第24話 論功行賞 2

 時は少し遡る。

 戦を終え、盧氏も粛清し泱容はついに皇帝に即位することになった。

 論功行賞を皇帝の立場から行うため、先に皇位継承を行うこととなったのだ。


 登極礼は、諸侯百官を呼び集める正殿即位礼に始まり、改元令を発し、五山の北岳泰山に登り封禅の儀を経て、献龍の儀を行う。そして最後に、一般参賀で城門を開け放ち、民の前に披露する。ここまでが即位登極礼である。日数にして一ヶ月はかかる一大行事だ。


 この行事の中で一番重要とされているのが、献龍の儀。


 太祖尊霈たいそそんはいミズチを討ち取った功績により、帝位についたのを称え、また蛟の復活を阻むために、蛟に見立てた蛇の首を落とし、その首を崇江源流にある龍神廟に奉納するというもの。

 単純で、さほど大した儀式でもない気がするだろうが、これが儀式の中で最も過酷なのだ。

 封禅の儀も、険しい山を登り幣帛へいはくを燃やさねばならないから、中々大変なものだが、一人で登るわけではないし、行うのは昼間。

 その点、献龍の儀は秘技であるため、全行程を皇帝一人だけで行わなければならない。

 しかも、日が没してから行わねばならず、夜中に西域の最高峰である崋山の山腹にある、崇江源流近くに建つ、龍神廟まで行かねばならい。

 その上、夜明けを待ち、日の登るとともに廟に籠もり、日が没するまで座禅をして、天恵をその身に授かるというものなのだ。

 過酷にして最重要儀礼。

 皇帝が負う最初の苦行である。


 しかし―――、

 実はこの儀式、先代の皇帝で途切れている。

 というのも、先々代は大変な暴君であったとかで、先代皇帝に討ち取られてしまったのだ。その混乱に紛れて、献龍の儀で使う一番重要な皇帝の剣が失われてしまった。故に、先代はこの儀式を行っていないのだ。


 それを泱容の代で復活する事となった。

 これを楊太師から聞かされたとき、泱容は目の前にいるこの老人を殴り飛ばしたくなった。


「毒で、自由の効かぬ体で、軍を率いさせた事に飽き足らず、まだ苦労せよと申すか?」


 泱容はこめかみに青筋を立てながら太師を睨んだ。すると太師は


「僭越ながら、陛下。陛下の血筋に不満を抱く不届き者もおる以上、先代を超える正式で正統性のある儀礼にしなければなりません。」


 と恭しく頭を垂れて言うので、泱容は苛立ちながらも諾とした。

 泱容自身も解っているのだ。

 泱容はこれまで、公式な場で顔を出したりしてこなかったため、交流もなければツテもない。

 唯一と言っていいのは、幼い頃から遊び相手兼護衛として側についていた黄猛騎くらいだ。

 そんな引き籠もりのポッと出の皇子、しかも母は外国人どころか人種が違う。

 そんな彼に求心力も支持もあるはずがない。ただ一大勢力を築いていた盧氏を倒した、ということだけが、輝かしい冠となっているに過ぎないのだ。

 だから付け入ろう取り入ろうと、虎視眈々と狙われているに違いなかった。故に、少しでも権威付けを行い、貴族奴らの下心を挫かねばならないのだ。

 泱容は気を取り直して訊ねた。


「ところで、皇帝の剣とやらは見つかったのか?」


 すると、太師は


「今探させておりまする。間に合わぬ場合は……」


 太師が宦官に目配せするとゴテゴテと飾りのついた剣が運ばれてきた。


「これを代わりにせよと……。」


「は。左様にございます。」


 泱容はざっと剣を見ると呟いた。


「野暮ったい。」


 剣の柄や鍔は、黄金で龍の紋があしらわれ、そこらかしこに色とりどりの宝石が輝いている。


「陛下が持てばそれはそれは見栄えいたします。」


「そうか…。」


 泱容はげんなりした。

 しかし、儀礼など些事である。そんなことより……


「アトを貴妃に迎え入れるのはなぜだ?」


「陛下がお望みになられたことです。」


「あぁ。下級妃に収めておくつもりあった。矢面にまで立たせる気はなかったが?」


 泱容の視線は厳しく太師を射抜いた。しかしこの憎たらしい老人は平然としている。


「下級妃など! そんな立場に置けばまたたく間に失いますよ。」


「馬鹿を言え! 貴妃等と! それも論功行賞に出させろ? そんなことをすれば母上の二の舞になろうことは、一目瞭然であろうがっ!!」


「だからと言って、陛下はあの小娘を愛さずにはおれぬでしょう。」


「何が言いたい?」


「目立たぬ立場においても、陛下が足繁く通っていれば変わりないということです。隠していても、城の中では筒抜けでしょうし。ならば、堂々とお会いなさる方が危険も少ない。違いますかな?」


 泱容はそう言われて思わず押し黙った。

 確かにそうだ。

 アトとの気兼ねのない会話は心地がいい。小賢しく取り入るわけでも、媚びへつらうわけでもなく、ただ人として向き合ってくれる。

 そんなアトを、後宮の檻に入れるのは辛いと感じた。


 自分の施政で、穏やかに生きていけるなら、それで良しとしよう、そう思うと思っていたのに……。


 戦場にまで現れ、救ってくれたことがどんなに嬉しく、悔しかったことか。


 一瞬期待したのだ。


 もしかしたら、自分を恋しく思って助けに来たのかと……。

 それを見事に裏切られ、非常に悔しかった。

 悔しくて悔しくて、最早あれを他所に出すなど考えられない。

 こんなにまで執着しておいて、側に置いたらきっとたがが外れる。


 それを承知でこの老人は、アトを太后への囮、もしくは罠におびき寄せる餌として使おうと画策している。もしくは泱容を馬車馬のように働かせるため、目の前に吊った餌であろうか?


 泱容は今更ながら、アトを囲ったことを後悔した。そんな彼に追い打ちをかけるように、太師は言った。


「そうそう。隠し置くおつもりでしたら、戦帰りにご自分の馬になど、乗せるべきではありませぬな……。陛下もまだまだお若い。」


 最もな指摘を受け、泱容は恥じ入り震えた。それを太師はほーっほほほほほと笑っている。


 糞爺。棺桶にはムカデでも入れてくれる💢


 泱容は固くそう誓ったのだった。


 その頃後宮では、どこの誰につくのかで侍女や宦官達は揺れていた。

 特に、宦官の多くは盧貴妃に贔屓していたので、新皇帝が泱容であっただけでも背筋の凍る思いである。その筆頭であった如福じょふくなど、生きた心地などしなかった。

 せっかくここまで生き延び、財を貯め余生は静かにと思っていたのに……。


 どうしてこうなったか?

 思えば、泱容……あの皇子は大変に美しく、侍女の他に宦官の幾人まで、懸想をするほどだった。

 その美しさ故か、放たれる何気ない言葉ですら威力があった。


『醜い。』


 城に入って間もない頃、幼い泱容から浴びせられた言葉だ。

 作り物のように美しい少年が、心底嫌悪するように自分を見つめ、そう言ったのだ。

 その瞬間、元々容姿に自信があったわけではないのだが、酷く恥じ入り『申し訳ございません』と消え入るような声で言ったのを、今も生々しく覚えている。

 その後から、ふつふつとドス黒い憎悪が沸き起こった。


 何もかも手にしている奴に、どうしてこうも嫐られなければならぬのか?


 メシに困り、ナメクジでも虫でも口にしことないような恵まれた奴に……。

 路上で薄布一枚で眠り、痰を吐きかけられたこともないような奴に……。

 あんな美しい容姿まであって、しかも皇子で、母御は皇帝に愛されていて……。

 何もかも持っていて……。


 だから、あの少年がどん底に落ちてゆくのを見たくて見たくて、盧貴妃についた。

 盧氏の力は絶大で、母御はあっという間に毒殺された。その時、亡骸に縋ってすすり泣く泱容を見た時は、とてつもなく興奮した。

 その興奮が生きる活力と快感をもたらし、ありとあらゆることをした。例えば、母親の遺品を盗んで壊したり、食事に針を混ぜたり、寝所に男色の兵を手引きしてやったこともある。

 母御が亡くなって、陛下は気力を無くされたため、こちらはやりたい放題だった。

 ただ、年月が経つごとに、殿下の表情が削げ落ちていって、ただ虐めるだけではつまらなくなってしまった。それからは無視をし、世話もされぬように、周りに圧力をかけるようになってからは、あの皇子、男妾のように侍女共や夜這いに来る男共に体を開いて、身の回りを整えるようになった。


 ククククククっ……。

 良い!!

 皇子だと言うに! なんと浅ましく醜い生き方か!!!

 そうだ!

 全克様御即位の暁には泱容めを頂こう!!

 牢に入れ、死ぬまで体を弄んで犯しつくしてやる!!!


 そんな下ひた野望は、順風満帆かに思われたある日、呆気なく崩れ去った。


 どうする……!?

 どうするも何も、太后につくしか道は無い。

 だが盧貴妃に使えていた身、太后はお側に置いてくださるだろうか?


 如福は考えあぐね、ついに太后の部屋の前まで来てしまった。そして……。


「何をしておる? そなたはここへ来ると思って待っておったのに。」


 と涼やかな声がかけられた。そして、如福は恐る恐る部屋に入ると、太后は茶を飲みながらゆるりと腰掛けていた。太后は彼と目を合わすと


「近う寄るがいい。」


 と言うのでその隣に膝をついた。


「そなた……如福といったか? 惹喜に仕えていたそうだな?」


「はっ。」


 如福は震える手に目を落としながら答えた。


「ふうん……。ではそなた、慈英ジエイに毒を盛ったか?」


「いいいえ。」


 如福は一気に悪寒が走り抜けた。

 いきなり故皇太子のあざなを出されて、平気なはずがない。

 確かに、如福は故皇太子の件には直接関わっていないものの、話は知っていた。

 ただ何もしなかっただけである。

 如福は恐ろしさのあまり、震えが止まらない。

 すると太后は微笑んだ。

 どういう意味の微笑みか解らず、冷や汗が流れてくる。太后が口を開くまでの瞬間が、恐ろしくてたまらない。

 如福は恐怖のあまり目をギュッと、固く閉じた。


「判っておる。そちに関わりないことないじゃ。故にそう身を固くすることはない。」


 !!


 如福の首は皮一枚で繋がったのだ。


 た太后が、惹喜に使えていたことをお許しになられた!!


 如福は安堵の笑みを見せた。そして太后は続けた。


「さて、今までのわだかまりもあるだろう……。表には出ぬほうが良い。わらわの宮に移り、この安寿の下で働くのはどうか?」


 安寿、太后の元で働く宦官長。

 安寿は太后に促され一歩前へ出た。


 同じ頃に宦官となった男で、太后に気に入られ出世も早かった。コイツに頭を下げる日が来るなんて……。


 如福は、胃の中から苦いものが込み上がっくる心地がしたが、“泱容に八つ裂きにされるよりマシ”と思い直した。


「慎んでお受けいたしまする。」


 如福はその場で頭を下げた。すると安寿が命じた。


「直ぐに荷物を纏め宮に来るが良い。」


 如福は「はっ。」と短く返事をして退席した。

 如福が去ってから、安寿は太后に不安の声を漏らした。


「良いのですか? 如福など……。」


 太后は変らぬ微笑みを湛え。


「汚れ役は必要じゃ。論功行賞の件もあるしな。」


 と答えた。

 安寿は畏まりましたと返事をすると、下の者たちへ指示を出し如福に対応させた。

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