鬼退治

@tadah_fussy

第1話 鬼が来る

 藍色の夜空を青白い満月が浮かんでいる。月の際はまるで天上にはめ込まれたかのように鮮明で、周囲の雲はその光に照らされて浮き彫り細工のように漂っていた。

 そんな夜空とは対照的に、眼下に広がる森の中は灰色の霧で覆われ、木々が霞んで見えた。森の中に入ると、月の光に照らされて、まるで金剛石のような輝きを放ちながら細かな水滴が浮かんでいる。木々は濡れて磨いた銅に似た光沢を放ち、まるでガラス細工で作られたかのように光り輝く葉が、重なり合いながらそれを覆っていた。風はなく、動くものもない。澱み溜まった霧も動きを止め、時間すらも静止しているように感じる。

 森の中に幅の広い道があった。霧のせいで地面の様子はよくわからないが、道沿いの木の枝が払われているのを見るに、人手によって整備されているのだろう。月の光でひときわ明るく照らされて、白い霧が遠くまでまっすぐに道があることを示していた。

 ふと、足音が聞こえてきた。一人ではない。それはだんだん大きくなり、やがて霧がふわりと舞って、そこから人影が現れた。

 一人の青年だ。体は小さいが、その腕や足は太くがっしりとしている。麻袋に穴を開けただけのような簡素な衣装を身にまとい、腰のあたりで革紐を使って縛り付けていた。肌触りは最悪だが丈夫であることは間違いない。手には弓を持ち、背中に矢筒を背負っている。あたりを油断なく見わたす眼光は鋭く、無精髭を生やしたその風貌は、野性味あふれる男の魅力を感じさせた。

 青年の背後には二十人程度が固まって歩いている。手には槍や棍棒、刀を持つ者もいた。男性の方が数は多かったが、女性も何名かいる。皆、青年期から壮年期の年齢だろうか。しかし、他にも子供と老人がそれぞれ一人ずついた。男性は皆、青年と同じ麻袋の衣装だ。女性は無地の着物に身を包んでいたが、裾は太もものあたりまでしかなく足が露わになっていた。袖も、肩を覆い隠すくらいの長さで、夜露に濡れて腕に張り付いている。その手には小刀が握られていた。

 早く歩けない子供に合わせて速度はゆっくりであるものの、皆、何かに追われているかのように黙々と歩き続けた。湿気と汗のせいで絶えず体から水滴が流れ落ち、髪は顔に貼り付いて、まるでメデューサの蛇のようだ。顔には疲労の色も見えるが、なぜか一様に怯えた表情をしていた。虚ろな目が、わざと周囲から目を逸らすかのように同じ方向だけを向いている。

 その中でただ一人、最後尾を歩く小柄な姿の持ち主だけは様子が違っていた。淡い藍色の着物を身に着けているところからみて女性のようだ。しかし、頭は頭巾で隠され外側からは目しか見えない。その琥珀のように輝く瞳は、一点を見つめているようにも見えるし、遥か遠くを眺めているようにも見える。むき出しの腕と足は細く、肌は透き通るように白かった。背中には、その体には不釣り合いなほど長い刀を背負っている。

 その者は、集団の様子を気にしながら歩いているように見えた。しかし、意識の半分は自分の後方にあった。何者かが近づいていないか、常に注意を払っていたのだ。

 道はしばらく上り坂が続いた。霧は相変わらず泥のように体にまとわりついてくる。視界は悪く、牢獄の格子のように並んだ道沿いの木々が唯一の目印だった。何か様子がおかしい。誰もが確信していた。奇妙な圧迫感を感じる。まるで深い深い沼の中を歩いているようなそんな錯覚さえ覚えた。恐怖が、疲れ切った体に鞭打つ。引き返していればよかったと後悔した。でも、もう遅すぎた。一行は進み続けるしかなかった。

 やがて、子供が足をもつれさせて転びそうになった。さすがにこれ以上は無理と思ったのか、しんがりの覆面頭巾が先頭の青年に駆け寄った。少し休憩しないかと伝えようとしたその瞬間、背後に気配を感じて琥珀の目がわずかに動いた。その口から発した言葉は、最初の意図とは違うものだった。

「走れ! 逃げろ!」

 大きな声でそう叫んだ。一行が蝋人形にでもなったかのようにその場に立ち尽くした。

 叫び声は続いた。

「鬼が来る」


「みんな、走るんだ。急いで!」

 青年が続けて叫んだ。弾かれたように、全員がうめき声一つ上げることもできず走り出した。

 子供が一人、倒れかかった。その母親らしい女性が慌てて駆け寄ろうとする。

 青年が子供に近づいた。

「俺が運ぶ。あんたは急いで逃げるんだ」

 青年が弓を首にかけ、子供を抱きかかえたのを見届けると、女性は前を向いて走り出した。

 青年は頭巾に向かって声を掛けた。

「おまえはどうするつもりだ?」

 頭巾を脱ぎながらその声に応えた。

「ここで鬼と闘う。おまえは他の者を安全なところに隠れさせろ」

 青年はその顔を見て心配そうに言った。

「なあ、本当に一人で大丈夫か? 一緒に逃げたほうが・・・」

「早く行け! 急げ!」

 女は後方をじっと見つめたまま叫んだ。その声に反応して、青年は皆の後を追いかけていった。


 頭巾を脱いだその顔は女性というより少女に近かった。表情からは喜怒哀楽が全く感じられず、まるで精巧に作られた美しい人形のように見える。目は少しつり上がり、瞳はまるで自ら光を放つかのようにきらめいていた。愛らしい薄紅色の唇を軽く閉じたまま、やがて現れる相手をじっと待ち構える。月光に照らされて輝く黒い髪は一本のかんざしで束ねられ、うなじが顕になっていた。その匂い立つような後ろ姿はぞっとするほど妖艶で、男を虜にするには十分すぎるほどの危険な魅力を秘めていた。

 手には背中にあった大刀をすでに握りしめていた。かなりの重量があるようなのだが、片手で軽々と持っている。見た目に反して刀が軽いのか、それともこの少女が怪力の持ち主なのか。

 少女は歩いてきた方向にじっと目を凝らしている。一つ大きく息を吸い、目を閉じた。ふーっと息を吐いた後、ゆっくりと目を開けたとき、霧の中から大きな影が現れた。

 信じられないことに、足音は全く聞こえなかった。それは突然出現したかのようだ。

 手には巨大な棍棒を持っていた。最初からそうなのか、それとも血に染まったせいなのか、棍棒はどす黒く光っていた。材質も木なのか鉄なのか判別できない。

 大きな目が一つ、少女を睨んでいる。口は大きく裂け、牙がむき出しになっていた。頭には枯れ木のような二本の角が生え、体全体は燃えさかる石炭のように赤い。

 鬼だ。

 その巨体は、少女の背丈の三倍くらいはあるだろうか。厚く盛り上がった胸板や、丸太のように太い手足は、鋼のような筋肉で覆われ、刃すら弾くのでないかと思わせる。常人なら見ただけで卒倒しそうな迫力だ。

 とても敵いそうには思えないその敵に対して少女は剣を中段に構えた。鬼の動きに集中し、全く身じろぎしない。

 鬼は相手が全く動かないのを見て少し戸惑ったようだが、やがて棍棒をゆっくりと持ち上げ、頭上に高く掲げた。月が、背後からその姿を浮かび上がらせる。月光に照らされて白い輝きを放っていた少女に鬼の影が伸びていき、やがて光が完全に遮られた。それでも少女は微動だにしない。まるで蛍のごとく、まだ淡く全身が光を放っているように見えた。

 一息の間をおいた後、一気に少女の頭めがけて振り下ろされた棍棒は、あたりの霧を振り払いながら地面に衝突した。棍棒の先は地面にめり込み、地響きとともに大量の土が周囲に飛び散る。すさまじい衝撃波が木々の枝を大きく揺らし、大量の水滴が舞い上がる。その後、大きな鐘をついたような低い音がしばらく鳴り響いた。

 恐るべき一撃だった。棍棒を振り下ろすスピードはあまりにも速く、避ける余裕など全くないように見えた。まともに喰らえば、体は跡形も残らないだろう。避けられたとしても、強烈な衝撃波で吹き飛ばされてしまうだろう。

 少女の姿は見当たらない。鬼は相手を仕留めたことに満足して、地面に埋まった棍棒を持ち上げようとした。しかし、棍棒はその場を動かなかった。肘の少し上あたりに隙間が見える。まるで機械の部品でも外れたかのように自分の腕が離れていった。隙間から白い刃が、顔めがけて迫ってくるのを見て鬼は素早く後ずさった。目の前に仕留めたと思っていた相手の姿が現れた。刀を大きく上に振りかぶっている。鬼はさらに後ろへのけぞり、振り下ろされた刃は顎のあたりをかすめただけだった。鬼はそのまま仰向けに倒れた。

 少女は、棍棒が振り下ろされた瞬間、前側に移動したのだ。腕の真下は鬼の死角になる。姿勢を低くして、紙一重のところで棍棒をかわし、そのまま腕の下でしゃがみこんだ。刀を横にして左手を棟に添え、上に飛び上がると、樫の木で彫刻されたかのような鬼の腕に、まるでホットナイフの刃をバターに押し当てたように刃が食い込み、あっという間に切り離されてしまった。恐るべき技の持ち主なのか、それとも刀が特別なのか。しかし、少しでも反応が遅れたら棍棒の餌食になるところだ。早く踏み込めば、今度は動きを読まれてしまうだろう。その絶妙の間を測るため、少女はただ集中していたのだ。まさに生死を分けた闘いだった。そして、見事に鬼に勝った。

 鬼はすぐに立ち上がった。腕からはタールのような黒い血が吹き出し、顎からも大量の血が滝のように流れ落ちている。鬼は踵を返して逃げ出した。

 一瞬、少女は迷った。鬼を追って止めを刺すべきか、逃げた一行を追いかけるべきか。もし、他に鬼がいれば助けを呼ぶつもりだろう。それだけは避けなければならない。

 鬼は利き腕を失いうまく走ることができず、よろめいて転んだ。始末しようと動きかけたその時、遠くから重い鐘のような音が鳴った。同時に人の悲鳴が聞こえる。

「しまった! むこうにも鬼が出たか」


 逃げる集団の後を一体の鬼が追いかけていた。鬼は全力で追いかけてはいないように見える。人間が逃げ惑うさまを見て、鬼は楽しんでいるのだ。

 鬼が笑うことなどありえないはずだが、明らかに鬼の顔は笑っていた。口の端が上側にひきつりよだれが絶えず垂れている。一つ目は大きく見開かれ、一人一人の様子を順番に眺めている。どうやってなぶり殺しにしてやろうかと思案しているかのようだ。

 鬼はじわじわと距離を詰めていった。一行はもう限界の状態だ。足は鉛のように重くなり、心臓が破裂するのではないかと思うほど痛い。息は苦しく、うまく呼吸ができない。頭がだんだんと麻痺してきた。もう、恐怖も感じない。これ以上苦しませずに早く殺してくれたならばと考える者もいた。

 やがて、最後尾を走っていた老人が足をもつれさせて転倒した。立ち上がろうにも足がガクガクと震えて動かない。仰向けになると、目の前に鬼がいた。

 鬼は棍棒を振り上げ、一気に地面へ叩きつけた。悲鳴が一瞬あがり、すぐにあの低い音が鳴り響いた。土が舞い上がり、周囲の草木に飛び散るとそれをどす黒く染め上げた。霧は赤く渦巻き、周囲に吹き飛んでいく。

 鬼はゆっくりと棍棒を持ち上げた。棍棒からは血が滴り落ちる。地面がえぐれ、その中に血溜まりができていた。

 老人の上半身は跡形もなかった。無残に残った両腕がまだピクピクとうごめいている。足はぴんと伸ばされ痙攣していた。

 しばらくの間、鬼はその光景を満足そうに眺めていたが、ふと自分に向かって飛んでくる何かに気づいた。素早く棍棒で防ぐとそれはキンと弾かれた。一本の矢だ。

 少し離れた場所に、矢を番えてこちらを睨んでいる青年が見えた。一瞬の隙を突き、鬼の目に向かって放った矢が防がれたのを見て、青年はほんの少しの間だけためらったが、すぐに意を決して鬼に対峙することを選んだ。

 鬼が一歩踏み出すと同時に第二撃を放つ。今度は脛を狙った。しかしあろうことか矢は弾かれた。皮膚が赤いので傷がついたのかどうかもわからない。やはり弱点は目しかないようだ。しかし距離が離れていれば棍棒で弾かれてしまう。ギリギリまで引きつけてから矢を放つしかない。青年はそう決心した。

 次が最後の一手となるだろう。鬼の動きに全神経を集中させ、その恐ろしい殺気に耐えながら距離が縮まるのを待った。

 しかし、その考えに気づいたのだろうか、鬼はそれ以上近付こうとしなかった。青年の顔をじっと睨みながら、何やら考えている。鬼の下には老人の死骸があった。それはすでに動かなくなっていた。


 鬼というのはこんなに慎重なものなのだろうか。それとも、この時間を長く楽しみたいのだろうか。にらみ合いはしばらく続いた。

 逃げていた集団はすでに疲れ果て、離れたところで座り込み、この対峙を見守っていた。隠れようという者はいなかった。青年の勇気に対する感謝からなのか、それとも逃れられないというあきらめからなのか、またはこれ以上動くことなど不可能だからなのかもしれない。

 いや、何人かの若者はまだ気力が残っていた。槍を持った二人の男性が耳打ちをした後、左右の茂みに身を潜めた。

 やがて鬼は棍棒を自分の目と青年の番える矢の間に構え、そのまま突進してきた。矢を放てない状態にして、そのまますり潰すつもりだろう。

 しかし、相手の姿は棍棒に隠れて視界から消えることになる。このチャンスを青年は逃さなかった。姿勢を低くして前に走り込むと棍棒の下をうまくすり抜けることができた。そのまま仰向けに倒れ込み、鬼の股の下に潜り込んだ。

 その状態で上に向かって矢を放つと、見事それは鬼の股ぐらにヒットした。矢は今度は弾かれることなく突き刺さり、鬼はその痛みに体をのけぞらせた。

 鬼の動きが止まったその瞬間に

「今だ!」

 という声とともに左右の茂みから槍が飛び出し、鬼の両脇から串刺しにした。見事なコンビネーションだ。鬼は一声吠えた後、前側に倒れ込んだ。

 信じられないことだった。鬼に勝った。

 皆は疲れ果てていたことも忘れて喜びを分かち合った。両腕を上に掲げて空を仰ぎ見るもの、地面に大の字になるもの、青年に抱きかかえられてここまで逃げ延びた子供は、母親の腕の中で泣きじゃくっている。

 しかし、青年は犠牲になった老人の変わり果てた姿を見て呆然としていた。

「なんてことだ・・・」

 そう言って屍の方へ近づいていったそのとき、鬼が起き上がった。

 鬼は片膝を突くと、棍棒を片手で横薙ぎに振り回した。近くまで来ていた二人の青年が巻き込まれた。まるでぼろ布のように二人の体が宙を舞い、そのまま草むらに落ちていった。

 すさまじい衝撃波が青年を襲う。青年の体は吹き飛ばされて木に衝突し、その激痛に気を失いかけた。

 槍は心臓に到達しているはずなのに、まだこれだけの力を出すことができるというのか。鬼は立ち上がった。両脇に刺さった槍はそのままぶら下がった状態だ。顔は怒りに満ち満ちている。弓は遠くに飛ばされ、青年には手持ちの武器はもうない。

 鬼が近づいてきた。全身に痛みが走り、まだ体を動かすことができない。息をすることすらままならない状態だ。もはやここまでかと青年は覚悟を決めた。


 鬼は激怒していた。もはや青年以外に目に入るものはなかった。上空から何者かが落ちてきたことに鬼は全く気づかない。それは突然目の前に現れた、と思ったらすぐに何も見えなくなった。

 刃が大きな鬼の目を二つに割った。まるで茹でた卵のような断面が現れた。その中央は黒鉛のように黒く、金属のような光沢を放っていた。

 鬼は頭から胸のあたりまであっという間に切り裂かれ、そのまま仰向けに倒れ込んだ。

 少女が静かに地面に着地した。目は鬼を注視している。

 鬼はわずかに痙攣したが、すぐに動きが止まった。しばらくして黒い煙に全身が包まれたかと思うと、跡形もなく消失してしまった。槍と矢がそのまま地面に残っている。

 それを見届けると少女は息をつき、青年の方を見遣った。

 青年は、まだ立ち上がれずにいた。息は荒く、呼吸を整えようと肩を上下させながら大きく深呼吸していた。

 青年に近づき、少女が声を掛けた。

「大丈夫か?」

「何をしていたんだ!」

 少女が言い終える間もなく青年が叫んだ。

「他の鬼を相手していた」

 少女が答えた。

「鬼が二体も現れたというのか?」

 疑いの目を向けて青年が問いかけた。

「うそはついていない」

 少女は抑揚のない声で言葉を返す。しばらくの沈黙の後、少女は続けた。

「鬼を逃してしまった。他の鬼を呼んでまた現れるかもしれぬ。すぐにここを離れたほうがいい」

「もうこれ以上は進めぬ。皆を休ませなければ」

「それは危険だ。複数の鬼が相手では助けられるかわからん。もう少しだけでも進もう」

「無理だ、もうみんな限界だ」

 青年はそう言うと、痛みからか顔をしかめた。少女は、無表情なまま、それ以上何も言わなかった。

「もし歩き続けられたとしても、鬼が来るのならどこかで捕まるだろう。隠れていた方がまだましだ」

 青年は言葉を続けた。

「それに犠牲者を葬ってあげなければ」


 なんとも陰鬱な作業が始まった。

 青年が中心となって、砕かれた老人の体を拾い集めた。

 鬼に見事な一撃を与えた二人の英雄は、即死の状態だったようだ。体はありえない方向にねじ曲がり、血溜まりの中に横たわっていた。

 少女は手伝おうと声を掛けたが、皆は無視して死体を運んだ。そのまま何も言わず、少女は立ちすくんだまま作業を眺めていた。

 遺体を埋めるため、穴を掘る段階になって、道具がないことに気づいた。刀や槍ではうまく土を掻き出せない。土をほぐしていき、手で掻き出す作業がしばらく続いた。

 なんとか二人分の穴が掘れたところで、ほとんどの者が地面に座り込んでしまった。

 一人が、作業の様子をじっと眺めていた少女に気づき、こう言った。

「おまえ、その刀でぱっと穴を掘ることはできないのか」

 少女は表情を全く変えず、その声の方向を向いた。

 声は続いた。

「手伝いたいんだろう? ならやってくれよ」

 刀はすごく価値のあるものなのだろう。少女にとっては非常に大事なものに違いなかった。それを穴掘りの道具に使えというのは失礼な話だが、それは承知の上での意地悪な頼みであった。

 他の者も少女に目を向けた。疑念と怒りが混じった強烈な視線が、少女の体に一斉に突き刺さる。少し顔が強張ったように見えたが、何人がそれに気づいたのだろうか。しかし、やがて誰もがわかるほどはっきりと、その目に怒りの色が現れたので、ほとんどの者が慌てて目をそらした。

「皆、やめないか」

 不穏な空気に思わず青年が叫んだ。

「喧嘩しても穴が掘れるわけじゃない。もう少しだ、がんばろう」

 そう言うと青年は率先して作業を続けた。

 少女は何事もなかったかのように、道沿いのあたりまで行くと周囲を監視し始めた。その顔は皆には見せなかったが、心なしか少し涙ぐんでいるようだった。


 ようやく穴を掘り終え、次は遺体を埋葬する作業だ。

 その間、少女は振り向くことなく監視を続けた。声を掛ける者も誰もいなかった。

 土をかぶせ、その上に石を積んで墓標にした。作業が終わると、しばらくの間、皆が墓の周りで黙祷を捧げた。

 やがて、青年が静かに話し始めた。

「皆、もうクタクタだろう。今日はここで野宿するしかない」

「もう鬼は倒したんだ。大丈夫だよな?」

 誰かが訪ねた。

「あの子は一体逃してしまったと言っている。しかし、鬼が一度に二体も現れるなど聞いたことがない。嘘を言っているのでなければ、おそらくその逃げた鬼がこちらに来たのだろう」

 そう言いながら、少女の言葉を思い出し、もう少し詳しい話を聞いたほうがいいだろうかと青年が考え直したとき、少女がこちらに駆け寄ってくるのが見えた。

「ちょうどよかった・・・」

「隠れろ!」

 皆が一斉に振り向いた。

「来るぞ!」

「えっ何が?」

 誰かが尋ねた。

「鬼に決まってるだろう」

 目を丸くした少女は慌てて叫んだ。

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