第19話

 さて。

 俺を狙うなら良いが百合に手を出したことは後悔してもらおう。俺は二人を引き摺って百合の母親が死んだ時のまま残してある電動自転車に乗った。そして百合が小さい頃に使っていたという負んぶ紐で二人を自分の身体に括り付ける。それから向かったのは最寄りのガート下だ。まだ車の途絶えないそこは、悲鳴も消してくれるだろう。

 死ね、人殺し。

 俺はいつも携帯している小型ナイフで、二人の股間を刺し貫いた。

 声もなかった。


 急いで電動自転車で百合の家に戻り、手に血が付いていないか入念に洗った後、百合の部屋に戻る。脱臼を戻すゴキッと言う振動音と痛みにか、ヒッと意識を取り戻す百合。百合、と呼べば一瞬怯えた顔を見せながらも俺を認識して、ほうっとまあるい溜息を吐かれる。車椅子に乗せようと体を寄せると、すんなりその両腕は俺の首に回った。これで良い。百合を傷付けるのも癒すのも、俺だけに許されたことだ。天斗も上級性も関係ない。俺達の関係はこれで完結しているから構わないのだ。誰かが間違っていると言ったって、だからどうしたと反駁してやる。天斗にも世間にも。間違っているのが俺達の正常だ。俺の、正常だ。

「怖い夢見た」

「そっか」

「喜世盛が来て私を助けてくれた」

「そっか」

「今日、そっちの家に行っても良い?」

「カップは忘れるなよ?」

「うん」

 俺達の関係はこれで良い。

 これで良いんだ。

 俺は百合を車椅子に乗せて自宅へ向かう。そうだ、作りかけのカヌレ。あれを焼きたてで一口やろう。俺の作る甘いものは百合の精神安定にも良い。母親の味だからだろう。最初はクッキーすら受け付けなかったのに、今はクーヘンまで貪欲に食べるようになった。となると百合の母さんには一生勝てないな、と思う。いつも一緒におやつをごちそうになってた俺だって、百合の母さんの味は大好きだ。それを自分で再生できることは、誇らしい特技の一つだと思っている。

 突然飛び出していった俺に驚いていた義父母には、百合が悪夢で叫んだから、と言い訳しておく。ついでに名残があるからこっちに泊まることも。戸惑う義母の了承を何とか取り付け、俺は百合の部屋に向かう。

「今日は予習復習無しな。さっさと飲んで眠っちまえ」

 俺は百合の手に睡眠導入剤をぷちぷちと出していく。それとまだ熱いカヌレを一つ。両方一気に齧り付いた。くすっと笑って俺は零れそうなそれを支えてやる。両方なら苦くないってか。可愛い奴め。可愛い。げっそりしていたあの頃より、ずっと顔色も良くなったし口も開けるようになった。どんよりした目は時折星が灯るようになったし、俺に対する絶対の信頼は変わりっこない。百合は俺の物として、今も存在している。あの頃よりずっと、俺に依存して生きている。四人分の合同葬儀で呆然として椅子に座っていた頃よりも。それでもカラ元気で学校に通うようになった時よりも。俺がレイプして、完全に心の柱すべてがバキバキに折れた時よりも。

 ずっとずっと、百合は俺の近くにいる。

 俺は百合の近くにいる。

 それが許されるのは俺だけなんだ。

 他の誰にも渡せない、俺の位置。

「喜世盛」

「んー?」

「喜世盛は私を裏切らないよね」

「何言ってんだ」

「そのぐらい怖い夢だった」

「…………」

「あの時も喜世盛が通り掛かってくれたら良かったのに」

 通り掛かったさ。

 ゆっくり歩調を速めて後ろから目隠しを用意して。

 最初に奪ったのは視覚。見られるのが一番やばい。それから口枷。叫ばれてもばれないように。そうして草の中に引きずり込んで。逃げられないように足を脱臼させれば、後に必要なのはコンドームだけだった。あんな馬鹿ども、百合に近付けるのもおこがましい。おぞましい。大方俺の名前を使って百合の家に入ったのだろうが、これからは居留守を覚えさせなきゃな。特に夜は。ナイフは土手の適当な所にブッ差してきたし、勿論指紋も消去済みだ。この手の事に慣れている自分の将来が本当に百合籠グループの将来に役立つかは、本当、分かんないぜ。爺ちゃん。

 でも俺はこの愛し方で百合を愛していきたいんだ。それが百合にとっては地獄でも、俺にとっては楽園だから。ろくでもない幼馴染なのかもしれない。いや、そうだろう。百合にとっての俺は加害者であり救世主だ。俺にとってはそれは最高の事だ。百合の最低が俺の最上。睡眠薬が効き始めても俺の服の裾をしっかりつかんでいる、ああなんて可愛い可哀想な百合。俺の、百合。

 額に軽くキスをして、華奢な指をゆっくりシャツから離させる。一本。二本。青筋を隠さない不格好で細い指。その一本一本までが、愛おしい。

「ゆーし……」

「うん」

「ゆー……」

「うん」

 ここに居るよ。

 悪魔はずっと、ここにいる。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る