました。では、我々はあなたの護衛役として行くことにしよう」

 その言葉を聞いた兵士が驚いて三玉の顔を見た。

「連れて行くおつもりですか?」

「この娘さんの決心は堅い。たとえ一人になっても外へ出ようとするだろう。ならば、我々が一緒にいたほうがまだ安全だ」

 驚き尋ねる兵士に向かって、三玉は笑顔を見せた。そして、晶紀の顔に目を向けると話を続けた。

「娘さん、今のままではいずれかの門が破られ、大府は鬼たちによって蹂躙されるだろう。だから私は、あなたの小春殿を信じる心に賭けてみることにした。しかし、あなたも我々も命を落とす危険はある。それは覚悟しておいて下さい」

 晶紀がうなずくのを見て、三玉は兵士に命じた。

「佐助、斬り込み隊の伊之助を連れて来てくれ。三人で行くことにしよう」

 佐助という名のその兵士は、覚悟を決めたのか、一度うなずいてすぐに走り去った。

「三玉様、どうやってここから外に出るおつもりですか?」

 晶紀が三玉に尋ねる。

「この大門には潜戸は付いておらぬ。門を閉めてしまえば、地上から出入りはできなくなるが、実は地下に秘密の抜け穴があってな」

 三玉はそう言った後、晶紀に片目をつぶってみせた。


 いつの間にか、空を黒い雲が覆っていた。

 雲の中で稲妻が光り、その度に雲の形が顕になる。

 吹き飛ばされた雷縛童女は、突進してきた相手を見て驚いた。

「貴様は雷獣か」

 藍色の毛に覆われた身体に青白い火花を散らし、雷獣が現れた。

「なぜ、人間の味方などをするのか?」

 雷縛童女が尋ねたが、雷獣は雷縛童女のほうを睨んだままだ。

 雷獣が、雷縛童女に突進してきた。恐るべき速さだ。

 しかし、雷縛童女は横に避けながら、雷獣の横腹を爪で引っ掻いた。

 すぐさま雷獣が身体を雷縛童女のほうへ向け、前足を振り上げたが、そのときには雷縛童女の姿はない。

 雷縛童女は、真上に飛び上がっていた。そのままストンと雷獣の背中にまたがると、雷獣の首を右手の爪で突いた。

「格下が、調子に乗るんじゃないよ」

 雷縛童女の爪が、雷獣の首に飲み込まれてゆく。雷獣は身体を痙攣させ、首を上へと持ち上げた。

 雷縛童女は爪を引き抜こうとした。しかし、爪が抜けない。

 雷獣は、首の筋肉を締めて、雷縛童女の動きを封じたのだ。

「この、離すんだよ!」

 雷縛童女は、左手の爪で雷獣の頭を裂いたが、雷獣はその攻撃に耐えた。

 雷獣が、地面を蹴って高く飛び上がった。それと同時に身体を反転させて、雷縛童女が下になるようにした。

 雷獣の身体が地面に激突した。雷縛童女はその下敷きになり、首だけが外に出ていた。雷縛童女の怪力を持ってしても、雷獣の身体を動かすことができない。

「覚悟!」

 何とか立ち上がった桜雪は、雷縛童女と雷獣のいる場所まで近づき、刀を雷縛童女の額にある目に突き立てた。

 恐ろしい断末魔の悲鳴が上がった。この世のものとは思えない咆哮であった。その声に、桜雪でさえも肝が潰れた。

 やがて、黒い煙が雷縛童女の身体を包んだ。その姿が消え去ると同時に、雷獣の姿も見えなくなっていた。

 後に残ったのは、一匹の血まみれになったモモンガであった。モモンガはすでに息絶えていた。


 桜雪はがっくりと膝を突いた。刀を杖の代わりにして、荒い息をしながら、鬼の身体のあったであろう地面を眺めていた。地面には、死体はおろか、なんの跡も残されていない。ただ、鬼の寝転がっていた場所に生えていた草は全て枯れていた。

 呼吸が落ち着いたところで何とか立ち上がり、モモンガの遺体のほうへと近づく。

 刀を鞘に収め、すでに動かなくなった血まみれのモモンガをそっと両手で抱えると、その姿をじっと見つめながら

「俺たちを助けてくれたのか?」

 とつぶやいた。しかしモモンガは、その問い掛けに答えてはくれない。

「桜雪さん、大丈夫ですか?」

 その声に、桜雪は驚いて振り向いた。

 傷を負ったはずの正宗が、心配そうに桜雪のほうを見ていたのだ。

「お前、怪我はどうしたんだ?」

「月影さんのおかげで治ったんですよ。彼は、傷を癒やす力があるようなんです」

「癒やしの力?」

 月影が、正宗の後ろにすっと現れた。

「間に合ってよかった。死んでしまっては手の施しようがないですから」

 そう言いながら、月影は笑みを浮かべた。

「その遺体はもしかして・・・」

 桜雪の抱きかかえていた血まみれの遺体を見た正宗が、最後まで言わず口をつぐんでしまった。

「いつの日か、命を助けた雷獣であろう」

 目を閉じ、まるで眠っているかのようなモモンガの身体を桜雪はやさしく撫でた。

「なあ、正宗よ」

 桜雪は、モモンガの亡骸から目を離すことなく正宗に声を掛けた。

「なんですか?」

「俺たちは、こいつに助けられたことになるな」

「そうですね」

 桜雪は、しばらく無言のまま、亡骸を見ていた。正宗も、月影も、声を掛けることはできなかった。

「大府は、妖怪たちに助けられてばかりだな」

 そうつぶやくと、今度は正宗と月影のほうを向いて

「こいつの墓を作ってあげよう」

 と言って荷車へと歩き出した。


 黒い雲はいつの間にか消え、また青空が広がっていた。

 桜雪は、荷車に積んであった鍬を手に取り、地面を掘り始めた。

「桜雪さん、身体のほうは大丈夫なんですか?」

「多少痛みはあるが、大丈夫だ」

 鬼の突進をまともに受けたのであるから、かなりのダメージを受けているはずだが、桜雪は苦にもならないというような顔で黙々と穴を掘った。

 モモンガの遺体を穴の中にそっと横たえ、しばらくその姿を眺めていたが、やがて鍬を使い土をかぶせ始めた。その姿を、正宗や月影をはじめ全員が見守っていた。

 石を積み重ねて墓標にする。桜雪は、土をかぶせたところに手を添えながら

「この恩は決して忘れぬ」

 とつぶやいた。

「桜雪さん、少し休んだほうがいいんじゃないですか?」

「いや、このまま大府まで進もう」

 一度はそう言った桜雪であったが、心配そうにしている正宗の顔を見て考えを改めた。

「やっぱり休むことにするよ。鬼の体当たりは身に応えたからな」

 桜雪は、ようやく笑顔になった。


 小春は、山の石段を上っていた。

 山の頂のほうから強い風が吹きつけてくる。時々その風に乗って飛んでくる落ち葉を避けながら、小春はゆっくりと歩を進めていた。

 儀式の場所へ着くと、しばらくは立って何者かが現れるのを待っていたが、それに飽きたのか石段に腰掛けて大府の街並みを眺め始めた。

 もし、翼があれば、空からなら大府の中に入れるかも知れないと小春は思った。

 剣生の子供だと信じていた小春は、天狗は空を飛べるのだから自分もいつかは飛べるのだと思っていた時期があった。

 それをあきらめたのはいつだったか、記憶は定かではない。

 今でも、空を飛べたら楽しいだろうと空想することがある。

 海を超え、まだ見ぬ世界に行けたならどんなに素晴らしいだろうかと考える時がある。

 小春は、大府のあるほうへそっと手を伸ばしてみた。

 その手がピクリと動いた。

 冷ややかな殺気を感じたのである。

 気がつけば、白い霧が背後から流れてきた。肌を刺すような圧力を全身に感じる。

「現れたか」

 小春は、すっと立ち上がり、後ろを振り向いた。

 黒い影が現れ、それがだんだんと人の形となった。

 その中から姿を見せたのは、真っ白な着物を着た美しい女性であった。

「お前が冬音か」

 小春は、手に取った大刀を肩に担ぎながら尋ねた。

「あなたは・・・小春さんね。思っていたより可愛らしい方ね」

 冬音はそう言って微笑みを投げかけた。手には長槍を携えている。

「晶紀を助けてくれたそうね。礼を言うわ」

「その晶紀さんを平気で裏切った奴の台詞とは思えないな」

「手伝ってもらっただけよ」

「私を殺す手伝いか?」

「私の目的はあなたの持っている刀だけ。あの忌々しい剣生の使っていた刀を破壊したかっただけよ」

「あいにくだが、それはできないな」

「あら、私と闘って勝てる気でいるの?」

「私は、そのために生まれてきたのだ」

 小春が大刀を中段に構えるのを見て、冬音も槍を構えた。

 空から雪が降ってきた。その雪に小春が気づいた時である。

 突然の吹雪に視界が覆われ、小春は驚いて空を見上げた。

 急激に全身が凍るかと思うほど寒くなる。

(妖術か?)

 小春は慌てて結界を張った。寒さからは身を守ることができたが、視界が遮られて冬音がどこに行ったのかわからない。

 前方から猛烈な圧力を感じた。小春はとっさに右へと避けた。

 近くに冬音の気配を感じる。しかし、槍がどこから飛んでくるのか、全く見当がつかない。

 小春は、気配のする方に向けて刀で突きを入れたが、手応えはなかった。

 今度は背後から気配がする。小春は姿勢を低くして気配のする方から逃げた。

「この吹雪の中で動けるなんて、驚いたわ」

 後ろから声が聞こえる。小春はその方向へ身体を向けた。

 吹雪が止んだ。冬音からも小春の姿が見えないからであろう。冬音は槍を構えて小春のほうを向いた。

 地面は、雪で真っ白になった。周囲の木にも雪が積もり、一面は白い世界に覆われていた。その中で、冬音の紺色の髪がひときわ美しく輝いていた。

「この槍で始末するしかないようね」

 冬音が笑う顔が小春にははっきり見えた。それは美しくも恐ろしい鬼女の顔だった。

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