双つの都 10-24 領域を統べる者

「ねぇ、リューナ――。この世界が消えてなくなってしまったら、ナルちゃんやスマイリーたちも……危ないということですよね」


「それどころか、俺たちの世界だってどうなるかわかんねぇってことだよな。エルフの魔術師も言ってたじゃんか。現生界の自然の営みというものには、幻精界と深い繋がりがあるって」


「確かに、そうですね。あたしたちの世界で風が吹くのも水が流れるのも火が燃えるのも、精霊たちの力が係わっているんですもの」


「ピュイル」


 トルテの足もとに座り込んでいたピュイが、同意するように頷いた。彼女が腰を折って視線を下げ、子龍と視線を合わせる。トルテは微笑みながら、ピュイの頭を優しく撫でた。


「そういうことならリューナ……あたしたち、この事態を放っていくわけにはいきませんよね?」


 トルテがしゃがみこんだまま首を傾げつつ、リューナを見上げた。訊かれるまでもない、何とかしなければならないという思いはリューナも同じだ。


 リューナは、椅子に座したままのラウミエールに向き直った。


「あんたの言い分はわかった。その場所に行って、俺たちにレヴィアタンをどうにかしてくれってことなんだろ。けどひとつ訊きたい。どうしてあんたが直接行って相手を退かすなり倒すなり、なんとかしようとしないんだ? あんたからはすっげぇ魔力を感じる。俺たちふたり――ッてぇ! ピュイもいたか、忘れてた。とにかく俺たちに頼む前に、自分でなんとかできそうな気がするんだけど」


 子龍に噛み付かれたリューナが尻をさすりつつ視線を向けると、黒髪の男は閉ざしたままの眼差しを彼らに向けた。リューナも背筋を伸ばし、気圧されることのない瞳で見つめ返す。


「私には、動けぬ事情があるのだ」


 ラウミエールはリューナの視線を受け、微笑した。それは、どこか苦悩を含んだように痛ましさを感じさせる笑いだった。


「『影の都』と『光の都』は、互いに互いを必要としている。我らは支え合い、ふたつ合わさることで完全な力を行使することができる。そんな片割れがあるとき幻精界から現生界へと渡り、あろうことかそこに定住することを選んでしまった。都は力を失い、消滅しかけた――」


 リューナは眉を寄せ、トルテが息を呑んだ。


「統治している者が離れただけで、都市に影響が出るというのか」


「個々が完全なるひとつの生命として独立しているそなたたちには理解できぬかもしれぬな。そなたらの目に、我らがどのように見えているかは理解している。けれど別次元の見方で視れば、我らはいまとは全く異質な存在として映るだろう。――心臓部である統治者を失った双つの都は傾き、次元の海原うなばらに転覆しかけていた。私はそれを、己が魔力全てをもって双方を支えることで均衡を保ち、現生界にいた光の統治者を呼び戻したのだ。都の危機に気づいた彼女は、向こうの世界で手に入れたもの全てを捨てて戻ってきた。彼女にとっては……言葉に尽くせぬほどの辛い選択であったろう」


「命である魔力を全てして、双つの都を護ろうとしたのですか。もしかしてあなたはすでに……」


 トルテがつぶやき、目の前に座したままの男の脚に目を向けた。


 男は頷き、本来膝があるはずの部分の衣の上に手を当てた。声を低め、静かに話を続ける。


「……先ほども言ったように、都の民たちは実体をもつようになった者を恐れている――むしろ信頼できぬものとして見ているのだ。『光の都』の統治者であるファリエトーラもまた、愛ゆえに実体をもつようになってしまった。だからこそ、彼女が此度の騒動の原因であるレヴィアタンをアウラセンタリアに招き入れたと考えている者さえいる。けれど――私は彼女ではないと思っている。愛に惑おうとも決して民たちを見捨てなかった彼女が民を滅ぼすことは、絶対に在り得ぬ。私はそう信じている」


 ラウミエールは手を椅子の肘掛けに戻し、何かに気づいたかのようにハッと顔を上げた。


「……どうやら長く時間を取り過ぎたようだ。そなたらには伝えるべきことがまだ多くあるが、できそうにない。あの者がこの部屋を目指し、足早に向かっている――そなたらの連れである幼子おさなごを取り戻す機会が失われることになりかねぬ」


「あの者……て、誰のことだ?」


 ラウミエールはリューナの問いには答えず、腕を振り上げた。くるりと長い指をひるがえし、椅子から離れた空間へ向けて振り下ろすと、そこにぽっかりと通路がひらけた。黒く塗られたような闇色の空間だが、閉鎖された空間ではないようだ。微かに埃っぽく湿った空気が、停滞した室内の空気を押し退けながら流れ込んでくる。


「優しさをもつ青年と娘、そして始原の龍の忘れ形見よ。残念だが、悪しき意図は触手を広げ、確実に実を結びつつある。事態は悪いほう、悪いほうへ向かっている。けれど私は最後には、全てがあるべき場所へ落ち着くものだと信じている。さあ、そこから目指す場所へと抜けられるぞ」


「ちょっと待てよ。あんた、俺たちがこれからアウラセンタリアへ向かって事態を収拾しようとすると、どうして思うんだ? このまま逃げちまうとは思わないのか」


 試すように投げかけたリューナの問いに、ラウミエールは微笑んだ。


「思わぬよ。特に暁の瞳もつ魔導士、そなたのことは知っているからだ。この世界で、過去と未来は繋がっている。出逢いには、どれひとつとして無駄なものはない。運命は最後には、全て円環を成している。けれどいまはそれを語るときではない……さあ、きなさい!」


 力強く発せられたラウミエールの思念と同時に、リューナは入り口のほうから近づいてくる気配に気づいた。ピリピリと首筋の毛が逆立つような、嫌な気配だ。殺気と苛立ちが入り混じった、はっきりとした敵意――。


「トルテ、行こう! 俺たちまで捕まったら、ナルのやつを助けられなくなる」


 リューナは虚空へ穿たれた通路に向けて一歩踏み出し、トルテの腕を掴んだ。彼女は頷いて歩き出しかけたが、ハッと目を見開いて足を止めた。


「待ってください。あなたは、もしかして――」


 トルテがラウミエールを振り返る。だが、ラウミエールの「急げ!」という思念と迫り来る気配に促されたリューナは、彼女の肩を抱きかかえるようにして穿たれた通路へと飛び込んだ。ピュイもふたりを追って飛び込んだ。子龍とはいえ重量のある体にドンと突かれ、リューナはトルテともに完全に通路の入り口から先へと転がりこむ。


 リューナたちの背後で、通路の入り口が急速に塞がれていく。閉ざされかけた隙間から、リューナは見た。星の海に満たされた室内に、足音高く踏み込んできた黒鎧の男を。ラウミエールのように純然たる魔力マナそのもので構成されたからだではなく、実体という外殻をもつ闇の戦士を。


 男は間違いなく、ラムダと呼ばれていた男だ。部屋の内部に、椅子に座した統治者以外の姿がないことを知り、強面を歪めて鋭い舌打ちを響かせる。


「現生界の魔導士たちをどこへやったのだ! 暁の瞳をした魔導士はどこだ。ここへ案内したと兵から報告を受けている」


 統治者たるラウミエールに、語気鋭く叫んだラムダが詰め寄る。


「あやつらの存在も必要なのだ。光の民はすでに捕らえた。『光の都』の反逆を裏付ける間者スパイは見せしめになる。民の疑念も確信に変わり、とりあえずの矛先を逸らすことができる。その間に現生界の魔導剣士と魔導士どもが終止符を打ってくれるだろう」


「終止符? まるで何もかもが終わるような口振りであるな」


 椅子に座したままのラウミエールは、悠然とした面持ちのまま口もとに笑みを浮かべた。


「ここには誰もおらぬぞ。青年らは平穏を願う民たち全ての願いであった危機回避に向け、すでに旅立った。現生界に住まう者たちはそなたより親切であるようだ。自分の同胞はらからかえりみぬ者よりも、というところか。……さて、私はこれから、この騒ぎを引き起こすに至った真の狙いそのものを見極めねばならぬ」


「……すでにいない、だと? 」


 ラムダは低くつぶやき、次の瞬間、荒々しい声で叫んだ。


「まさか……! あやつら、牢へ向かったのかッ!」


 こぶしを音高く握り締めながらラウミエールを凄まじい眼差しで睨めつけ、『陰なる軍勢』を率いる男は足もとに唾した。黒鎧を鳴らしながら凄まじい勢いで身を翻す。そのまま部屋から出て行ったのだろう、虚空に穿たれた通路の隙間から見ていたリューナの視界から黒鎧の男の姿は見えなくなった。


 そのリューナの視線に気づいていたらしいラウミエールは、ちらりと彼のほうに視線を流し、何気なく指先を動かした。通路の入り口が完全に閉ざされる。ラウミエールの表情は、彼に急ぐようにと伝えていた。


 リューナはようやく虚空から視線を引き剥がし、背後で彼を心配そうに見守っていた魔導士の娘を振り返った。


「さぁトルテ、レヴィアタンのいる場所へ向かおう。ナルを助けて脱出しようぜ。こんなところに置いていけるかってんだ!」


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