第8話

 まだいた警察が乗り込んできて、アンモニア臭におぇっとなりながら、実況見分が始まった。今度は第一発見者として尋問されることになったが、俺がリビングルームにいたのは二人の叔母や斎の河原の話をしてくれたお婆さん、それに注釈をつけてくれた看護師さんとで、アリバイは完璧だった。もっとも中学生が意味もなく二人の老婆を一日に殺すなんて有り得ないことだが、一応の確認だったのだろう。斎の河原の話をし、まださっきの事件は誰にも口外していないことを固く誓えば、俺は無罪放免だ。今回も自殺で片付けられたのは、その斎の河原ってやつに憧れたんだろうと言うことになって。もしかしたら最初のお婆さんも同じ理由だったんじゃないかと言うことになって、宣教師の話を聞くことになったが、手掛かりはほとんどなかった。ネットショッピングのような軽々とした言葉遣いで年寄りたちを夢の世界に引きずり込んでいったのだという。黒い服に黒い帽子、黒いサングラスに金髪の細身の男だったが、それだけで名前も知れない。そうして金も取らずに心を奪って行った。とは有名なアニメのラストだが、まあそれに感化されたのだろうと言うことになって。

 百合の元に戻ると、両手を出された。ああ、と俺はカップを取り出して、順番に薬を入れてやる。抗精神薬。睡眠導入剤。もう一度抗精神薬。睡眠薬だけで一回分が十錠以上あるので、加減が大切だった。それにも慣れて来たのが、最近の俺である。

 警察の所見はこうだ。

 鬱から躁になりかかっていた彼女は不意に斎の河原の話を思い出し、自分もぽっくり死んでみようと衝立に破いたバスタオルを引っ掛けそこから首を吊った。だが首つりには軽い体重はいたずらに彼女を苦しめただけで、結局死体があんな様になるまで死にきれなかったのだろうと。

 ちなみに警察が正しかったのはここまでだ。次の日、ホームにいた老人たち全員が殺し合うまで。


 昨日二人死んで今日十二人死んだホームは、当然マスコミにさらされていた。関係者です、と黄色い立ち入り禁止テープを百合とパトローネと一緒に行くと。刑事のおじさん――緑川刑事が途方に暮れていた。ある者は自分の首を切り。ある者は首を吊り。ある者は互いに首を絞め合って。ある者は手首を切っていた。朝の体操に出て来ない老人たちに訝った職員達が見付けたのだと言う。その職員達も憔悴しきっていて、パトローネはすりすりとすり寄って慰めていた。と、うろうろしている怪しげな男をくぐって来たテープ越しに見付ける。そっと看護師さんに尋ねると、そうだとこくこく頷く。

 果たして弾丸と化したパトローネは、その男を俊足で捕まえた。まだ消毒薬やホームの匂いが残っていたのだろう、ズボンを噛んで離さないパトローネに難儀していると、今度は警察に囲まれる。黒い服に黒い帽子、黒いサングラスに金髪の男は、そうやって警察に確保された。そして百合は叫んだ。人殺し、と。


 斎の河原の話は古典と安楽死を掛けた作り話だったらしい。だが、家族に迷惑を掛けずに死にたい、と願う気持ちを利用したある種の催眠術なのだと。目的は入所者の一人だったらしいが、信心厚い年寄りたちは妄信し、更に二人が旅立った現実が、彼らを深夜の殺し合いに導いたのだと。

 そしてその裏を知らないのに犯人――容疑者――誘発者――何でも良いや。とにかくそれを当てたことで、百合は世間に名探偵少女現る、と喧伝されることになる。感覚で物を言うと言ったのは、実家に一時帰宅していたお婆さんだ。やっぱり名探偵は違うねえ。それはいつも百合がホームズの朗読をやっていたせいだろう。どちらかと言うとポアロ向きな誰もが犯人で誰もが被害者だった、この事件はそうやって終わって行った。

 施設はがら空きになり、誰もが近づかなくなった。箱だけが残った。所有者はそこにマンションを建てて再建を図ったが、部屋の戸はまだほぼ空きであるらしい。俺はそこの一室を買って、たまに叔母たちと犬トークをする。その間の百合はお休みモードなので、三匹の犬に守られている。

「ああ、そうそう刑事さん」

「な、なんだね?」

「パトローネの親。コダックとライカなんですよ」

 これもまたカメラ関係会社だったので、流石に噴出された。



 今日みたいな日はパトローネと百合とを連れて試験勉強に励むのも慣れたものだ。幽霊は出ていないので幽霊マンションではないのだが、去年の事件を覚えている酔っ払いがたまにぎゃーぎゃー騒いでいるので、心霊スポットにはなっているのだろう。それも良い。上下左右斜めと誰もいない部屋は静かで快適だ。さてまず数学から。公式覚えてテストの最初のページに全部書いときゃ忘れやしないだろう。化学は得意な方だからのんびりノートの引用をする。百合は前回のテスト範囲も覚えているらしいし、教科書を読めば大体覚えてしまうだろう。カメノコは苦手だと言っていたが、苦手なだけで、出来ないわけじゃない。好き嫌い抜きで言うなら体育以外ほぼA判定だ。体育の時間は保健室の固いベッドで眠っている。出席回数ゼロでも怒られないのは、保健で稼いでいるからだろう。中学の頃は女性ホルモンの名前を聞いただけで絶叫していた。多分今もそうだろうが、化学はちょっと違うので――二年になったら加わる生物は心配だが――他の授業だって、何度出たことがあるものだか。

 まったく仕方ない探偵は、今日もうつらうつらしている。だがカップは空だ。薬は昼になってから。そうすればテストが終わるころには効いて来る。流石にテストで寝させるわけには行かない。介護人である俺が怒られてしまう。苛々しだしたので一錠だけダウナー系を渡し、テスト中に寝たら二度とテストの日はやらんぞ、と言い聞かせる。こくこく頷いた百合は、機嫌良さそうに数学の模試を解いていく。

 女子高生が心惹かれるおやつにトランキライザーが含まれてて良い物だろうか。一瞬考えて、やめる。

 百合をそう言う百合にしたのは俺なのだ。

 何の罪悪感もなく、後悔もなく、そうしたのは俺なのだ。

 だから俺は、にんまりと笑う。

 百合の見えない場所で、にんまりと。

 斎の河原でもし自分を負うのが俺だったら、百合はどんな悲鳴を上げてくれるんだろう。もっとも百合の方が早く死にそうだが、その時は全力で俺が身代わりになろうとは思っている。百合にまでおいて逝かれるのは御免だ。どんなに不健康でも、俺より長生きしてもらおう。俺はそれこそ、ぽっくり逝きたい。一時期流行った歌のように、前日まではぴんぴんしていたのに翌日にはころりと逝っている。そう言う未来が、俺の望みだ。

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