南国の花嫁 エピローグ 南国の花嫁

 陥没と崩落の騒動から、二日後。満月の夜。


 ディアンとエオニアのふたりは、この地で飛翔族にとって特別な場所であるという、美しい滝の連なる清浄な雰囲気の遺跡で、欠けたところのない昇りたての月に見守られながら婚姻こんいんの誓いをたてた。


 緑あふれる大地を優しく包み込むような夜空には、神話を伝える星々が若いふたりを導くしるべのようにきらめいている。互いに片方の翼を重ね合い、もう片方の翼を広げて永久とわに変わらぬ愛を誓い合う。


 まるで月明かりに光輝く純白の羽を広げたおおとりが天空へ飛び立つ直前の姿のように、美しくもおごそかな光景――魔法王国期から変わらぬ、飛翔族伝統といわれる儀式であった。


 花嫁エオニアの髪を飾り、誓いを見守る者たちの胸元を飾っていたのは、幼子たちが見つけた古代種の花たちだ。結った髪にもちょこんと可愛らしい花を挿したナルニエや、大きなリボンで首もとに花を飾ったピュイとキュイも、喜びと誇らしさに染まる頬をせいいっぱいに緊張させて、おごそかな式に加わっていた。


 感動の余韻が残る足で全員が新婚ふたりの家に戻ったあとは、心尽くしの料理が並べられた賑やかなうたげとなった。


 少人数ではあったが、なにせ幻獣や魔獣や元気いっぱいの幼子おさなご、若さあふれる青年たち、娘たちだ。室内では狭いだろうと考えて屋外の空き地を使ったのだが、それでも足りぬほどの大騒ぎを繰り広げたのだった。


 騒ぎ疲れた幼子たちがようやく寝静まり、新婚の友人たちが部屋に入ったあと、リューナとトルテはふたりきりで深夜の散歩に出たのである。





「あいつら、夜更かししすぎなんだよ、ガキんちょのクセにさ。かと思ってたら、いつの間にか突っ伏すように寝てるし、重てぇったらねえし」


 早くトルテとふたりきりになりたかった、というのがリューナの素直な想いではあったのだが――。ピュイやナルニエたちが騒ぎまくってやきもきさせられたせいか、せっかく機会が巡ってきたというのに、気持ちの整理がつかないでいた。


「今夜は特別ですもの。ナルちゃんたちも嬉しかったんだと思います。三人とも、笑ったまま眠っていましたし……揃っておいしいものを食べている夢でも見ているのでしょうか」


「なんでそんな羨ましそうに言うんだよ、トルテ。さっきあんなに食ってたじゃんか」


「はい。おなかいっぱいです」


 リューナの隣を歩きながら、幸せそうな笑顔でトルテが彼を見上げる。巨大な森の天蓋に遮られながらも地表へ届く月明かりが、少女の瞳に優しい光を灯している。


「ご馳走もでしたけれど、ふふっ。寝ているナルちゃんたちを運んだときのことを思い出してしまって。……リューナは本当に優しいんですね」


「へ? な、なんだよ急に。――っと、気をつけろよ、トルテ」


 転びかけるトルテを、リューナが支えた。根や草蔓があちこちに出ているので、夜目が利く者でなければ、ひどく歩きにくい小道である。リューナはトルテの手を握り、彼女が歩きやすいよう足元を確認しながら再び歩きはじめた。


 トルテは何か言いたそうに口を開いたが、すぐに思い直したかのように口を閉じた。しばらく無言のまま、互いの手のぬくもりを感じながら歩き続ける。


 リューナは思う。幼なじみの彼女はいつだって、彼に歩調を合わせようとしてくれる。文句のひとつもなく、当たり前のように微笑みながら。


「俺が鈍感だったよな……すまなかった」


 今では体格や体力にかなりの差がある。それでも昔と変わらず立ち回り、彼の良きパートナーであろうとする。彼女にとっては無意識の行動なのかも知れないが、たまらなくいとおしいものに感じた。


 リューナは振り返り、トルテを見た。


 今夜の彼女は長い髪を結うことなく、夜闇にも美しく咲き開いた花の冠を飾っていた。シンプルなワンピース、細い腰と胸の膨らみ、裾から伸びるきれいな脚……月明かりのなかでは神秘的なほどに美しく、魅力的だ。


「どうかしましたか、リューナ?」


 自分のほうに視線を向けたまま動きを止めた青年を、トルテが見上げる。月明かりに澄んだ瞳のなかに自分の呆けたような顔を見て、リューナはようやく我に返った。取り繕うようにつっかえながら言葉を探す。


「あぁ、いや……、そ、その花、おまえの髪によく似合ってるなと思って」


「エオニアさんからいただいたの」


 トルテが嬉しそうな笑顔で応える。タリスティアルでは、花嫁から花冠を贈られたひとが次の幸せな花嫁になる――そういえばうたげの最中に、そんな会話が聞こえてきたような気がする。何やらエオニアに囁かれ、トルテが顔を赤くしてとびきりの笑顔になっていた気もするが。


「エオニアさん、とってもきれいでした。この花たちがあって、本当に良かったです。ナルちゃんたちに感謝ですね。洞窟の天井が落ちたときは心配で、心臓が止まってしまうかと思いましたけれど」


「あ、あぁ。そうだな。でもみんな無事だし、穴も全部塞いだから心配すんな。にしても、憲兵たちに見咎みとがめられず戻れたのは助かったぜ」


「そうでしたね。スマイリーには申し訳ありませんでしたけれど、本当に助かりました」


 崩落跡から地上へと脱出した一行は、守護獣の親子にしばしの別れを告げたあと、すぐに穴の空いた岩盤を皆の魔導の力で修復したのである。さすがに植物たちまではもとに戻せなかったが、大地そのものはしっかりと固定することができた。


 その直後に、タリスティアル王国の憲兵たちが到着したのだ。


 地下空洞が崩壊した際の轟音と衝撃が、それほど離れていない王都で騒ぎにならないはずがなかった。偵察のために派遣されてきた憲兵たちを、巨大な体躯で目立つスマイリーが引き付けてくれたおかげで、リューナたちは発見されることもなくその場から離れることができたのである。


 隣国の王族であるトルテの来訪、ディアンとエオニアが魔導士であること、幻精界へ通じる扉の存在、始原の魔獣たち――それらが知られてしまえばいろいろ面倒なことになるのは目に見えていた。友人たちがこの場所で静かに暮らし続けることも難しくなってしまう。


「まぁ、これがソサリア王国内だったら、幻獣でも魔獣でもたいした騒ぎにもならなかっただろうけどさ」


 リューナの言葉に、ふふ、と頬を染めるようにしてトルテが笑う。魔法による騒ぎや不思議な現象、ちょっとした爆発まで、王都ミストーナでは日常茶飯事だからだ。


「それにスマイリーのやつが本気出したら、飛翔族の憲兵たちでも追い切れないぜ。まぁ、その、なんだ……ぶっ続けでいろいろあったし疲れただろ。少し休むか、トルテ」


「はい、リューナ」


 ふたりが足を止めた森の間隙は、満月を浮かべた夜空を眺め渡せるほどに広かった。しっとりとやわらかな草の絨毯に、並ぶようにして座る。


 すでに深夜を過ぎているからだろう、昼間の暑さが嘘のようにすずやかな大気だ。水霧をかすかに含んだ風が大樹の森を吹き抜けて、心地よい葉擦はずれの音を響かせている。


 時折、夜行性の動物や魔獣の気配が近くを通り過ぎるが、魔導士ふたりを相手にちょっかいを仕掛けてくることはなかった。


 遺跡を探索している際の野宿とは違う、穏やかな空気と静寂。月の美しい光と陰影濃い森に抱かれ、ひとの世のことわりから遠く隔たっているような感覚。彼がいま存在している世界のなかで最も確かなものだと感じるのは、傍らに並ぶ少女の存在だ。


 繋いだままの手の温もり、甘やかな香りと魔導の気配。同じ世界、同じ時代に生きていることに、これほどまでの幸せと安堵を感じたことはないと、リューナは改めて思う。


「そうだよな……本当に、奇跡みたいなものなんだよなぁ」


「ディアンとエオニアさんのことですか? そうですね。だからこそ、おふたりには幸せになって欲しいです」


「それもあるけどさ、俺たちも同じなんだよな……って思ってさ」


「あたしとリューナ?」


 意外な言葉だったのだろう、トルテが目をしばたたかせる。言っても何を今更いまさら、という想いが胸を掠めるが、リューナは幼少の頃から心に刺さっていた言葉を口にした。


「身分が違いすぎるだろ」


「リューナはそういうの気になるんですか?」


「いやまさか! けど、親同士が知り合いだからって、トルテは王宮のお姫様、俺は離れた町のただのガキだし」


「グローヴァー魔法王国、最後の王のひとりとして、リューナは立派に皆を導きましたよ」


「それは結果的にそうなったんだろ」


「誰にでもできることではありません。それに、大切な約束を守ってくれました」


「約束?」


「皆が安心して暮らせるように頑張って、約束通りに戻ってきてくれたんです。二千年前から。……すごく嬉しかった」


 トルテがキラキラした目でリューナを見つめ、にっこりと笑う。真っ直ぐな眼差しの奥底にあるのは、揺るぎのない信頼の光だ。


「皆もあたしも両方を幸せにするなんて、とてもすごいことなんですよ、リューナ」


「……おまえには敵わないなぁ」


 トルテの言葉が心の底に残っていた躊躇ためらいを、雪解けのごとく消し去ってゆく。リューナは少しだけ笑い、声を落として言葉を続けた。


「……俺、ずっと自分に魔導の力があると知らずに育った。戦う力が欲しくて、魔術も学んだし剣も使えるようにした。けど、魔法的な脅威から完全におまえを護ってやれない、そのせいでおまえを失っちまうんじゃないかと、いつだって不安だった」


「リューナ……」


「だからいつも自分に言い聞かせていた。それでも、俺は絶対にトルテを護るんだって」


「護ってくれていますよ、リューナはいつだって。大丈夫です」


「何が大丈夫なもんか! おまえは本当に危なっかしくて、すっげえ心配で目を離せなくて、いつだって本当に――」


 しっかりと抱きしめていたいんだ――リューナは喉まで出かかっていた言葉を無理に飲み込んだ。トルテの表情が、必死な想いをなだめるほどにとても穏やかだったからだ。


「あのね、リューナ。大丈夫といったのはね、あたしがあなたに出逢わなかった運命なんて、ないからです。奇跡なんかじゃない。リューナがいたから、あたしが存在しているんです」


「へ? それってどういう――」


「あなたは、あなただから。リューナだからいいんです」


 トルテは繋いでいた手を解き、リューナの首に腕を回して、ゆっくりと力を籠めた。


「大好きです。どの世界の何よりも」


 すべらかな肌がリューナの肌に重なり、リズムを早めた互いの鼓動がじかに伝わってくる。あたたかい吐息。澄み渡った泉のように光あふれる瞳が、間近で彼を見つめている。


「他の誰にも代わりはできません。生涯ずうっと、あなたと歩きたい。一緒じゃない人生なんて考えられない」


 リューナは思い出した。彼女が今までずっと伝えてくれた言葉の数々を。それら全てがトルテにとって本音であり、当たり前の気持ちであったのだ。


「……俺、おまえの気持ちを受け止めてなかっただけなのか。ぐだぐだ悩む必要もなかったんだな。――トルテ」


「は、はい」


 この上なく真剣な声音を出したリューナに、トルテが思わず姿勢を正そうとして首に回していた腕を解きかける。


 それより早く、リューナはトルテの唇に自分の口を重ねた。そのまま離さぬよう、万が一にも邪魔が入らぬよう、しっかりと抱きしめる。


 いつもと違う彼の腕の力強さに戸惑ったように身動みじろぎをするトルテを、さらに強く抱き寄せた。互いの鼓動が速くなっていくのがわかる。


 目の前でひんやりと心地の良い髪が揺れる。ふれ合う唇のやわらかさ。しなやかな腰と細い肩。丸みを帯びた弾力の奥からトクトクと響く音、いのちのぬくもり。


「愛している、トルテ」


 キスの合間に、リューナは言った。ともに育った年月、そうではなかった二年間。すべての時間を受け止めるように、彼女を腕いっぱいに抱きしめながら。


「俺は、おまえを愛している。大好きだ。リューナ・トルエランはトゥルーテ・ラ・ソサリアに誓う。必ず、護る。おまえの心も体も、ぜんぶだ。全身全霊を傾けて幸せにする。どこまでも一緒に歩いていこう。俺と、結婚してくれ」


「……リューナ」


 小さく息を呑み、頬を染めてまばたきすら止めてしまったトルテの様子に、リューナは慌てて言葉を継いだ。


「も、もちろん今すぐとは言わねえから! 王宮のしきたりとか年齢とかいろいろあるし。それまでには、俺も相応しい男になるから――」


 急ぎすぎたかと焦って言葉を足そうとするリューナだったが、今度はトルテの唇でその先を塞がれてしまう。


 不意討ちを食らったリューナは、トルテとともにやわらかな草に倒れた。座った姿勢だったので痛みはなかったが、再び重ねられた部分から痺れにも似た心地よい衝撃が全身を駆け巡る。


「ううん、今すぐに」


 そう囁くように応える声はこの上なく嬉しそうで、語尾は少しだけ涙ににじんでいた。


 輝くような夜、星月の光と大樹の闇に包まれて、ふたりは互いの気持ちを確かめ合った。想いが満たされる安堵と、幸福。リューナは夜がこんなにも美しいものであると、初めて知ったと思った。





「おにいちゃん、おっそーい!」


 ナルニエが戸口を振り返りながら、小さなこぶしを腰に当てて頬を膨らませた。ピュイはその横で同感だといわんばかりに力いっぱい頷いており、キュイはそんな遣り取りを心配している様子で周囲を動き回っている。


「うるせぇぞ、おまえら。こっちは寝不足なんだぞ、夜遅くまで騒いでやがって」


 目をこすりながら欠伸あくびとともに言い返したリューナは、既に出発準備を完了させて友人たちの家の前で待機していた幻獣と幼女、始原の魔獣の末裔たちに不機嫌そうな視線を向けた。


「うっそだぁ。ナルたちも寝るの遅かったけど、おにいちゃんたち、どっか歩いてったよ。ナル見てたもん!」


「寝たフリかよ! こっちは重かったんだぞ」


「重いなんてシツレーなっ。寝てたもん、途中でちょこっと、ぱっと目が開いただけだもん!」


 思いっきり口の端を指で引っ張って舌を出したナルニエに加勢するように、ピュイがリューナに噛みついてきた。片腕で古代龍の末裔の頭部を押さえ込み、心配そうに近づいてきたキュイのなめらかな胴を撫でてやる。


 騒いでいるうちに、戸口からディアンとエオニア、なにやら重そうな土産らしき包みを持ったトルテが出てきた。


「あ、リューナ見てください! 珍しいフルーツをたくさん戴きました。見掛けは黒や緑なんですが、中は真っ赤で甘いんですって。まんまるの形が可愛いですよね」


 笑顔のトルテから荷物を受け取りながら、リューナが翼ある友人たちに礼を言うと、にこやかな挨拶が返ってきた。


「楽しい時間だからかな。あっという間だった気がするよ」


「また逢いたいね。次は、わたしたちから行こうかしら?」


「まぁ、いいえ! あたしたちが行きますから待っていてくださいね。スマイリーに乗せてもらいますから」


「それにしても、スマイリーくんはすごい脚をしているのね。構造が違ったりするのかしら。ちょっとじっくり拝見!」


「ねぇ、リューナ。何かあった? 君、なんだかすごく落ち着いたというか、上機嫌というか。あ……もしかして」


 エオニアと喋りながら歩いていくトルテの華やかな笑顔を眺めて、新婚の友人は得心したように何度も頷いた。


「な、なんだよ、ディアン。まあ……おかげさまだな。進展したというか。ありがとな」


「どういたしまして。何もしていないけれどね」


 赤に透ける瞳を煌めかせて微笑む友人に向け、もう少し詳しい話をしようとリューナが口を開きかけたとき、袖をグイと引っ張られた。視線を落とすと、いつの間にかナルニエが駆け寄ってきていた。


「ねぇ、もうすぐ向日葵ひまわりが咲くんだって!」


 嬉しそうに声を弾ませ、リューナの腕を引いている。


「すっごいたくさん咲く場所があって、エオニアおねえちゃんが連れてってくれるって! また来たいな。地下のお花たちのことも、おとうさんに相談したいし、スマちゃんならあっという間だし、いいよね?」


 リューナはディアンと顔を見合わせて笑い、懸命につま先立ちになって彼を見上げているナルニエの頭に手を載せた。


「なるほど、バルバさんなら良くしてくれるだろうな。植物のことスッゲェ詳しいし」


「ね! ナルもそう思うんだぁ。だから、ね、ゼッタイまた来ようよ!」


「そうですね。賛成です」


 スマイリーの横で、トルテが笑う。了解した、というように真珠色の目を細めた上位幻獣の艶やかな毛を、優しく撫でてやりながら。


「それじゃ、ソサリア王国に帰還といきますか。また来るぜ、ディアン、エオニア。ありがとうな。今度は土産や冒険の誘いもたっぷり持ってくるからさ」


「待っているよ」


 来たときと同じく、一行は幻獣の広い背に乗った。しばしの別れだ。リューナの腕に支えられたトルテが、身を乗り出すようにして明るい声で手を振った。


「きっとまた、逢いましょうね!」





――南国の花嫁 完――

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