第10話 オーガンとの再会

 世の中に完璧などない。それがどんなに完璧でも、思わぬ所で間違える事もある。彼女の計画は……「完璧」とまでは行かないが、「完璧」にほとんど近かった。少女の心を見抜いて、利用し、自分と執事と一緒にさせる。


 まるで自分のライバルを追い払うように。自分のライバルが一人でも減れば、それだけエルス王子との仲も……。エルス王子に相応しいのは、あのような田舎娘ではなく、自分のような大貴族なのだ。


 大貴族の娘ならば、向こうの親も納得するだろうし、何より王子自身も、その婚約に「うん」と肯かざるを得ないだろう。王族と貴族の結婚は、大昔から決められた不文律なのだ。


 ネフテリアは自分の未来に希望を抱くと、その未来に「クククッ」と笑って、王子の部屋に向かった。部屋の中では、王子が何やら作業していた。


「こんにちは、王子」

 

 王子は作業の手を止めて、彼女の声に応えた。


「こんにちは、ネフテリア。どうしたの?」


「夕食まで時間があるので、ちょっと遊びに来ました」


「そう」


 王子は「ニコッ」と笑って、机の上に視線を戻した。机の上には、膨大な数の手紙が乗っている。


「僕は、手紙の返事を書いていた」


「返事?」と驚くネフテリアだったが、すぐに「なるほど」とうなずいた。「また、恋文を頂いたのですか?」


「う、うん」と笑う王子の顔は、何処か憂いを帯びていた。「今日もたくさんね」


 王子は悲しいような、何処か複雑な顔で、手紙の返事をまた書きはじめた。


 ネフテリアはその様子に目を細めたが、やがて呆れるように「やれやれ」と嘆息した。


「一国の王子である貴方に恋文なんて。無礼にも程がありますわ」


「アハハハ」と、笑うしかない王子。「そうかも知れないけど」


 王子は、手紙の表面を撫でた。


「やっぱり、無視はできない。ここには、書いた人の想いが詰まっているからね。恋人になる事はできなくても」


「その返事は、きちんと書きたい?」


「うん」


「はぁ」と、また溜め息。「王子は、優しすぎます。恋文のすべてに返事を書くなんて。私なら、ビリビリに破いて捨てます」


 を聞いて、王子の顔が曇った。


「ネフテリアは、そんな事をするの?」


「ええ、もちろん。だって」


 彼女の顔が赤くなった。


「自分に好きな人がいるなら、他に恋人なんて要らないではないですか?」


「まあ、確かに」と応える王子は、何処か浮かない顔だった。「そうかも知れないけど」


「王子は!」


 ネフテリアは、彼の唇にそっと口づけした。


「私だけを見ていれば、良いんです。他の子には、目をやらないで。私も、王子だけを見ていますから」


 彼女の哀願するような声は、王子の心を擽った。


「そうだね。僕も」


 王子は、彼女の唇に甘く口づけした。


「君だけを見ている。君は、僕の婚約者だからね」


「はい!」の声が弾んだ。


 ネフテリアは嬉しそうな顔で、彼女の唇にまた口づけした。彼女が王子と連れ立って学園の食堂に行ったのは、夕食を伝える鐘が鳴ってからしばらく経った時だった。

 

 彼女は王子の隣に座ると(周りの女子達は、それを羨ましそうに眺めていた)、得意げな顔で周りの女子達を睨みかえしたが、ある少年が現れた瞬間、その気持ちをすっかり忘れて、目の前の少年にただただ驚いてしまった。


「オーガン……」


「ああん?」の威嚇が怖い。周りの女子達も、それに脅えていた。「何だよ? 何か」


「文句があるわけ、うんう! 文句は、やっぱりあるわ!」


 ネフテリアは、目の前の少年を見つめた。目付きは鋭いものの、整った顔立ちの少年を。彼女は……ん? 二人の関係を説明しろ? 「逆行前は、こんな奴はいなかった」って? これは、確かに突然だったかも知れない。何の説明もなく、彼を登場させたのは。ここはやはり、彼について説明した方が良いだろう。


 彼はアガチ家の嫡男、オーガン・アガチだ。アガチ家は、昔からパキスト家と深い関わりを持っていて、ネフテリアがエルス王子と婚約を結ぶ前は、彼との婚約が予想されていたが、残念ながらその予想は外れてしまった。エルス王子がもし、いなければ……彼女と婚約するのは、このオーガンかも知れなかった。


 ネフテリアは、両目に涙を浮かべた。


「どうして?」


「ん?」


「どうして、病気の事を言わなかったの?」


 を聞いて、少年の顔が歪んだ。


「おま、どう」


 して、の声は聞かなかった。


 ネフテリアは椅子の上から立ち上がると、周りの視線を無視して、彼の体に勢いよく抱きついた。彼の体は、温かかった。周りの声はもちろん、王子の動揺すらも聞こえなくなる程に。彼女は悲しげな顔で、幼馴染の体を抱きしめつづけた。


「バカ、バカ、バカ」


「ネフ(ネフテリアの愛称)……」


 の続きを言おうとしたが、流石に恥ずかしくなったのだろう。「バカヤロウ」と言いながら、彼女の身体をそっと離した。


「周りが見ているじゃねぇか?」


 を聞いて、「ハッ」と我に返るネフテリア。「ごめんなさい」


 彼女は「ニコッ」と笑って……いや、やっぱり笑えない。どんなに笑おうと思っても、彼の未来を知る彼女には……。彼は今から四年後、つまりは十四歳の春に彼女を置いて、天の国に旅立ってしまうからだ。

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