双つの都 10-23 領域を統べる者
「ナルを捕まえたのは、あんたの考えじゃないってことなのか? すっとぼけるのもいい加減に――」
「待ってください、リューナ。このひと、少なくとも嘘は言っていません」
怒鳴りかけたリューナを制したのは、トルテだった。背丈が小さいので、リューナの胸と腕に手を絡め、体重の軽い体で懸命に押し留めている。目が合った彼女は、頷いて一歩前に進み出た。
「教えてください。どういうことなんですか? 鎧のひとたちの言っていたことと違うみたいですから、きちんと聞かせてください――あたしたちにわかるように」
リューナの目の前で、小さな頭部と金色のツインテールが揺れている。自分のほうが四歳も上になってしまったというのに、相変わらず落ち着いているのは彼女のほうだ――リューナは口をへの字に曲げて閉ざした。
「どうやら、そうせねばならぬようだ。そもそものはじめから語ろう」
ラウミエールは低く落ち着いた、音を伴わぬ波動のような言葉をリューナたちの心へ直接響かせた。椅子に座したまま片腕の先に顎をかけ、豊かに流れ落ちる青みがかった黒髪を空いた片腕で無造作に背に放りながら。
「かつて、双つの都――『影の都』と『光の都』は地と天に隣り合い、この世界の中心にあった。都は広く美しく、暖かな光の恵みと夜闇の憩いの刻を共有していた。都の中央を貫き、縫いとめるかのごとく、アウラセンタリアと呼ばれる柱が天と地を繋いでいたのだ」
「アウラ……センタリア?」
トルテが細い首をちょこんと傾げた。クセのない金色の髪が揺れ、細い肩を覆った端からさらさらとこぼれ落ちる。ラウミエールは頷き、思念の言葉を続けた。
「世界の隅々まで吹き渡る風のように巡る、万物の根源たる
「源……」
リューナは口の中でつぶやいた。思わずトルテに目を向けたが、彼女も首を傾げるようにして彼を見ている。
「非常に重要な場所であるが故に、『影の都』が地の部分を、そして『光の都』が空を護っていた。双つの都がかつて何と呼ばれていたか……その名は引き裂かれたときに失われてしまい、そなたらに伝えることはできぬ。空間は歪み、双つの都は遠く分断され、引き離された民は道理を無くし、すでに行使する魔法のコントロールすら失いつつある」
「引き裂かれた原因はなんなんだ?」
「そなたらの世界から迷い込んだ始原の生き物、レヴィアタンだ」
「なっ……」
リューナは思わず驚きの声をあげた。トルテも大きな目を見開いている。この幻精界へ渡る前、通ってきた遺跡の入り口を抜けた広間で見た、あの
「そなたらの歴史でいう有史以前、遥かに時をさかのぼった始原の現生界は、この幻精界と近い位置にあった。最も古き生き物、知恵ある存在のひとつであったレヴィアタンだが、その巨躯ゆえに種を維持することが難しく、ゆっくりと、だが確実に数を減じていった。あるときついに孤独の存在となってしまった最後のレヴィアタンが、世界と世界を繋ぐ次元の狭間をこじ開け、こちら側の大地へと移動した」
ラウミエールは再び瞑目し、重苦しい波動の余波を放った。
「そのときに幻精界から現生界へ、様々な精霊や膨大な
言葉とともに、リューナとトルテの前へ星がひとつ飛び込んできた。幻影の星は震え、くるくると回った――周囲の星の雲を絡めとりながら膨れあがり、眩いほどに輝きを増してゆく。ついにはパシュッ! と鋭い音を立てて凄まじい光量を発し、掻き消えてしまった。
「これと同じように、掻き集められた魔力が膨れていって、やがては弾けてしまうというのですか?」
星が弾けたときに思わずリューナの腕にしがみついたトルテが、身を起こしながら訊いた。リューナはトルテの肩を支えていた腕を解き、座したままの男に顔を向けた。
「それを引き起こしているというのが、レヴィアタンだというんだな。でもなぜ今になってこんな騒ぎが起こったんだ? 時間の流れが違っているといっても、すっげぇ前のことなんだろ、俺たちの世界からレヴィアタンが入り込んだのは。それが今までどうしていたんだ」
「眠っていたのだ」
ラウミエールは答えた。うっすらとまぶたを開き、言葉を続ける。
「たどり着くなり眠っていた理由は未だ解らぬ。我らは害なきものの生命を悪戯に奪うことはせぬ。共存を願い、互いを尊重する。そうでなければ、属性の相反する種族が上下に隣り合い、ともにひとつの地を護ることなどできはせぬ。そも、
それでも都市の周囲には幾重もの障壁を張り、外部からの進入に対する警戒は怠らなかったのだという。都に属さぬものが突き抜けたときには、都の現し身たるラウミエールの思念の網にかからぬ筈がなかった。その筈であった。
「けど、レヴィアタンはいつの間にか、ぐるりと都に囲まれた真ん中にある空間に入り込んでいたというわけか。察知できなかっただなんて、監視体制に問題があったんじゃないのか?」
リューナは男を睨みつけ、腕組みをした。
「監視体制に問題はない。私自らが都の隅々までを見通し、感じ取っているからだ。都に住まう者以外の出入りはなかった。巡回していた兵たちの交代も滞りなく、思想や意識にも異常はなかった。兵も民も、都たる私が意識を掌握している。我らは集合体、幻精界の最上位にある種族は全体でひとつの生命でもある。ただ数名を除いては」
「数名を除いては?」
「実体を持つようになった者たちのことだ。現生界で長い年月を過ごしてきた者たちのなかには、そなたたちのように実体をもつに至った者がいるのだ。その理由や仕組みまではわかってはおらぬ。けれど、その者たちは、そうではない民たちから懼れられる存在となっているのが現状――我らと記憶を共有することなく、独自の概念を持ち、真意すら測ることのできぬ意思ある存在だからだ」
そこまで聞いたリューナはやっと、ラウミエールの真意を理解することができたと思った。
「あんたもしかして、そいつらの関与を疑っているんじゃないか? 部下たちのなかにいるなら、現地に向かわせることができないんじゃないのか?」
闇の領域の統治者は
肯定、ということか――理解したリューナは唸った。だから、俺たちに白羽の矢が立ったのだな……目覚めたという怪物に対抗できそうな現生界の『魔導士』で、都とは無関係。賭けてみるには最適の人材ってわけだ。
「ひとつ、聞かせてください」
トルテが言った。
「レヴィアタンが目覚めたことで魔力の巡りという円環が乱されてしまい、あなたがたが破滅の危機にあるということですが、都に属していない外の幻獣たちも……同じなんですか?」
「そうだ。もし魔力が完全に途絶えるか、逆に爆発して吹き荒れることにでもなったとしたら、種族や姿かたちに関係なく、枝葉を広げる樹々や花、草の一本に至るまで、全てのものに影響するであろう。幻精界に留まらず、異なる次元であっても隣り合っている世界――現生界も無事では済まぬだろう」
「俺たちの世界も?」
「むろんだ。『光の都』の消失、対になる『影の都』の滅亡――それは幻精界からふたつの領域が消え去るということに他ならぬ。現生界も影響を逃れられぬ。光というものの加護を失った世界がどうなるのか、憩いを断たれた生命がどうなるのか、もはや説明は要らぬであろう」
リューナとトルテは互いの顔を見合わせた。トルテはオレンジ色の瞳を揺らしながら、リューナを見つめたまま口を開いた。
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