第30話

「喜世盛は私が好きだった――の?」

 何故ここに。思うと天斗が携帯端末を振り、百合は片耳にイヤホンをして膝の上のタブレットにつなげていた。

 聞かれていた。一番聞かれて欲しくない相手に聞かれていた。ざあっと頭から血が引いていく音が聞こえた気がした。ざああああ。まるであの日の雨のように。両親が来るのを二人ぼっちで待っていた、中学三年の初夏のように。放送で呼び出され教師の車で病院に向かうと、綺麗に包帯を巻かれた死体が四つ。呆然として立ち竦む俺達に、医者が誰が誰か説明してくれる。顔が焼けただれているご遺体もありますから、の言葉に百合が気を失って倒れた。死体の判別は俺だけで行って、百合はそのまま鎮静剤を打たれて病院に泊まることになった。送ってくれた先生に家まで乗せて貰って、鍵を出して開けようとして自転車が学校に置きっぱなしだと思い出す。はは、と乾いた笑いが出た。だからどうした、俺よ。もっと大切なものに置き去りにされた俺よ。どうして。どうやって。これから生きて行けば、良いのか。

 そうだ百合だ、百合と一緒に生きて行こう。百合だったら同じ傷を分かち合える。百合だったらずぶ濡れの俺に傘をさしかけてくれる。百合だったら。百合しかいない。百合だけなんだ。俺が頼りに出来るのは、百合だけなんだ。百合以外要らない。百合もそうなれば良い、そうするためにはどうしたら良い?

 もっと傷付けて、俺に依存させればいい。

 まったく悪魔のような考えが浮かんだが、それは俺にとっては明るく楽しい名案だった。そうだ。百合だ。百合がいる。俺には誰でもない、百合が遺されたんだ。


 迷妄に笑って家に入る。まだ両親の匂いが残ってる。とりあえず風呂に入ったらその水が冷たいのにビクッとする。いつも最後に入ってたから、最初に出る水が冷たいなんて知らなかった。それが悲しくて、ボイラーが壊れる勢いでバスタブに湯を溜めた。満杯の風呂にダイブして、涙を振り千切った。ただ告白するだけじゃ断られるかもしれない。百合の母さんに教えてもらったクッキーでも付けようか。タフィは溶けてベタベタになってしまうだろう、これからの季節。そんな一から始めなくても俺にはもう幼馴染と言うアドバンテージがあるんだ。ちょっとつついて落としてしまえばいい。奈落の底へ。俺のいる場所へ。百合。百合! 俺はお前を手に入れるためなら何でもしてやる! それが犯罪と言われることだとしても、俺には関係ない。だって俺が幸せにすればいいんだ。俺が百合を、幸せにすれば良いんだ! 怖くないように、寂しくないように! 何て素敵な考えだろう!

 バスタブに潜って息を止めて、考えるのはどうするかだ。どうやって百合を手に入れよう。俺しか見えない様にさせよう。俺だけを見て。百合。あいしてる。これは愛情だ。寂しさと虚しさが根底にある、それでもこれは愛情だ。昔からそうだったじゃないか。年末年始の挨拶に来る天斗から引き剝がしたくて二人だけで神社に行ったり、お寺を回ったり。それが嫉妬からくるものだとしたら、俺はあっさりと言える。百合が好きだ。愛してる。これからもずっと一緒に居たい。子供だって出来たら欲しい。俺は働いて、百合はあのサンルームで家事の合間を過ごして。


 生憎形は保健体育の授業で変わってしまったが、百合が今一番信頼してるのは俺だ。油断して依存しているのは俺だ。寝顔にちょっとキスをするぐらいで嫌われないと思ってる。でもあの事件がばれたら? 駄目だ、それは。天斗。お前は特に駄目な相手なんだ。ポケットには折り畳み式のナイフ。何度変えただろう。買っただろう。死ね、人殺し。俺以外の人殺しは要らないんだ。百合にとって自分を殺した人殺しでさえあればそれで良い。俺は百合の、百合殺しの殺人犯だ。そして介護人。それで良いじゃないか。百合を殺し続けて生かし続ける。これが俺の生存本能。百合を愛し続ける。それも俺の生存本能。食べてしまいたいぐらい可愛い俺の百合。誰にも渡さない。天斗にだって、渡さない。


「そうだよ、百合」

 俺は落ち着いた声で諦めたようにその顔を見る。きょとんとして、まるで意識しない方向から飛んで来たボールに当たった球児のように。でも俺にとっては必然なんだ。遅すぎたぐらいに。

「俺はお前が好きだ、愛してる。こんな所に一緒に連れてくるぐらいには、愛している」

「私――私は、喜世盛を、ユーシを、」

「答えは急がなくて良い。出さなくったっていい。でも俺がお前を愛している事だけは、知っていて欲しい」

「喜世盛、」

「愛してるよ、百合」

 その身体を犯して汚して傷付けて、一人で歩くことすらも俺に頼るように。

「喜世盛、」

「帰ろう、百合」

「それで良いのかな? 勇志君」

 天斗が横車を押し出してくる。

「良いんだよ。俺は。百合が望むならキスだってもうしない」

「それはやだ」

 百合の声が響く。

「私は喜世盛が好きだから、今のままで良い。キスだって、口にしてくれたって良い。私はそのぐらいに喜世盛を、ユーシを、愛してる。好き。大好き。だからおいて行かないで」

 心の中で密かに喝采を上げる。

 こういう百合に作ったのは俺なのだ。

 必死に手を伸ばして俺を求めるように百合を作り直したのは、俺なのだから。

 だからたとえ俺が犯人だったかもしれなくても、百合はただ黙ってトランキライザーを飲み続けるだろう。考えないようにしてくれるだろう。何も何も、忘れたままにしてくれるだろう。

 怜悧なその頭脳を、俺にだけは酷使しないだろう。

 ふうっと天斗が息を吐いて、一瞬俺を睨む。終話ボタンを押して、携帯端末もポケットにしまう。

「リリィが良いなら、僕には何も言えないね」

「天斗……」

「ただし勇志君がリリィを傷付けたなら話は別だ。僕の持てる権限すべてを使って君を破滅させるよ、良いね?」

「お前はロンドンで金髪美人に騙されないようにな」

「残念ながら僕は黒髪大和撫子派なのだ。リリィみたいなね」

 百合が一瞬車椅子を下げる。

 冗談でもないけれどそれは傷つくなあ、とおどけた天斗に続くのは、鍵村さんだ。

「ま、それで話が一段落してるなら、オジサンには何にも言えないね。しかし高校生の恋愛は情熱的でオジサンにはちょっと胸に悪いよ。それで? なんならゴールデンウィーク終わるまでこっちで遊んで行っても良いけど、どうする?」

「じゃあキャンセル待ちの多そうな末日で。飛行機」

「ほいよ。ホテル代は平気か?」

「俺たち結構お金持ちなんで」

「たち?」

「百合籠翁の遺産をちょいと」

「次に心配なのは乙茂内グループだな……この前が宇都宮だったから。百合籠翁の事は業界仲間に知れてるけど、お前さんたち死神みたいだな、まるで。学生服とセーラー服の死神。逆に怖い」

 失礼な。まるで俺達が殺し合ってるみたいじゃないか。そんな覚えはあんまりないぞ。水原嬢の涙に賭けても。百合の悲鳴に賭けても。天斗の冤罪には別に賭けない。こいつはこいつで自分のことは自分で出来る。自分の事が自分で出来ない百合の為に、俺は名探偵の介護人でいるのだ。それが一番、大切なこと。信頼されること。信用させること。そうすればいつかは、少なくとも二年後には、百合は俺のためにクッキーを焼いてくれるぐらいにはなるだろう。百合。リリィ。その頃には天斗にだってそんな呼び方させやしない。大体自分だって百合じゃねーか。名探偵リリィ・タッカーとか二十歳までやってろ。二十歳過ぎたら痛いからやめろ。

「じゃあ、俺達はホテルに帰りますんで。あと行きの新幹線代も下さい、鍵村さん」

「金持ちなら自分で出せよ! 後で請求書渡せ!」

「はーい」

「大阪は今日回ったんでしょ? だったら明日は京都来てよ京都ー、俺住んでるのは京都なんだー。神戸はあんまり行ったことないけど大阪と京都なら結構遊べるところも知ってるよ! 舞妓の着付けとかやろうよリリィ~」

「お前がいるならなお除外したいが、舞妓は捨てがたいな……」

「勇志君とこんな所で気が合うなんて……結婚式は和風でね」

「ぎゅっと手を握るな気持ちの悪い。ドレスの方が車椅子隠れて良いだろ」

「着る私の意見は聞く気ないね? 二人とも。誰と着るかもまだ分からないのに」

「綺麗なお姫様になろうな、百合」

「そうそう、和風も洋風もお姫様さっ」

「本当……」

 馬鹿ばっかり、呟く百合はもう苦笑いを浮かべて、カップの中のトランキライザーに噛み付いた。

 誰か偉い人が言っていた

 これでいいのだ。

 俺達はこれで、幸せなのだから。

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