双つの都 10-9 遺跡の迷い子

「そか、感謝なんだ。怒られなくて、よかったぁ」


 ナルニエが心底ホッとしたように小さな手を胸に当て、無邪気な笑顔になる。リューナとトルテ、ピュイ、そして新たに一行に加わった幼女ナルニエは、天井に開いた穴から階上にある別のフロアへと進んでいた。


 そう。結果的には、目指す頂上への近道が見つかったようなものであった。


 リューナが危うく生き埋めになるところだったさきほどの崩落は、頂上へと幾層にも重なっている遺跡の各フロアを縦に『ぶち抜いて』いたのである。穿たれた穴は五階層分ほどに達しており、少なくとも三時間は行程を短縮できそうだ、とトルテが言ったのだ。


 王宮を出発する前に見せられた地図を完璧に記憶している彼女が言うんだから、間違いはないだろう――そういうことなら、抜け落ちた天井に埋まった甲斐があったなぁ、とリューナは妙なことに感心していた。


「ナルひとりでどうしようかって、思ってたんだもん。おねえちゃん、優しいっ」


 そういえば、崩落のあとに、こんな遣り取りがあったのだ。


 瓦礫の下から荷物を引っ張り出し、中身を確認しながらリューナが口を開いた。


「俺、訊きたいんだけどさ。なぁ、ナルニエ。おまえ何千年も生きてきたにしちゃ、そんなちっこいままだなんて。成人するまでに何万年かかるんだ?」


 リューナが素直な疑問をぶつけてみると、背丈の半分ほどしかない幼女に容赦のないジト目を向けられてしまった。何かおかしなことを訊いたのかな、俺……リューナは心の内で首をひねってしまう。


 ナルニエは腰に小さなこぶしを当て、ふーっと息を吐いた。髪が元気に跳ねるほどの勢いで顔をあげると、小さく整った鼻がつんと上を向いた。仕方ないなぁ、といわんばかりの様子で語りはじめる。


「そんなわけないでしょが。ナルたちは、意思を持った小さな粒子のしゅごお――集合体なんだよ。つまり、個々の小さな集合体は、それぞれの規模に見合った姿かたちを取ることになるの。あなたたち現生界では普通かもしんないけど、規模に見合った相応の処理能力しか持てないから、それに相応しい姿で居ないと困ることになるんだもん」


「……へ? つまりさ、おまえは見かけ相応くらいにしか役に立たな――イテェッ!」


 小さなかかとで思いっきり踏まれてしまった。遺跡探索に使っている丈夫な革ブーツなのだが、かなり痛かった。リューナは何故か、要らぬことを口にしては母シャールに爪先を踏まれている父メルゾーンを思い出してしまい――かなり深く落ち込んでしまったのであったが。


「そういえば、ルシカかあさまが言ってました。あたしたちの身体も、小さな細胞がたくさん集まって成り立っている集合体なんですって」


 もの思わしげな瞳を床に彷徨わせつつ、つぶやくようにトルテが言った。いつもの快活さがない彼女の様子を気遣っているのか、ぱたぱたとはねを打ち羽ばたかせているピュイが小さく鳴いた。


「もっともっと大きな集合体が、現生界に渡ってきた話を聞いたことがあるけど、どうなったのかなぁ。ナルだけじゃ、幻精界までかえれないから……扉、開いてほしいんだけどなぁ」


「置いていかれたのか?」


「ううん」


 幼い笑顔がふいに曇り、透き通るように明るかった水宝玉アクアマリン色の瞳にかげりが生じる。


「死んじゃったんだ。残されたのはナルだけ……実体化している集合体が次元を渡れるくらいの扉は、みやこくらいに大きな規模じゃないと具現化できないから」


「幻精界への扉か?」


「そうだよ。そういってるでしょが、リューナ」


「あのな、ナル。たとえ見かけがどうこうでも、歳上に向かってその態度はどうかと思うぜ。トルテが『お姉ちゃん』なら、俺のことはせめて『お兄ちゃん』とかそのくらい――」


「まぁ!」


 リューナの言葉半ばで、トルテが大声を出した。


「そういうことでしたら、あたしたちと一緒に行きませんか? この遺跡を進めば、このフルワムンデ山の頂上に出ることができます。頂上には、幻精界へ続いているという扉があると聞いています。あたしたちはそこを目指していますから」


「うわおっ、それすっごい! ナルも一緒に行ってもいいの?」


「はい。いいと思いますよ」


 トルテがにっこり笑って頷き、リューナを見る。訊かれるまでもない。そういうことなら一緒に行くのが一番いいだろう、とリューナも同意見だったからだ。それでも一応は咳払いをして、重々しく頷いておく。トルテもナルニエも、嬉しそうな笑顔になった。


「ありがとうっ! リューナ……えと、おにいちゃん!」


 そんな遣り取りがあってから一行に加わることになり、ナルニエと名乗った幼女は、すっかりトルテに懐き、ピュイと仲良くなっていた。





「この先は、ずいぶんと雰囲気が変わるんだな」


 進んできた遺跡の各層は、崩落していた場所や亀裂のある場所以外はどこも洗練されたなめらかな石で造られており、そこかしこに張り巡らされた環境維持の魔法陣や、いまでも暮らせそうなほどに整えられた部屋のような空間が設けられていた。


 俗に言われる宝飾品のような宝物はほとんど見つからず、何に使うのやら判然としない機械のようなものは多数あったが、特にリューナたちの興味をひいたのは、古い言語の彫り付けられた石碑のようなものだった。


 静謐な雰囲気に満たされた最後のフロアの最奥から頂上へと続く通路。まるで手作業で掘られたトンネルのように穿たれた、洞穴のようになっている。リューナが「雰囲気が変わった」と思ったのは、その岩壁がなめらかに削られることもなく、ゴツゴツと粗いままの表面だったからだ。それどころか、空間を維持する魔法の気配すらない。


 背をかがめることなく通り抜けられるほどに充分な高さと幅があったが、ここまで通り過ぎてきた通路の美しさとは雲泥の差があった。


「こちらの石碑には、この遺跡の歴史が記されているんですね」


 その入り口横に石碑が設置されている。駆け寄ったトルテが、彫られている文字を眼で追った。


「なんて書いてあるんだ?」


 古代文字を読むことができないリューナは、幼なじみの魔導士の少女に尋ねた。魔導とは知識である――と言われるからには、自分も魔導士ならもう少し勉学に励むべきかな、と少しばかり反省しながら。


「はい。ここにも刻まれているのは、いままで見つけたものと同じ、とてもとても古い言葉です」


 古代魔法王国グローヴァーが大いなる魔導の力をもって世界を統一するより以前、遥か太古に使われていたという文字だ。魔法王国が滅亡したのが二千年前、その王国が栄えていたのが三千二百年間だから――五千年以上昔に使われていた言語だということになる。


「えぇっと……ヴァンド・リア……ロイア……ヨウラ・メイサリア……ユ・マイン……ファン……トゥリア・エランティス……。欠けてしまってきちんと読めない箇所が多いです。魔法王国の魔法技術ほどの保存能力がないからでしょうか。あちこちがボロボロになっちゃってます」


「ん? ヴァンドーナと聞こえたけど」


 その名は、トルテの曾祖父のものだ。つまり母である『万色』の魔導士ルシカの祖父であり、偉大な師でもあった。の『時空間』の大魔導士は王都や仲間たち、そして孫娘の命を救う為に自らの全魔力を遣い果たし、すでに亡くなっている。


「いえ、違います。『』ではなく『土地リア』と綴られていますから。『尊ばれしヴァンド』に連なっていますので、やはりこの遺跡はとても特別な場所だったのだろうと思います。『尊ばれし地ヴァンド・リア』……。『ヨウラ・メイサリア』というのが、ちょっとよくわかりませんけれど、『至る』という意味のあるロイアに続いていますから、このトンネルの先にある場所の名前なのかも知れません」


 古代文字というものは、完全に解読されているわけではない。その言語に関して記されている文献があまりにも少なく、そもそも古代と呼ばれる時代に書物というもの自体が存在していなかったことにも理由がある。実際に遺跡へと赴いた冒険者たちによって発見され、岩や壁に彫られた文字を記録として持ち帰られた分しか解明されていないのだ。


「んん~。こんなトンネル、あったかなぁ……ナルたちが住んでいたときには、ここにはなにもなかったよ。あー……実はそんなにはっきりと憶えてるわけじゃないんだけど、少なくともこんなに雑な造り方した通路はなかったと思うよ」


 ナルニエが不思議そうに首を傾げている。眉間に小さなしわを寄せて悩ましげな表情をしたが、すぐに一転、得意そうな顔になって飛び跳ねた。


「でも、『ヨウラ・メイサリア』って言葉はわかるよ。『浮揚ヨウラ』の状態にある『岩盤メイ』で成り立っている土地っていう意味でしょ?」


「まぁ、ナルちゃんって賢いですね」


「えっへへへぇ」


 トルテに褒められ、ナルニエが満面の笑みを浮かべる。


「ピュルティ、ピピュリティルルル?」


「はい、ここだけ雰囲気が異なる通路になっているのは、理由があるんですよ」


 語りはじめたトルテの髪が、サラリと流れるように動いた。風だ。穿たれた洞穴の奥から――いや、洞穴の向こうから外の空気が流れ込んでいるのだ。湿った土っぽい匂いのなかにも、早春の草原を思わせる爽やかな香りが混じっている。


「この穴は、ひとが造ったものなんですよ。昔々、この場所に住んでいた女性に恋をした若者がいて、この地を離れようとした彼女を追って、拳ひとつで掘り抜いたんだと伝えられています。その若者というのは、伝説に名を刻んだ希代の格闘家スターンマリーというひとらしいです」


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