異世界転生したけど、10年で飽きた

木彫りの熊

第0話 ”帰りたい”

「異世界転生なんてしなけりゃ良かった……」


 リオンは酒場の片隅で、そう言った。


 時刻は夜。

 仕事を終えた男たちが、「命の水」と称するエールを一杯ひっかけにやってくる時間だ。

 酒場は農夫や鍛冶屋、商人。その他様々な職業の人々が集まって繁盛しており、客の発する大きな喧噪によって、リオンの言葉は虚空へ消えていった。


「…………」


 クルクルと、空になったジョッキを指にひっかけて回すリオン。

 ぼけーっとした様子で虚空を見つめる彼の目は、生気や活力といった概念とは無縁だった。

 彼を見る人はみな、魂がすっぽり抜け落ちた、生ける屍のような印象を彼に抱いた。


 だから、なにかと面倒見が良い酒場の主が、リオンに声をかけるのも無理からぬことだった。


「どうかしたのか。坊主」

「……ああ? なんでもねえよ……ウィンナーとエールくれ」

「はいよ。……俺ァお前見てなんにもないとは思わねえがな」


 注文された品を差し出すと、彼はそれを食べた。

 パリッと弾けるウィンナーの皮。あふれ出る肉汁。ほんの少しの塩気が、ウィンナーのうま味を加速させる。


「…………」


 もぐもぐと丁寧にかみ砕き、口内を席巻した圧倒的なうま味の塊を胃袋に落とし込んだ。後味すらも外に逃がさぬと、勢いよくエールを流し込む。彼の喉が動くたびに、ジョッキに満たされたエールの水位が下がり……やがてなくなった。

 なにか物足りなさそうな顔をして、リオンはつぶやいた。


「米と味噌汁がほしい……」

「あんだって?」


「いや、なんでもない……エールはもっと冷やした方が旨いと思うってだけだ」

「しかたねえだろ。氷をほいほい出せて、金に困ってる魔法使いがいりゃあ話は別だがよ。今は井戸水で冷やすのが限界だ」


 美味しいものを食べて、少し元気が戻ったようだ。

 しかし、リオンの目には未だ哀愁が満ちている。


「……坊主、お前なんて名前だ?」

「リオン」

「いくつだ?」

「14。物心ついて10」


 空になったジョッキを再び指で回しながら、リオンは質問に答えた。

 歳を言うところで、やけにどんよりとした感じが出たのに気づいた店主。

 彼は年齢がなにか問題だったのかと考え、少し頭を捻らせた。


 答えはすぐに出た。


「……働き先がねえのか?」

「…………。いや、ある。山ほどあるんだけどさあ」

「ほう。山ほどたァ、珍しいな」


 感心する店主とは裏腹に、リオンは陰鬱な雰囲気を再びまとう。


「話変わるけど、『殺しに行く』って『自分も反撃で殺されるかもしれない』ってことだよな……」

「あン? どうした、急に妙なこと言い出して」

「妙なことっつうか、当たり前のことだろ」

「まァ、確かにそうだわな。殺すんだから、殺されることもある。普通だろ」

「だよなあ……そうなんだよなあ……」

「ン? どうかしたのか」


 なにが琴線に触れたのか、リオンの目が加速度的に濁っていった。

 見る見るうちに気力が失われ、生ける屍のような、負の生命力に近いなにかをかもちだしていくまでに至る。


 あるタイミングでそれが分水嶺を超えたのか、つぶやく。


「……俺、生きることに向いてねえかもしれないな」

「いやホントにどうした!?」


 まずい、なにか触れてはならないものに触れてしまったようだ。

 店主はそう考え、どうにかして話題をそらそうとする。できる限り慎重に、当たり障りのない話題を提供せねば。


「あー、そうだな。物心ついて10ってことは、そろそろ新しいことでも始めてみたらどうだ?」

「もうやりつくした」

「は?」

「狩猟、農業、手内職、剣術、弓術、売り子……ほとんどやった」

「…………」


 店主は再び頭を働かせることにした。

 そして考えついた。


 もしやこの少年、自分が心からやりたいことがなくて困っているのか?


 歳のことで陰鬱になったのも、この歳になって生業にしたいものがないからという自嘲からきたのだろう。途中で挟まれた生死に関することはよくわからないが、”生きることに向いていない”発言はなにもかもやり尽くした上で、なにも生業にしたいことが見つからないからだろう。


 だとすると、自分がかけてやるべき言葉は――


「……旅は、どうだ?」

「旅?」

「そうだ。旅に出て、見識を拡げてみれば、なにかやりたいことも見つかるかもしれないぜ? 最近は魔王軍もゴタゴタで弱体化したっていうし、魔物の襲撃も少ないはずだ」

「……魔王軍? 弱体化したのか?」

「ああ、どうやら、かしらァ張ってた『落星の魔術師』とか言う奴が死んだらしくてな。んで、跡目を誰が継ぐかってんで争ってるところの横っ面を他国が……って案配らしい。伝え聞いた話だと、かなり弱体化しているらしい」

「ふうん。なら、そうだな……旅ねえ、旅か」


 リオンの目に、活力が戻ってきた。

 まだ視線は虚空を向いているが、それは決して虚無感からではなく、ただ思考を組み立てるのに都合が良いからだろう。


「……なるほど。魔法使いを探せば」

「魔法でもならうのか?」


「――いや、帰る」


 リオンは確信を持ってそういった。

 しかし、店主は首を傾げた。


「帰る? お前この村生まれだろう?」

「ああ、だけど……あー、いや、なんでもない。しかし、旅か。いいかもしれないな」

「おう……」


 思わず、といった様子で漏れ出た言葉の内容。そのちぐはぐさに違和感を覚える店主だったが、疑問に思う彼を見ることもなく、リオンは頭のなかにうずまく思考をまとめていった。


「そうだ、ファンタジーなんだから世界間の跳躍くらい……いざとなったら、噂に名高い魔法大国にでも……でも、旅かあ……いや、やらなきゃだよな……よし。おっさん、勘定頼む」

「おっさんじゃねえお兄さんって呼びやがれ」

「あんちゃん勘定頼む」

「……まあ、それでもいいか。エール二杯にウィンナー一本だな」


 その言葉を聞き、銅貨を何枚かカウンターに置いてからリオンは席を立った。


 せわしなく出口へと向かうリオン。

 彼が出て行くまで見送り、そして業務に戻る店主。



 彼らは知らなかった。

 いま、自分たちの手によって運命が大きく変わったことを。

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