第50話 闇夜の決戦
その後は、大府の周囲に雷縛童女が現れては兵士たちが無残に殺されていった。
大府側も護衛の数を増やし、弓兵を配置するなどしたが、効果はない。
物資の流れが悪くなり、必要なだけの食料が確保できなくなり始めた。
「あの青鬼を倒さない限り、問題は解決しないな」
桜雪は、小春と月影のいる場所を訪ねた。今は、北東の山の麓に移動していた。
「このところ、雷を操る青鬼が出没して兵士たちが多く殺されているんだ」
桜雪はそう切り出した。
「どんな些細なことでもいい。あいつについて何か知っていることがあれば教えてほしいんだ」
桜雪の問い掛けに、小春は
「私も遭遇したのは一回だけだから、よくは知らないんだ。雷撃の威力はすごかったけど、私の結界は効果があったから、封術も効くとは思うが」
と答えることしかできなかった。
「俺も闘ったのは一回だけだ」
その言葉に、小春が月影の顔を見た。
「兄者も闘ったことがあるのか?」
小春が尋ねる。
「ああ。しかし・・・」
月影は空を見上げながら
「あいつは明らかに手を抜いていた。妖術も使わず、鞭だけで俺に挑んできたんだ」
と言った。
「それで、最後はどうなったんだ?」
「俺を仲間にしようとした」
月影は小春のほうを向き、笑みを浮かべながら答えた。
「まさか、承諾したのか」
「そうしなければ殺されそうだったからな」
「あいつらは、まだあなたのことを仲間だと?」
「少なくとも冬音はそう思ってはいないだろうな」
桜雪からの問い掛けに月影は答えた。
「それなら、油断したところをバッサリ殺ることはできないかな?」
小春の提案に月影はため息をつき
「そんなに簡単に倒せれば苦労しないさ」
と笑った後、桜雪に向かって言葉を続けた。
「護衛の仕事、俺にも手伝わせてくれないか?」
「それは非常に助かるが」
「その代わり、報酬として食料を分けてほしいんだ。草や実ばかりじゃあ身が持たない」
「ああ、それは構わない」
桜雪の返事にうなずいた月影は、小春のほうを向いて再び話し始めた。
「お前は引き続き、山の上を見張ってくれないか」
今度は小春が大きくうなずいた。
次の日の朝、月影は桜雪、正宗とともに北の門から旅立った。
水無村のさらに南にある村まで、食料の買い出しに行くそうだ。
彼らを見送った後、小春はそばにいた晶紀とともに山の麓の根城へと戻っていった。
晶紀は、いくらかの食料を携えていた。
「月影さんが、草や実ばかりじゃ身が持たないとおっしゃっていたみたいなので」
そう言って晶紀が取り出したのは干し肉の塊だった。
「肉なんて久しぶりだ」
「大府の中でも最近は手に入れにくくなってきました」
「高かったんじゃないのかい?」
「奮発して買ったんです。実は、少し前からお店で働かせてもらっているんです」
「そうかい、よかったじゃないか」
「ええ、おかげで大府で暮らしていけそうです」
そう話す晶紀の顔を見て
「白魂には戻らないのかい?」
と小春は尋ねてみた。
「家族は誰もいないし、もう付き人もできませんから」
晶紀が少しうつむき加減でそう答えるのを聞いて、小春はポツリと言った。
「そうだな」
空は灰色の曇り空、吹く風もどこか湿っていた。小春は干し肉を薄く削いで晶紀に何枚か渡した。
晶紀が干し肉を口にする。
「おいしい」
小春も口に放り込んでみる。
「何の肉なのかな?」
小春が晶紀に尋ねた。
「そう言えば、何の肉か聞いていませんでした」
いかにも晶紀らしいなと小春は思った。
「そういえば、今日は店のほうはいいのか?」
「今日の昼間は特に何もないので、夕方から行くつもりです」
「じゃあ、昼はここで食べていくか?」
「はい、ありがとうございます」
二人で草や実を採り始めた。晶紀は、この作業が楽しくてたまらないようだ。
小春に食べられるのかどうかを尋ねながら、晶紀は夢中になってあたりを探し回った。
いつ、どこに鬼が現れるのか分からない状態である。二人ともそんなことは忘れてしまっているかのようだ。
やがて、おいしそうな鍋料理が完成した。
晶紀は、大府に来て間もない時、兎の肉で作った鍋を思い出した。
それが遠い昔のような、小春とは長い年月を一緒に過ごしたような、そんな錯覚を覚えた。
「もし、鬼を全て倒すことができたら、小春様は白魂へ戻られるのですか?」
鍋をつつきながら、晶紀が小春に尋ねた。
「いや、白魂へ戻ることはないだろうな」
何かの赤い実を口の中へ投げ入れながら小春は答えた。
「では、森神村へ?」
「鬼を全て倒すことができたら、私の旅は終わるよ」
その言葉を聞いて、晶紀の動きが止まった。
「小春様、もしかしてその刀を人間に戻すおつもりですか?」
晶紀の質問には答えず、小春はただ笑みを浮かべるだけだった。
「いけません!」
晶紀が突然叫んだ。
「小春様はその刀とともに生き続けて下さい。小春様がいなくなるなんて、私、耐えられません」
「晶紀さん、妖怪の寿命は長い。いっしょにいれば、晶紀さんのほうが早く歳を取る。私が残されることになるんだ」
小春の言葉に、晶紀は何も言い返せなかった。
「私だってそれには耐えられない。だから、その前に私は消え去るつもりだ」
「それなら、すぐに元に戻す必要はないでしょ?」
「ああ。心配しなくても、そんなに急ぎはしないよ」
そう言いながら、小春は干し肉を口に入れた。
「その前に、鬼を全て倒さなければならないだろう?」
干し肉を口の中に入れたまま小春は話を続けた。
「そうですね」
返事をする晶紀の表情は暗いままだった。
晶紀を北門の近くまで送った後、小春は儀式の場所がある山へ向かった。
山の麓までたどり着くと、もう空は暗くなりかけている。小春は山を登り始めた。
儀式の場所は薄暗く、周囲にある木々が格子窓のように見える。
中央まで進み、しばらく待ってみた。しかし、何かが現れる気配はない。
どうやって感知しているのかは分からないが、以前はこの場所に立てば赤鬼が現れていた。
しかし、それが現れなくなったということは、生贄が捧げられることはもはやないと鬼たちが判断したということになる。
しばらくは、人間を狩って死体を手に入れるつもりなのだろう。
しかも、赤鬼では分が悪いと思ったのか、白魂では滅多に現れることのなかった青鬼が、頻繁に狩りに出るようになった。
小春は雷縛童女に遭遇したことはあるが、その時は逃げた。
今、もう一度勝負してみたいと考えている。
刀の所有者としての性分なのだろうか。強い鬼と闘ってみたいという欲求が、恐怖心を抑えつけているようだ。
その願いが通じたのだろうか。
目の前に、黒い煙が現れた。同時に寒気を覚えるような殺気と身体を押さえつけられるような圧力を感じた。
出てきたのは、真っ青な肌に虎柄のさらしと腰巻きを身にまとった雷縛童女だった。
「また、会えたわね」
雷縛童女が持っていた鞭を下に垂らした。
小春は大刀を素早く手に取り、構えた。
「あんたには雷撃が効かなかったわね」
雷縛童女は笑みを浮かべた。その美しい表情からは残忍な心がにじみ出ているようだった。
雷縛童女が鞭を打つ。
小春は素早く身を低くした。頭上を、鞭の先についた刃がかすめてゆく。
そのまま足を一歩踏み出すと、即座に突きを入れた。しかし、その時には雷縛童女の姿はそこになかった。
背後に気配を感じ、小春は後ろを振り向いた。雷縛童女が、今まさに鞭を打とうとしていた。
小春が雷縛童女からさっと離れると同時に、目の前を刃が通り過ぎていくのが見えた。まさに間一髪だ。
「やるねえ」
雷縛童女は余裕の表情を浮かべている。まだ、本気は出していないようだ。油断している間に何とかして倒せないものかと小春は考えた。
また、鞭が空を切る音が響いた。今度は、刃が小春の脳天めがけて落ちてきた。
小春は一歩踏み出すと、大刀を頭上に振り上げた。
鞭が大刀に絡みつく。刃の軌跡が変わり、小春の左頬をかすった。
雷縛童女が鞭を操ると、大刀に絡みついた鞭がするりと手元のほうへ戻っていく。
頬から流れる血を拭い、小春は雷縛童女の顔をじっと見据えた。
「あんた、名前はなんて言うんだい?」
小春は答えなかった。
「あたいは風華っていうんだ」
小春は、その名前に聞き覚えがあった。月影が言っていたのを思い出した。
「あんた、あたい達の仲間にならないかい?」
月影も同じように仲間に誘ったのだろう、と小春は思った。
雷縛童女は、小春の回答を待たずに話を続けた。
「あんた、妖怪だろ? あたい達のことを手伝ってほしいんだ」
「なぜ、鬼のあんたを手伝わなきゃならないんだ?」
小春は、笑みを浮かべたままの雷縛童女に言い返した。
「あたいは元々『弁天の雷神』と言われた妖怪だったのさ。でも、人間に封術を掛けられてね。鬼として生きなければならなくなった」
『弁天の雷神』は遠い昔、日本中を駆け回っては人々を襲っていた雷獣である。村に雷を落として焼き払い、逃げ惑う人間を手当たり次第に鋭い爪で裂いて殺すことが何よりの道楽という妖怪であったが、封術によって仕留められたと言い伝えられていた。
「人間なんて脆い生き物だ。それに、集まれば互いに殺し合って勝手に滅んでいく。どうしようもない連中だよ」
「・・・確かにそうだな」
その意見には小春も賛同するようだ。
「でも、あたい達が、鬼が身体を維持するためには、その人間が必要になるんだ。だから、あたい達の手で人間を管理しなくちゃならない」
つまり、鬼たちにとって人間は家畜のようなものなのだろう。昔は狩りをしていたが、今度は飼いならしていこうということだ。
「あたいは、それに手を貸してほしいだけだよ。同じ妖怪どうしだろ?」
雷縛童女は、それだけ言うと口を閉じた。小春が何か言い出すのを待っているようだ。
「人間がどうなろうと、私には興味ない」
小春はそう答えた。
「じゃあ、手伝ってくれるのかい?」
雷縛童女の問いかけに
「だが、残念だな」
と小春は答えた。
雷縛童女の笑みが消えた。
「私の目的はただ一つ。鬼を滅ぼすことだ」
小春の言葉に、雷縛童女はまた笑みを浮かべた。しかし、その笑みには凄まじいまでの怒りが満ちているように見えた。
「そうかい、じゃあ、ここで死ぬんだね」
雷縛童女は吐き捨てるように言った。
小春は、相手に対していつも強気に出る癖がある。
月影は、雷縛童女の実力が分からず、一時的に休戦協定を結んだ。
小春も雷縛童女がどれくらいの強さなのか、まだ分からない。
なのに、相手を挑発してしまったことに、小春は今更ながら少し後悔した。
しかし、もう後には引けない。小春は雷縛童女の動きに集中した。
雷縛童女は、今までのように先手を打つ気はないのか、小春のほうをじっと見たまま動かない。
しばらくの間、双方の睨み合いが続いた。
全身の肌が粟立つほどの強烈な殺気と圧迫感を小春は感じた。先程までとは比べ物にならないほどだ。
鉄斎と闘ったときも同じような圧力を感じたが、雷縛童女のほうがはるかに勝っている。鉄斎はやはり、人間を狩らなくなってかなり弱っていたのだろう。周囲の空気がまるで凍りついたかのように張り詰め、無数の針が肌を突いてくる感覚を小春は覚えた。
(勝てるか・・・)
小春がそう考えた瞬間、その隙を突くように雷縛童女の鞭が動いた。
鞭の先に付いた刃がまっすぐ小春の顔へと飛んできた。やはり先程までは手を抜いていたらしく、桁違いの恐るべき速さで向かってくる。
その刃を、すんでのところで身体を傾けて避けた。すぐ横を刃が通り過ぎてゆく。
雷縛童女が鞭を持った手を少しひねった。
それを見て小春はすぐに姿勢を低くした。
刃が小春の頭上をかすめ飛んできた。雷縛童女は、鞭に付いた刃を自在に操ることができるようだ。
雷縛童女が鞭を振り上げたところで、小春が雷縛童女に向かって突進していった。
しかし、その行動を雷縛童女は見抜いていた。突っ込んできた小春の真正面に、また刃が襲ってきた。
小春は、大刀でその刃を受け止めた。鋭い金属音とともに、刃どうしがぶつかった。まるで巨大な岩を受け止めたような衝撃が襲いかかり、小春は思わず顔をしかめた。赤鬼の棍棒を跳ね返した小春の大刀も、青鬼の刃を受け止めるのが精一杯らしい。恐るべき雷縛童女の力だ。
刃を受け止めたその直後、小春は無意識に左手で鞭を掴んだ。しかし、力は雷縛童女のほうが上だ。小春はぐいっと前に引っ張られた。
鞭がピンと張った状態になった。小春は、前に引き寄せられながらも、右手に持った大刀を鞭に振り下ろした。
なんと、月影の『剣の舞』でも断ち切ることができなかった鞭を、大刀の刃が斬り裂いてしまった。
雷縛童女は、それを見て唖然とした。通常の武器では決して斬ることのできない鞭である。それが簡単に斬られてしまった。
そのとき初めて、雷縛童女は小春の持っている大刀が普通の武器ではないことに気付いた。
雷縛童女の美しい顔が怒りに歪んだ。額にある目がかっと見開き小春の姿を捉えていた。
「貴様・・・」
雷縛童女が武器を失った今、小春にとっては相手を倒す絶好の機会だった。
小春が突きを入れようとしたときである。雷縛童女の姿がすっと消え去った。
その途端、背後に強烈な殺気を感じ、小春は前に転がった。
いつの間にか、雷縛童女が背後に回っていたのである。その両手には鋭い爪が伸びていた。
小春が片膝を突いて雷縛童女のいた方向を見ると、すでに姿がない。
今度は小春の右後方へと移動したらしい。
間一髪のところで小春は左のほうへ飛び跳ねて、爪で切り裂かれるのを免れた。
小春には、縦横無尽に動き回る雷縛童女を見切ることができなかった。近くに来た時の気配から逃げるのが精一杯だ。
雷縛童女の鋭い爪が、小春の体中に無数の傷を付けた。
しかし、まだ致命傷は負っていない。
陽が沈み、あたりは闇に包まれた。
灯籠の火だけが石段を赤く浮かび上がらせている。
小春は、もはや相手の気配だけを頼りに攻撃を避けていた。雷縛童女の側もおそらく小春の姿は見えていないのだろう。
(ならば・・・)
背後に気配を感じた小春は、持っていた大刀を逆手に持って後ろに思い切り突いた。
「ぐっ・・・」
手応えがあった。雷縛童女はどこかを負傷したはずだ。
これを勝機と小春は振り向きざま大刀を横に薙いだ。
しかし、刃は虚しく空を切った。
今まで満ちていた殺気の嵐がすっと消え去った。同時に、強い圧迫感もなくなった。
「逃げたのか・・・」
しばらくの間、小春は大刀を手にその場に立ち尽くしていた。
相手に与えた傷が致命傷だったのか、それとも素早い動きを封じることができたのか、それは分からないが、逃げたということは分が悪いと思ったからだろう。
「しばらくは、出てこないかもしれないな」
何もいない山の頂を後にして、小春は石段を下りていった。
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