双つの都 10-19 領域を統べる者

 光がなければ手足の先も見えぬほどの常闇とこやみひたされた大地。草木も育たぬのであろう礫岩に覆い尽くされた空間のなか、ざっと感じるだけでも十を超える気配が近づいてくる。


「聞こえぬか、獣ごときが我らに楯突たてつくか。ラウミエールさまの意向とはいえ、歯向かうなら容赦はせぬ!」


 礫岩を踏みしだく複数の足音は靴によるもの――射ってきた矢といい発せられた言語といい、知性ある上位種族に属する存在なのだろうと思われた。けれどリューナは、警戒心を解くことができなかった。


「敵なんだろ、スマイリー? おまえが避けてなかったら、足、串刺しになってたぞ……!」


 油断なく全身に力を漲らせつつも動きを止めている『月狼王』に、リューナは問うた。どうやらスマイリーにとって、近づいてくるものたちは歓迎のできぬ相手であり、同時に軽々しく牙を剥くこともできぬ相手でもあるらしい。微妙な雰囲気に苛立ち、リューナは手にしている長剣を新たな気配に向け、構えようとした。


「待ってください、リューナ。剣を、剣を下ろしてっ」


 トルテが小声で叫んだ。反射的に剣を下ろし、リューナは彼女を振り返った。オレンジ色の瞳に揺るぎのない光を湛え、リューナに向けた視線を動かすことなくトルテは言葉を続けた。


「スマイリー、あたしたちは大丈夫です。みんなを連れて離れてください」


 牙研ぐ鋭い殺気を放っていたスマイリーの気配が、戸惑ったものに変わる。次に発せられたトルテの言葉は、静かで抑揚のない穏やかな声音でありながら、彼の逡巡を打ち砕くほどにきっぱりと断言されたものであった。


「ゆくのです」


 スマイリーはちらりとトルテの表情を見遣った。次の瞬間、跳び退るようにリューナたちの背後へ向けて跳躍し、速やかに闇の向こうへと消え去った。


 トルテが表情を緩め、ふぅっと胸に溜めていた息を吐く。張り詰めていた魔力マナの気配が薄れ、そこでリューナはようやくトルテが凄まじいまでの魔導の技を行使していたことに気づいた。獣王と称される幻獣の上位種『月狼王』を、魔導の力で説き伏せていたのだ。


「どういうことだ、トルテ」


「このままではスマイリーたちが危なかったのです、リューナ。おそらくあたしたちは襲われていると誤解されているのでしょう、だから彼らは――」


「そこに居る者らは、次元を越えてきた異邦人であろう」


 先ほどから高圧的な物言いを投げかけている声が彼女の言葉を遮るように響き渡り、リューナの作り出した魔法の光の届く範囲に入り込んできた。その姿を見て、トルテの懸念が正しかったことをリューナは理解した。


 重厚な黒鎧に身を包んだ巨漢の男。漆黒の短髪は天を突き、鋭い眼差しには冷徹な光さえ窺える。手にしているのは、男の背丈ほどもある弓だ。闇色に輝く弓幹ゆがらには棘のような突起が並び、そのひとつひとつに嫌な気配の魔力を感じる。『月狼王』の足を狙った矢を放ったのは間違いない。同じ形状の次矢がつがえられていたからだ。


「あんたら、この世界の住人か」


 リューナは警戒を緩めることなく、下げている剣をいつでも跳ね上げることのできるよう力を籠めたまま声を発した。男の構える矢の先端は逸らされていたが、後ろに従っている複数の者たちの動向は窺い知れない。次の狙いがリューナたちに向けられている可能性もある。


「間違いなさそうだな、異邦人らよ」


 リューナに向けて断言した男は目を細め、次にトルテを見た。


「ほう……」


 好奇なものを見つめるような眼差しで、舐めるように金色の髪をした少女の痩身を眺めている。トルテの眉が僅かに寄せられたが、彼女は気圧されることなく静かな眼差しで相手を見つめ返した。


 リューナにも、彼女の凛とした気配が伝わってくる。


 幼少の頃からともに遺跡を探索してきた彼女の、度胸と覚悟。小柄で細い体と、王宮育ちの物柔らかな仕草からは想像もつかぬ芯の強さだ。


 実にトルテらしいなとリューナは思う。刹那だけ微笑し、背筋を伸ばしてトルテの傍らに立つ。リューナにも覚悟はある。好きな相手を護るという揺るぎない想いとともに。


「……そちらの娘の内から強大な魔力マナを感じるぞ。よもやこれほどまでの魔力をもった魔導士が、現生界に存在しているとはな……。ふん、剣は下げたままにしておけ、魔導剣士よ。もしおまえが僅かでも我らと敵対する素振りを見せたのなら、おまえたちの心臓を射抜かねばならぬ。そこな龍の幼子も、娘の背に隠れているもうひとりも、全員を確実に仕留めるぞ。心臓の穴は現生界の住人には致命的であろう。これは脅しではない」


「なるほど。どうりで、さっきから首筋がピリピリするわけだぜ」


 リューナは平然とした声音で言い、男の背後に広がっている闇を睨むような眼差しで眺め渡した。闇のなかから弓矢でこちらに狙いをつけているだろう複数の気配。それらに向けて充分に届くよう、声を大きくしてリューナは言葉を続けた。


「俺たちには、目指している場所がある。そこへ到る道を探しているだけだ。もしあんたらがその場所から来たというのでなければ、俺たちのことは放っておいてくれ。ここが侵入を許されていない地域だというのならば、出て行く道を示してほしい。早々に立ち去るつもりだ」


 成り行きから引き受けたとはいえ、リューナはグローヴァー魔法王国の五種族を導いた最後の王たちのひとりだ。いざとなれば普段の反抗的な物言いから、背伸びをしてでも身につけねばならなかった立場相応の振る舞いに切り替えることができるつもりであった。


 男はちらりと自分の背後の闇に視線を投げかけ、それからおもむろにリューナたちへと向き直った。


「おまえたちが目指している場所とは、どこだ?」


「『光の都』と呼ばれている場所だ」


「なっ……トゥーリエへ……だと?」


 男の表情が変わった。厳しい顔つきから狼狽へと変わり、次いで苦々しげなものに変化したのだ。


「残念であったな。ここからあの都へ到る道は、いまや無いも同然。おまえたちの身柄はこちらで拘束させてもらおう。異邦人であるおまえたちを野放しにはしておけぬ。おまえたち自身の安全の為と、我らの懸念の為に、そして我らが統治者の願いの為にな」


「なっ、ちょっと待てよ! 俺たちはどんな指図も受けるいわれはないぞ!」


 リューナは声を荒げた。


 男が指を動かした。合図に応え、バラバラと闇を割って散開しまたたく間に彼らを取り囲んだのは、揃って黒の鎧を身に纏った丈高い頑強そうな男たちであった。まるで軍隊だな――リューナは目をすがめて油断のない視線を走らせた。数は十二。恐れるほどの人数ではなかった。


 だが、リューナだけならともかく、全員が無事傷つけられることなくこの場から逃れることが難しいのは、火を見るよりも明らかだ。顔を上げたトルテとリューナの視線が合う。言葉はなかったが、彼女が腕の内に抱きしめているナルニエのことを気にしているのが理解できた。周囲を取り巻く彼らから隠そうと、自分の胸に押し付けるようにしてかばっているのだ。


 同じ幻精界の住人だろうに懼れることがあるのだろうか。咄嗟にリューナは思考を巡らせたが、答えには至らなかった。


 トルテとピュイの間に挟まれるようにして隠されていたナルニエが、殺気と重圧に耐え切れなくなったかのように掠れた声をあげた。


「いや……ランティエ……『陰なる軍勢』!」


 聞きとがめた男が眉を上げた。


「ほう。異邦人のなかに、我らのことを知るものがいるのは何故かな」


 男はトルテの肩を無造作に掴み、声の主からグイと引き剥がした。鋼の光沢を持つ闇色の篭手に首筋を傷つけられたトルテが、小さな悲鳴をあげる。


「おい!」


 リューナは思わず叫んだ。が、乱暴に腹を小突かれてしまう。よろめいたトルテの体が倒れる前に抱きとめるのが精一杯だ。憤然と顔をあげ、男の顔を睨みつけたが、自分の感情を必死で抑え込んだ。


 いま俺が暴れたらマズい――視界の端に、幾つもの矢がトルテたちの体の中心に揺るぎなく向けられているのを捉えたのだ。ソサリアの魔導弓にも似た構造を持っているが、全体から受ける印象は光と闇ほどに違っている、禍々しい魔法の気配。射抜かれたならば、死よりもひどい苦しみにのたうちながら滅せられるのであろう。


 ナルニエを目にした男は、驚愕したように動きを止めた。


「こやつは……!」


 リューナとトルテにギロリと視線を向ける。狂気に衝かれたのかと思ってしまうほどの尋常ならざる目つきで、男は囁くように、だが抜き身の刃のごとく鋭く尖った声を低めて叫ぶように、問いを発した。


「トゥーリエの民がどうしてここに居る! おまえたち……何を企んでこの地に入り込んだ!」


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