君はほんとに手段を選ばない

森野 みき

第1話 計画的はじめまして

 夜になると、高級娼街の入り口の赤い門には、明かりが灯る。


 ちょうどその時、杜柳真(ト·リュウシン)は用事を終えてその門から出ていこうとしているところだった。


 「いやー、柳真、今日はほんと最高だったなぁ。俺まじでお前のこと尊敬するわー」


 頭の後ろに手を組んで、悠々と隣を歩くのは同じく武官の同僚の佑映月(ユウ·エイゲツ)だ。


 狭く入り組んだ通りには、どことなく妖艶な薫りと、腰の曲がった客引きの老婆たちの姿がちらほらと顔を出しはじめる。


 「感謝する気持ちがあるなら、俺の頼みはちゃんと聞いてくれ」


 「もちろんもちろん!オレ、あんまりお前としゃべったこと無かったけど、なんかすっごく仲良くなれそうな気がする!」

 

 映月は無邪気に笑って言う。


 男にだけ分かる、この感覚。


 柳真も少しだけ唇の端を持ち上げた。


 と、その時だった。


 数歩先、娼街門の向こう側で、何か蠢く人影のようなものを見つけたのは。


 「···いやっ、離して!触らないでっ!」


 薄暗い通りに、女の声が響く。

 数人の男たちに囲まれて、抵抗している様子が見える。


 「···私は飯盛女じゃありませんっ!寄らないで!····やめてったら!」


 女は何かを振り回して、必死に抵抗しているようだった。  


 だが。

 華奢な身体の線を見る限り、どうみても取り囲む男たちを退ける力は無い。

 袖口から覗く真っ白な肌。

 市井の娘とは思えない。


 目深に被られた笠のせいでその表情は見えなかったが、声から察するに、今にも泣き出しそうだった。


 「かどわかしか。娼街の近くに寄り付くなんて、馬鹿な女だな」


 事情を察した映月が憂鬱そうに呟いた。


 娼街の近くはとかく治安が悪い。


 身寄りの無い若い女がうかうかと近づけば、餓えた男たちに取って食われても文句は言えない。


 というのも、大抵の場合、こうして襲う男たちというのは、この花街をしきる裏家業の一派と繋がりを持っているもので、いかに不憫な状況であれ、そんな男たちと関わりを持とうとする人間などいはしないからだ。


 つまり、皆、見て見ぬふり。


 だから、行き交う人々のなか、過ぎ去り様、その時柳真がその女と視線を合わせてしまったのは、本当に、まったくの不運にほかならなかった。


 「そ、そこの武官さま···っ、どうか、お助けください···っ」


 震える声。

 

 必死に助けを求めるいたいけな瞳が、柳真と映月に投げられる。


 しまった、と思うが、もう遅い。


 あいにく柳真はこのまま立ち去れるほど冷酷な男では無かった。


 内心ため息をつきながら、その場で足を止めて振り返る。

 

 「―――悪い。離してやってくれ」


 「ああ?!」


 案の定、いかにも治安が悪そうな顔つきの男たちが、苛立たしそうに柳真と映月を睨んだ。


 「なんでてめぇらにそんなこと言われなきゃなんねぇんだよ。ぶち殺すぞコラ」


 男たちの数は五人。

 映月の二人で戦えば、何とかなりそうではあったが。

 映月が口元をひきつらせながら、やんわりと同僚の暴走を止めようとする。


 「···柳真。珍しいね。口を突っ込むなんて。どういうつもり?」

 

 女は男たちの真ん中で、怯えたように立ちすくんでいる。


 柳真は静かに男たちに歩み寄った。

 とりあえず適当な嘘をついてみる。

 

 「余計な口を挟んで悪かった。···実は、この女は私の従者の嫁なんだ。放っておくわけにもいかないだろう」


 「ああ?!知るかよ!とっととどっかへ消えろこのクソ若造が」


 「まあそう言うな。この女を譲り受ける代わりに、お前たちに極楽をやろう」


 言って、柳真は、胸元から一枚の紙と筆を取り出すと、さらさらとその場で何かをしたためた。


 そして、そのままそれを正面に立っていた男に押し付ける。


 「―――これを」


 得体の知れない行動に、男はぎょっとしたように身を引いた。


 「な、何だァ、こりゃあ」


 「···赤蛾楼の小琉という妓女を知っているか。あれを一晩買える」


 「―――は?」


 「はぁ?!」


 男たちと、加えてそばに立っていた映月もあんぐりと口を開けた。


 赤蛾楼といえば、高級娼街でもっとも敷居の高い妓楼だ。そして、小琉はその赤蛾楼で一番の売れっ子。

 一晩を共にするためには、どれだけ金を積んでもまず一年ほど待たなければならない。


 まず先に、映月が若干ひいたような顔で呟いた。


 「え、なんでそんなの持ってるの···」


 「俺の名は杜柳真。この極楽行きの紙切れは今夜一晩だけしか使えない。信じるかどうかはお前たち次第だが、場合によっては人生最大の機会をしょうもない市井の女で捨てることになるかもしれんな」


 柳真は映月のぼやきを無視して続ける。

 男たちの目に、微かな戸惑いが生まれたのを見逃すはずも無かった。


 「········っ」


 「信じずとも、行くだけ行ってみれば良い。俺はよくここに来る。もし俺の話が嘘であれば、その時一矢報いればすむ」


 男たちは寄り集まると、その紙切れをまじまじと眺めて、互いに視線を交わしあった。

 そのまま、柳真の出で立ちをじろじろと値踏みするように眺め回す。


 そして。


 無言で我先にと娼街門めがけて一斉に駆け出して行った。


 「·····柳真。何、あれ」


 「さぁな」


 柳真はまたしても映月の言葉を適当に流し、残された女のほうへ歩み寄った。


 「―――怪我は?」


 女はぶんぶんと首を振った。


 その勢いで、目深に被っていた笠がぽろんと外れて地面に落ちる。


 途端、映月が思わず声を漏らした。


 「う、わ····!」


 女は宵闇でも分かるほど、美しかった。


 年の頃は二十前後か。

 夜に溶けそうな白い肌と、肩に流れる明るい栗色の柔らかそうな髪。

 伏せられた瞳を縁取る長い睫毛。 


 そして、唇からはあえかな吐息が漏れる。


 「武官さま···お助けいただき、まこと、感謝のしようもございません···っ」


 それはまさに、男を虜にするために生まれてきたような姿だった。


 柳真は無言で笠を拾いあげると、女に被せた。


 「········?」


 「被っていろ。そのままではまた襲われる」


 「·····も、申し訳ございませぬ···」


 「どこへ行くつもりだ。送る」


 「いっ、いえ、····もうこれ以上は畏れ多いことでございますゆえ」


 「良いから言え。面倒かけたくないなら、大人しく言うことを聞け」


 有無を言わさぬ語調。


 女は困ったような表情で、黙りこんだ。

 そしてややあって、助けを求めるように映月の顔を見る。

 映月は、その表情から事情を察した。


「―――だって。柳真。目的地なんて、どこにも無いって」


「は?」


「身売りに来たんだよね?わけありなんでしょ?」


「·······はい」


 女は俯いて、さらにか細い声で答えた。

 柳真は、眉をひそめる。


「そうなのか?」


「····はい。そちらの武官さまのおっしゃる通りでございます。行く宛もなく、ここへ身売りに、参りました···。でも、いざとなったら·····怖くて····とても、」


 女の言葉は尻切れになる。

 柳真はまたため息をついた。


「···完全に余計な口をつっこんだな」


 素直すぎる言葉に、たまらず映月が吹き出す。


「まあ、俺は柳真が意外と優しいってことは知ってるから」


「うるさい」


「···で? どうするの?···手ェだしたからには、なんとかしてあげるんでしょ?」


 普段の仏頂面と比べると、ほんの少し弱ったような色を見せる柳真。

 映月は完全に面白がる段階に入っている。


 こんな面倒そうな女、連れて帰れば何があるか分かったものではない。

 身なりや所作を見たところ、没落した貴族の娘なのだろうか。


 助けてやりたい。


 だが、無闇に手を伸ばすわけにはいかなかった。一時の感情に流されれば、かえって不幸な目に合わせかねないからだ。


 柳真は女へ視線を投げた。

 本人は意識していないが、睨むような鋭い視線に女はかすかに身動ぎした。


「男の経験は?」


「···おいおい、柳真。下世話なこと聞くなって」


「良いから、女。答えろ」


「ご、ございませぬ····」


 女は顔を真っ赤に染めて、ふるふると首を振った。


 歩み寄った映月が眉尻をさげて、下からその顔を覗きこむ。


「くー、たまんないね。そういう趣味は無いけど襲いたくもなるわ」


「よせ。怯えている」


「ははっ、ごめんごめん。大丈夫だよ。オレは合意のもとにやる主義だから」


 柳真は言葉も無く、ただ女を見下ろした。


 生娘のくせ、いったいどれだけの覚悟でここまでやってきたのか。


 憐れな。


「あ、あの、武官さま····っ」


 そんな同情が顔にでてしまった。


 俊巡している柳真の様子を見ていた女がふと、意を決したように顔をあげた。

 そして、そのままその胸に飛び込んできた。


 慌てて柳真は腕を広げ、その体を受け止める。

 思わず抱き締めるような形になって、


「! 何を···!」


「武官さま!ご無礼を承知で申し上げます!どうか私をお屋敷においていただけませぬか!」


 柳真は目を見開いた。

 女はなおも懇願した。

 必死な声音に一切の余裕は無かった。


「お願いでございます···っ!どんなご用命でも承ります!きっとお役に立ってみせます!このまま得体の知れぬ男たちに触れられて死ぬのだけは、我慢がなりませぬ···!」


 どうか、どうか、と女にすがりつかれて、柳真は眉尻を下げ、たまらず映月を見た。


「おい、なんとかしろ」


「なんとかって、···ぷっ、その顔最高。お前でもそんな顔することあるんだな」


「面白がるな。真面目に助けてくれ」


「だって、お前が最初に口を挟んだ結果じゃないか。オレは知らないね」


 飄々とうそぶく映月を、柳真は恨みがましい眼差しで見つめ返す。

 それから、ゆっくりと、こわごわと、胸元で見上げてくる女の顔を見下ろした。


「武官さま···っ」

「――――っ」


 その顔は、破壊力抜群の愛らしさで、柳真の心をぐらつかせる。

 元来、彼は捨て犬や捨て猫を放って置けないタイプの人間なのであった。


「まあ、そんなに柳真が嫌っていうなら、オレが身元を引き受けてやってもいいけど」


 くすくすと笑いながら、映月がわざとらしく考えこむような仕草で女を見やる。


「その場合、貞操は保証できないな。オレは柳真と違って、欲しいものは我慢しないタイプだから」


 その言葉に、胸元の女がはっと息を呑んで震えるのがわかった。


「わ、私は···居場所さえ、い、いただけるなら····」


「ふぅん。何でもしていいんだ。オレ的には、最高だね。ご飯と寝るところだけあげればいいんだし」


 怯えるな。


 どれだけ世間知らずなのか、と腹が立つ。


 ああもう。


 柳真は、目を閉じると、ゆっくり深く深く息を吐いた。


 「――――俺のところへ来るなら」


 はっと、女が顔をあげた。

 映月は相変わらずニヤニヤと柳真を見ている。


 たぶん映月は、最初から、女を引き受ける気など無い。

 それが分かっているのに、この時の柳真はのせられてしまう自分を止められなかった。

 



 

 「俺の言うことを必ず聞け。いいな?」






 

 こうして柳真は、流されるまま、人生最悪の決断を下してしまったのだった。

 

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