第20話

 今度の手紙は遠く北海道から届いた。本州を出ることになるとは、と春休みの予習復習を百合と行っていた俺はようやく温かくなって来たサンルームの百合に声を掛ける。しばらく躁鬱続いていた百合は、ダウナー系の薬で濁った眼をしている。そして俺の手から手紙を取る。北海道は網走。というと刑務所のイメージしかない。俺は読んである手紙を百合が再読するのをペン回ししながら黙って応えを問う。

「元・網走刑務所特別飛び地独房ね……そんなの聞いたことないけど、それを賭けて日本中の探偵集めてるって、悪趣味極まりないね」

「いつもそうだったろ、お前が呼ばれるのなんて」

「今回は喜世盛もだよ。新幹線の切符と道内行き放題、二人分入ってる」

「うわー嬉しくねー」

 まあ出費がないのは良いが、コレって絶対来いってことだよなあ。思うと憂鬱になったが、事件は定期的にあった方が良い。収入になるから。贈与税はちょっと痛いけど痛すぎる訳じゃない。少なくとも一億よりは。あれは手続きが多くて面倒だったぜ、爺ちゃん。半分で良かった、半分で。税務署の手紙を義親に怪しまれたりして。手続きは全部自分でやって、百合のもついでに済ませた。俺は犬タイプの人間なのだろうか。百合の為なら何でもしたいタイプの。と、パトローネがサンルームに入って来て百合の脚に懐く。長いスカートが少しずれる。俺が犬ならあんなことも出来ただろうか。しただろうなあと溜息を吐く。

「収監者の涙が付いたと言われる『嘆きの壁』房が特に人気ですって言われてもなあ。んな夏休みしか行けない別荘間に合ってるし」

「冬に行って敢えて暖かい部屋にするって言うのも良いよ。こたつ引き込んでみかん発注して」

「あー、俺らこたつ入ったことないもんな」

「お互いダイニングテーブルだしね」

「な」

 ちなみにダイニングテーブル用のこたつがあるのは知っている。ただ、面倒くさいだけだ。設置が。でかいんだもんよ。

 それにしても北海道まで百合の名が轟いているとは思わなかった。ネットかなんかの書き込みだろうか。タブレットを借りて御園生百合を検索する。結構出て来て驚く。曰く名探偵。曰くヤク中探偵。曰く最終探偵。なんじゃそりゃと思うものばかりだが、名探偵で検索すると出て来る程度には百合の存在は知られているらしい。まあ関わった事件の数々が数々だったからなあ。百合籠の爺ちゃんの事件は表向き警察が解決したことになっているが、実際のところは百合の助言があっての事だし。それを知るのは一部の人間ながら、ぺちゃくちゃおしゃべりしそうなやつも知っている。天斗だ。あいつの口に戸は建てられない。

「ま、とりあえず行ってみますか。その悪趣味さんの所へ」


 網走に着くと見覚えのあるでかいタクシーのようなものが着いていて、中年の男がこちらを見てぺこりと頭を下げる。

「高校生名探偵の御園生百合様、そしてその介護人である喜世盛勇志様ですね?」

「はあ」

「こちらにお乗りください。案内をいたしますので」

 やっぱり車椅子用の車両だった。ドアトゥドアの楽な道行きだった。使用人さんは始終お止め遊ばしたのですが、とすまなそうにしている。執事のいる事件に当たるのは何度目かだが、この人は多分殺しも殺されもしないだろうな、と俺に思わせた。誠実で義に厚い。俺達みたいな子供にも。目撃者にぐらいならなるかもしれないが、とまだ寒い北海道で冷房を付けている車の助手席で思う。百合にストールとひざ掛け持ってきて良かった。カシミヤの温かい奴。俺が爺ちゃんの遺産で最初に買うのがまず百合の物って辺り、何とも自分が自分らしい。

 それでも寒そうにぶるっと震えた百合に。使用人さんはおろ、とした。

「お寒かったでしょうか」

「まあ東京は二十度超えてますからね。これでも冬服なんですけれど」

「二十度……こちらは北側の斜面にある畑がまだ凍っているほどですよ」

 ほっほ、と笑って暖房に変えてくれるこの人も、事件の仕掛人って線は捨てられないんだから、百合の悪趣味なパーティ行脚は疑心暗鬼しか齎さなくなったな。そう言えば疑心暗鬼の館はちゃんと掃除してくれただろうか。今年の夏はあそこで過ごす予定なんだが。風通しが良くて気持ちいい。

 そうこうしているうちに周りは暗くなり車は目的地に着く。ロッジ村のようなところで、いくつかには電気が灯っているのが見えた。

「明日まではこちらでお寛ぎ下さい。夕飯の時間には呼びに参りますので」

 ぱりぱりと言う地面は半分凍っている。百合の車椅子のタイヤは大丈夫だろうか、俺は思いながらバリアフリーのスロープを回り込んで、もらった鍵を差し込む。中は外よりましだったがやはり寒かった。まずは明かりをつける。ダイニングキッチン仕様だがキッチンは使わないだろう。一応置いてある冷蔵庫に手を伸ばすと、ソフトドリンクが少々入っていた。良い人だ、使用人さん。ご主人様もそうだと良いんだが。百合が石油ストーブに火を入れる。これって石油が無くなったらどうするんだろうと一抹の不安に駆られる。晩餐の時にでも聞いておこう。

 はたしてロッジ村には六つのロッジがあるようだった。一つは主賓館らしく少し大きいし屋根にも煙突が付いている。他は十把一絡げ。俺達のと、他には四つだ。どこにどんな探偵がいるのかは知らないが、有名な人なんだろう。関東マイナーの俺達とは違って。否今は北海道に出張中だが。もっともこの村を貸し切っているとしたらだが、と俺は上げていたカーテンを下した。百合は相変わらずトランキライザーをぼりぼりしている。胃に悪いんじゃないかと説教をしたことも以前はあったが、発作のひどさに結局許すことにしてしまった。途切れないようにむしろ気を付けているほどである。カプセル錠は出さないで下さいと医者に頼み、百合の状態も伝えているけれど、やっぱりいい顔はしてくれない。当り前だろう。オーバードーズで胃洗浄経験すらあるんだ、こいつは。しかも一度でなく。

 と、こんこんこんこん、とドアをノックされる音が響いて俺達は顔を見合わせる。夕飯にしちゃ早すぎないか、思って単身で玄関に向かい鍵を開ける。

 真っ青な髪にすかさずハグされて、思考が止まる。

「勇志君だったーやっぱり勇志君たちだった! 車椅子の音したもんね、そんな名探偵リリィだけだもんね! ねぇリリィは? リリィはどこ?」

「いや……お前……天斗? 何で居る」

「リリィー! 怖くないから出ておいでー!」

「天斗?」

「リリィ!」

 がばちょっ、と百合に抱き着くのを呆然と見ながら、俺達はぽかんとしていた。

「知らないっけ? 西の高校生名探偵百合籠天斗、東の高校生名探偵は御園生百合、って言われてるんだよー俺達。ほらほら!」

 百合の荷物から勝手にタブレットと充電器を取り出して、ぱたぱたとタイピングしていくのを眺め、はっとして俺は開けっ放しのドアに鍵を掛ける。それから戻り、百合のタブレットを見やると、確かに天斗の名前があった。この前は単に名探偵で検索したから出なかったのか。大学生探偵、院生探偵、色々いるらしい。そしてもちろん普通の探偵も。このお遊びに招かれた奴らは誇って良いんだろうな、と思うが、俺達のような屋久杉にも上れない人間にはひたすら迷惑だった。それをするのが介護人としての俺の役目なのだろうが、いつか義母が言った通り杖ぐらいはあった方が良いのかもしれない。転ばぬ先の。今のところは俺が抱き留めてやれるが、もしも離れる時間が今よりも増えるようになったら、それはまずい。薬の管理も、俺の心配も。居留守も使えないのだ、こいつは。夜の怪しげな訪問者に対して。否今の俺もそうだったけど。それはともかく。

 西の高校生名探偵。そう言えばこいつは今関西圏に住んでいたのだったな、とようやく思い出す。年賀状が姿を消し久しいのですっかり忘れていた。今年だってメールだったぐらいだ。百合は覚えていたかもしれないが、まさか自分と同じ『名探偵』になっているとは思わなかっただろう。近親者こそ、検索なんて掛けない。平安時代みたいに心地如何かとメールでも出せばいいんだから。便利な世の中は人と人を繋げるし遠ざける。矛盾だ。

 ともかく天斗はベッドにタブレットを放り出し、疲れてるでしょ、と百合をベッドに横たえさせた。俺にはまだ出来ないお姫様抱っこで、と言うのが腹立つ。男子の一年の差は大きい。背だって天斗の方が高い。あと四か月で国外に行ってくれるのは嬉しいが、その間に俺達も姿をくらまそうかと考えてしまう。大学辺りから足が付きそうだが、百合に無理に遠い大学を提案するのも理由がないし。

「御園生様、喜世盛様」

 こんこんこんこん、とノックが響いて、今度は正体の知れている相手だったので俺は鍵を解いてドアを開けた。

「百合籠様もこちらでしたか。夕飯が出来ましたので、お迎えに参りました」

 ぺこりと頭を下げて来る使用人さんは俺より背が低くてまん丸い体形をしている。愛嬌があっていい。

「ちょっと待ってください」

 天斗を退けて百合を車椅子に戻す。それから百合にストールとひざ掛けを掛け直して、シャリシャリ言う玄関で鍵を閉じ、スロープを危なげなく車椅子で下って行く天斗を追い、先に主賓館へ向かう。

「ちなみに俺達のほかは大学生探偵の江守えもりレミ嬢、院生探偵の桧村鉄斎ひむら・てっさい氏、財閥探偵水原倭柳みずはら・しずる嬢、普通の名探偵の鍵村功かぎむら・いさお氏だよ! 俺達を招いた宇都宮翁は百合籠グループと乙茂内クループに次ぐ巨大グループの会長だね! そんな人でもこんな悪趣味するんだねえ」

 うんうん頷く天斗は半分無視して、残り半分の興味で訊ねてみる。

「天斗もこういう事に巻き込まれて事があるのか?」

「いくつもあるよー頭脳試しの為に探偵が探偵ごっこ始めちゃったこともあったし」

「面倒な」

「ほんと面倒なね」

「き、喜世盛っ」

「うん?」

「喜世盛が押して。天斗早くて怖い」

 あちゃーと言う顔をする天斗に思わずにんまりとほくそ笑むする俺。ふふん、三百六十五日そう年がら年中、こいつと連れ立っている俺を舐めてもらっては困る。

 百合の後ろに付いて俺は車椅子を押す。地面がしゃりしゃりしてて、関東では珍しい感触にへぇっとなった。後ろを見ると黒い筋と二人分の足跡が刻されていて、ちょっとだけ面白い気分になった。ロッジ村にはあちこち足跡があったが、どこも起点は殆ど主賓館だ。頑張ってるなあ使用人のおじちゃん。転がして雪だるまにしたい勤勉さだ。さて俺達も主賓館のドアを開ける。まだオードブルが出ていない状態だったが、アルコールとノンアルコールのジュースが用意して合って、暖炉も煌々と炎を揺らしていた。温かい。と指にいつの間にかグラスを握らされている。あれ? と思うと百合と天斗も持っていた。いつの間に?

 忍者でもいるのかと思うと同時、後ろで玄関のドアが開いた。

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