第47話 危険な女
晶紀が話を終えた後、しばらくは静寂があたりを支配した。
その重苦しい空気の中、晶紀はうつむいたまま誰かが話し始めるのを待った。
「冬音殿が、鬼と通じておったとは」
「我らは騙されておったのか」
「冬音殿はどこにおる?」
「おそらく、宿にいるかと」
紫音が年寄衆の問いに答えた。
「すぐに連れてこい。この場で問いただしてくれよう」
「お待ち下さい。相手は鬼かも知れないのです。危険です」
晶紀が慌てて叫んだ。
その言葉を聞いて、憤慨していた年寄衆が全員、恐れの表情へと変わっていった。
「紫音、兵士をこの場に待機させるのだ」
白髪頭の男性が紫音に命じた。
「冬音殿を呼んでまいりました」
「入りなさい」
紫音が静かに襖を開けると、中には十人の年寄衆だけでなく、同じくらいの数の兵士がいた。
冬音は、いつもと様子が違うことに気付いたが、表情は全く変わらない。
年寄衆の左右に兵士が並び、冬音は周りを取り囲まれたようになっていた。
紫音は冬音の右後方に座った。
「冬音殿、あなたに会わせたい者がいる」
「ほう、どなたですか?」
冬音は笑みを浮かべて応えた。
年寄衆の後ろに隠れていた一人の女性が前に進み出た。
「冬音様・・・」
「晶紀・・・」
冬音は微笑んだままだ。
「晶紀殿から全て聞いたよ。お前が鬼と通じていたことはもう分かっておる」
冬音の顔から笑みが消えた。
「しかし、そのおかげで鬼に襲われずに済むのです」
それでも冬音は全く動じることなく話を続けた。
「鬼に生贄を渡せば、鬼は決して人間を襲わなくなるのです」
「お前がそう命じているだけではないのか?」
「なぜ、そう思うのですか?」
「我々は、お前が鬼なのではないかと思っているのだ」
冬音は、その言葉を聞いても表情一つ変えることはなかった。
「紫音、その女を牢に入れておけ」
紫音が冬音の腕をつかみ立たせようとすると、冬音はよろめき、紫音の体に寄りかかった。
その刹那、冬音の腕をつかんでいた紫音の右腕が宙を舞った。
冬音は、左手で紫音の刀を抜いて、目にも留まらぬ速さで紫音の右腕を切り裂いてしまった。
兵士たちが慌てる中、冬音は襖を蹴破り階段を下りていった。
右腕を落とされ、紫音は苦痛に顔を歪めながら
「早く追うんだ」
と兵士たちに命じた。
大府の広い通りの中、一人の美しい女性が、道行く人の間を縫って北のほうへと疾走していた。
その後ろを、十人ほどの兵士が刀を手に追い掛けてゆく。
周囲の者には、なぜ女性が兵士に追い掛けられているのか見当もつかなかった。
冬音は、かなりの速さで走っているが、全く息が切れる様子はない。兵士の側は、付いていくのがやっとの状態だ。
冬音と兵士の間の距離はだんだんと広がってゆく。
やがて、巨大な門が近づいて来た。
「その女を通すな」
冬音を追い掛けていた兵士が叫んだ。
門番がその声を聞いた時には、すでに冬音は目の前にまで迫っていた。
門番たちが慌てて両手を広げ、冬音の行く手を遮る。
その門番たちの間をすり抜け、冬音は速度を緩めることなく通り過ぎていった。
同時に、何本かの腕が宙を舞う。いつ、刀を振るったのだろうか。冬音は瞬く間に、立ちはだかった門番たち全員の片腕を斬り落としてしまった。
橋を渡り、堀の向こう側へとたどり着いた冬音はそこで走るのを止めた。
驚いたことに、今まで全力で駆けてきたはずなのに、冬音は息を全く切らしていない。
血に染められた刀を左手に持ったまま、構えることなく冬音はその場に立って、追い掛けてくる兵士のほうを見た。
兵士たちが、橋の中央あたりで立ち止まり、様子を伺う。
一歩ずつ、兵士たちはゆっくりと冬音の下へと近づいた。取り囲み、一斉に襲いかかるつもりだ。
冬音は全く動く気配がない。顔には穏やかな笑みを浮かべている。ぞっとするような美しさだ。
冬音の周囲に兵士たちが円陣を組んだ後、一人の兵士が冬音に向かって叫んだ。
「刀を置いてそこにひざまずけ」
冬音は動こうとしなかった。一陣の風が吹いた。
雪がちらついたことに兵士たちが気付いた。
突然、激しい吹雪が起こった。兵士たちは目の前が全く見えなくなった。
蝉の鳴く季節がもう終わりに近づいたとはいえ、まだ雪の降るような時期ではない。突然の出来事に兵士は慌てふためいた。
温度が急激に下がり、身体が凍りついていく。兵士たちは為す術もなく氷の彫刻のように固まってしまった。
ただ一人、冬音の前に立っていた兵士だけがかろうじて息をしている。その兵士に対し、冬音がゆっくりと話し掛けた。
「私たちは、あの山に生贄が差し出されない限り、鬼を出し続けるでしょう。このまま民が鬼に殺されるのを見過ごすか、それとも生贄を差し出すか、どちらかを選びなさい」
そう言い残すと、冬音は黒い煙に包まれやがて消えていった。
他の兵士たちは凍りつき、死に絶えていた。ただ一人残った兵士が、がっくりとその場に座り込んだ。
冬音の伝言は兵士の口から年寄衆に伝わった。
また、冬音の恐るべき力についても知ることとなった。
桜の間は、真っ赤な血で汚されていた。紫音は右腕を失い、治療のために運び出されていた。
「おとなしく生贄を差し出すしかないのでは・・・」
「その生贄をどうやって決めるのだ?」
「このままでは鬼が出るのだぞ。もう隠しておくことなどできぬ」
「鬼が出ると分かれば、皆ここから離れてしまうだろう。それだけは避けねば」
「外に出れば鬼の餌食になるだけだ。皆には外に出ないように伝えなければ」
年寄衆が議論している様子を、晶紀はただ眺めていることしかできなかった。
そうしているうちに、最も恐れていたことが起こった。
兵士の一人が入ってきてこう告げた。
「南門に近い場所に鬼が現れました。南門に待機していた兵士が迎え撃ちましたが・・・」
兵士が言葉に詰まったのを見て年寄衆の一人が
「どうした?」
と尋ねると、兵士は先を続けた。
「全員、鬼に殺されました」
部屋の中が凍りついたようになった。誰も身動き一つしない。
「わかった、少し考えさせてくれ」
白髪頭の男性が兵士に告げた。
漆黒の闇の中。
緑の全くない、灰色の岩しか見当たらない不毛の地に、冬音は一人立ち尽くしていた。
大府の地に入り込み、意のままに操ろうという企みは失敗した。まさか、晶紀が生きて大府へ戻ってこようとは予想もしていなかった。
晶紀の姿を見た時は、炎獄童子が操っているものと思っていた。そうでないと知った時は、さすがの冬音もかなり驚いたようだ。
晶紀の身体から離れ、炎獄童子はどうしたのか。倒されたとは考えていない冬音にとって、炎獄童子の予想外の行動が腹立たしかった。
大府の地が鬼によって衰退の道を歩むことになるのか、それとも素直に生贄を差し出すのか、全てはあの年寄衆の裁断で決まる。冬音は、何も決まらぬまま鬼の出没に振り回される大府の姿を想像していた。
遠くから、近づいてくる影があった。それは恐るべき速さで冬音の下へと向かっていた。
冬音のすぐ近く、その影はピタリと止まった。雷縛童女である。
「冬音様、大府の南側に獄卒を呼び寄せました」
「どうだった?」
「五名ほど狩ることができたようです」
「そうかい。生贄なんてまどろっこしい事はもう止めて、昔のように狩るほうが効率がいいのかねえ」
「しかし、また人間が減ってしまうのでは?」
「そうなるまでに、元の身体に戻る方法を見つけるのさ。この忌々しい身体から開放されれば、もう人間なんて不要だからね」
冬音の言葉を聞いた雷縛童女は
「私は、もうあきらめております。これだけ探しても見つからないのですから」
と言って目を伏せた。
「私はまだあきらめないよ。いつの日か必ず、『炎氷の雪女』として復活してみせる」
冬音は、元は妖怪だった。その昔、人間たちを恐怖の渦に巻き込んだ『炎氷の雪女』である。
どんな理由があったのかは分からないが、人間たちは封術によって動きを封じた冬音を殺さず、鬼として復活させた。
鉄斎もそのようなことを言っていた。炎獄童子や雷縛童女も同じように生まれたのであろう。
「それよりも困ったことになったよ。私が鬼と通じていたことが大府の人間に知られてしまった」
「なぜですか?」
「炎坊の傀儡にした付き人が、どういうわけか大府に戻っていたんだ。私が鬼だということも勘づいたようだねえ」
「炎坊がしくじったと?」
「もう、あいつはあてにならない。百足ごときに頼んだ私が馬鹿だったよ。今度見つけたら、永久に氷の中に閉じ込めてやる」
「それでは、作戦は変更ですか?」
「いや、お前は獄卒を出し続けるんだ。大府がおとなしく生贄を差し出すか、鬼に翻弄されて滅びの道を歩むか、こうなったら根比べだよ」
「わかりました」
雷縛童女はそう言い残して去っていった。
晶紀は、北門から大府の外へ出た。
凍りついた死体はすでに片付けられていた。今は何の痕跡も見出すことはできない。
森のほうへ進み、小春のいる場所へと晶紀は向かった。
いつ、鬼が現れるかわからない。晶紀は用心しながら進んだが、幸い鬼に出くわすことはなかった。
「どうだった?」
近づいてくる晶紀に気づいた小春が尋ねた。
「冬音様・・・冬音は大府から逃げました」
「逃げた?」
「あの山に生贄を差し出さなければ、これから鬼を出し続けると言ったそうです」
「ついに本性を現したということか」
横にいた月影が口を開いた。
「ここから反対側、南門の近くに鬼が現れたそうです。兵士たちは皆、殺されてしまいました」
晶紀の話を聞いて、小春と月影は顔を見合わせる。
「どうする、兄者?」
小春が月影に尋ねた。
「大府は広いからな。どこに鬼が現れるか分からない以上、助けることは難しいな」
月影は、小高い山のある方向を見て話を続けた。
「例の儀式の場所へ行けば、本丸が現れるかも知れないな」
「山を登ってみるか?」
「しかし、相手はどんな妖術を使うのか分からんからな。用心はしたほうがいいぞ」
月影の言葉に、晶紀が口を開いた。
「冬音は、吹雪を起こして兵士たちをあっという間に氷漬けにしたそうです」
「それなら、私の結界で防ぐことができる。大丈夫だ」
小春が笑みを浮かべながら晶紀に言った。
「でも、剣の腕も立つようです。紫音様が・・・」
晶紀は小春のほうを向いて
「右腕を斬り落とされてしまいました」
と言葉を続けた。
「わかった、用心するよ」
心配そうに見つめる晶紀に、小春はそう言って微笑みかけた。
晶紀を北門の近くまで見送った後、小春と月影は北東の山へと向かった。
しかし、途中で見張りに呼び止められた。まだ、冬音が逃げたことや、鬼が現れることが伝わっていないようだ。
「ここから先は通れないよ」
「冬音が逃げたことはまだ伝わってないのか?」
「何のことだ?」
「いや、何でもない」
月影は、黙って引き返すことにした。
「いいのかい、兄者?」
「夜になってから忍び込んだほうがいいだろう。その頃までにはあいつらにも伝わっているかも知れんがな。それまで待つんだ」
その夜、小春と月影は闇夜の森の中を通り山の裏手へ回った。
月影が以前、忍び込んだ時にいた見張りが今はいない。ようやく見張りを止めるよう指示があったようだ。
山を登り、頂上にたどり着いた。茂みの中から儀式の場所の様子を見る。
灯籠の灯りに照らされて、石段に続くあたりがぼんやりと見える。
「誰もいないようだな」
月影がつぶやいた。
「あの場所まで行けば姿を現すかも」
小春が月影の言葉に応えた。
二人は、茂みから出て一歩ずつ中央の位置に進んでいった。
「さて、何が出るか」
月影があたりを見回しながら言った。
しばらく立っていると、足元に霧が現れた。背筋が寒くなるような気配と圧迫感が二人を襲う。
「現れたようだ」
小春がそう言いながら背後を見た。
黒い煙が立ち込めてきた。そこから出てきたのは肌の赤い大鬼だった。
「大将ではなかったか」
月影がそう言って左手を掲げた。
小春は大刀を構える。
鬼は二人を見つけるや否や、手にした棍棒を振り上げた。
棍棒が振り下ろされる瞬間に二人は動いた。
月影が鬼の右足を白い刃で斬り裂き、同時に小春が鬼の左足を大刀で斬り裂いた。
鬼はあっという間に両足を失い、うつ伏せに倒れてしまった。
小春は鬼の背中に乗り、後頭部に大刀を突き立てた。鬼はそれでも逃げようともがいていたが、小春が頭を縦に割ってしまうとすぐに動かなくなった。
煙と化した鬼を眺めながら
「しばらく、ここへ来て鬼を狩るか。そのうち、業を煮やして冬音や風華が現れるかもしれん」
と月影が言った。
「風華?」
小春が聞き慣れない名前に反応した。
「ああ、気にするな」
月影は肩をすくめて小春に応えた。
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