双つの都 10-5 ソサリアの護り手たち

「ルシカは直前まで、自分の役割をよくこなしてくれていた。臨月を迎えてもなお、身重の体で忙しく歩き回っていたな。国王としてはありがたいが、身内としては気が気でなかったぞ」


 クルーガーが天井を眺めるように顔を上に向けた。


 つられるようにテロンも視線を上げ、古いがなめらかな表面をもつ高い天井に目をやった。


 蒼海そうかいのごとく濃い鉄紺色に塗られ金色に縁取られた五芒星、平面全体に散りばめられた金剛石ダイヤモンドさながらに輝く星々、吊り下げられているのは星界を巡る天体を模倣した立体モデルだ。それらは王宮東棟の屋上に設けられた天体観測ドームでルシカと眺めた星空の記憶を呼び起こし、同時に甘やかな時間をも思い出させた。


 テロンがしみじみとルシカと過ごしてきた年月に思いを馳せる間にも、クルーガーの言葉は続いていた。


「……『約束の塔』へも赴いてくれて、装置の稼働状況をチェックしてくれていたものなァ。すまなかったな、テロン」


 言葉を向けられたテロンは微かに首を振り、兄に応えた。


「それはマイナの為でもあっただろ。あのときはまだ『読解リーディング』の魔法もなかったから、ルシカにしか装置を扱うことができなかったからね」


 グローヴァー魔法王国の遺した五つの宝物のひとつ『従僕の錫杖しゃくじょう』は、王国中期に魔人族の王ラミルターの手によって作られたものだ。ひとの心と命の全てを支配し意のままとすることのできる凄まじい魔力をもった品であり、長きに渡って行方知れずとなっていた。真実は、当時王の養い児であった娘の体内に隠され、そのまま何世代にもわたって伝え残されてきたのである。


 そのおそるべき品は子孫であるマイナへと継がれ、宝物を狙うしき者たちのせいで想像を超える多くの血が大地に流された。ようやく体内から宝物を分離する方法を見いだしたテロンやクルーガー、そしてルシカは仲間たちとともに、大陸最高峰ザルバーンに錫杖が生み出されし塔と装置を発見、十五年の歳月をかけてマイナを憎悪と破滅の連鎖から救ったのである。


 発見当時は『約束の塔』ではなく『打ち捨てられし知恵の塔』と呼ばれ、その内部に在ったシステムのほとんどが魔法文字であり、要所には『真言語トゥルーワーズ』の表記文字が使われていた。


 魔導の力をもつものでなければ、読むことも綴ることも発音することさえも敵わぬ、神々より直に伝えられし古き言語。魔法王国の建国を担った五人の王が神界へ到達したとき、魔導の技とともに与えられた叡智なのだ。


 数を減じている自分たち魔導士がこの世から永遠に失われることになるときがきたら、ひとびとは神より賜りし叡智を完全に失うことになる。それをおそれたルシカは、せめて表記された意味だけでも読み取れるようにと願い、『読解リーディング』なる新魔法を作り出したのである。


 自分が失われたとき――彼女が口にしたその言葉を思い出し、テロンは眉を寄せて深く瞑目した。無意識のうちに眉間を指でほぐしながら、口を開く。


「……それにルシカは、言い出したら聞かないからな。だから俺は彼女を護り、支える。たとえ、どんなことがあろうとも。彼女がみなの為に挑もうとするならば、俺も全力で彼女とともに立ち向かってゆくだけだよ」


「強いなァ、おまえは」


 クルーガーが顔を戻し、テロンを見つめた。自分と同じ母譲りの青い涼やかな瞳が、ほんの刹那、揺れたような気がして、テロンは僅かに息を呑んだ。いつも自信たっぷりにみえる兄の心の奥底にちらりと見えたのは、哀しみの入り混じった羨望の光ではなかったか。


 王の重荷は、様々な選択を兄にいる。国民のためならば、自身はもちろん身内までもを危険にさらすこともある。それはテロンも同じだろうが、程度が違う。兄を支える王妃のマイナも兄とともに、相当の覚悟を背負っているのだろう。


 テロンの選んだ生き方は、王国をかげで支えることだ。兄王を助け、宮廷魔導士であるルシカとともに平和と繁栄の為に尽力する――だが、その決意をするまでの彼は周囲の期待からのがれ、王位を継ぐことを兄へと無意識に押し付けてしまっていたという自覚もあった。


 強い……? いや、俺は――。テロンは兄の視線から僅かに目を逸らし、口を開いた。


「昔は、ずいぶんと悩んでいたよ。自分の生きる道にすら迷い、判断することを恐れていた。そんな俺の背を押してくれたのが、ルシカだった。ともに生きることを選んでくれた彼女にも負担を強いて命の危険に晒し、忘れもしないあの瞬間……『生きて』と伝えられたときには心が張り裂けた気がした。彼女を知ったあとにはもう、俺は独りでは生きられないと感じたよ。だからルシカは元気なほうがいい。知識やみなの幸福を追い求めて多少無茶をしたとしても、俺は彼女の傍に居て全力で護ってゆこう。魔の海域で彼女が穴に落ちて離れてしまったとき、そう心に誓ったんだ」


「言ってくれるね」


 双子の兄は苦笑しながらも満足げに頷き、付け加えるように言った。


「あいつは確かに無茶ばかりだ。仲間のみならず他人の為に、そしてこのソサリア王国の為に……。まァ、だからこそ目が離せないんだろうな。魔力マナを限界突破するまで使っちまうし、それに何より、何もないところでもよく転ぶし、な」


 最後の言葉で、ふたりは目を合わせて笑った。苦笑とも痛みともつかぬ笑いだったが、どこか安堵のため息にも似た笑いであった。それで重苦しくなっていた雰囲気がなごんだ。


「そう、ルシカの出産のときのことは、よく憶えている」


 意を決したように、テロンはゆっくりと語りはじめた。


「あのときは、何もかもがはじめてのことばかりで、俺にはルシカの手を握っていてやることしかできなかった――」





「とってもすてきね!」


 両手のひらをパチンと合わせるようにしてルシカが細やかな体を弾ませ、嬉しそうに笑った。すぐに「おっとと」と言わんばかりにおなかに手を添え、ふぅとため息をつく。産み月を迎え、小柄なルシカの体で一番目立っている箇所だ。


 テロンは一歩を踏み出して腕を伸ばし、妻が転んでしまわぬよう抱き支えた。ごめん、とルシカの唇が動く。テロンは微笑んだ。


「じゃあ、ラムダーク王国も平和になっていくのね。イルドが王として認められる日がきて。国内の権力者や軍との軋轢あつれきにも負けず、立ち向かうよりみんなを結ぶ絆になろうと話し合いを繰り返し、争う互いを諭し続けてずぅっと頑張っていたもの」


「ああ。兄貴も喜んでいたよ。媚びることも折れることもなく大胆であり続けたイルドラーツェン殿が、臣民の信頼を勝ち取った結果だな」


 海向こうの隣国である海洋軍事国家が、変わろうとしているのだ。クルーガーやテロン、そしてルシカの友人である王太子イルドラーツェンが、疑心ばかりが渦を巻いていた父王の統治を終わらせ、いよいよ即位するのだ。だが、テロンは懸念に眉を曇らせた。


「まだ諸手もろてを挙げて喜ぶというわけにもいかないんだ。いまもなお反乱分子は力を削がれることなく隠れ潜んでいるという。暗殺の危険もあるから、油断はできないと聞いている。我が国との連携体制、新たな和平条約、国が落ち着くまでの間の援助もまだまだ必要だ。当面のやることは山積みだが、彼の戴冠は平和への大きな一歩だな」


 ルシカは大きく頷いた。やわらかそうな金色の長い髪が揺れ、彼女の瞳と同じ色味を帯びてきた太陽の光に煌めき流れる。


 王宮の東棟の天体観測ドームの環状テラスから見える西の方角の空が、帯状の灰色雲を筋と成した赤の色に染まりつつあった。


「それで、戴冠の儀にはあたしたちも行くんでしょう?」


「兄貴は五神殿の祭事があるから王都を離れられない。俺たちのソサリア王国は、光の神々の各神殿の影響力が王都も含め、各都市で強いだろう。『主神』であるラートゥル神殿は特にね」


 法と正義、婚姻を司る主神ラートゥルの最高司祭クラウスは高齢であるが、いまなお国政への発言力をもつ。世襲君主制であり国王が頂点に立つ王政に近いソサリア王国だが、大国と呼べるほどの規模であること、絶対王政の危険な面を知っているがために、王の下に外交や財政などそれぞれの分野のエキスパートたちが配されているのだ。


 もちろん最高権力者は王であり、王弟であるテロンはそれに次ぎ、大いなる魔導の技をもつ魔法使いルシカとともにソサリアの護り手として国の内外に知れ渡っている。先王とその側近であった類稀なる才を持つ臣下が失われ、あるいは引退してしまったがゆえに新たに敷かれた体制だ。そんななかで各神殿、各都市との連携を整えるために司祭たちの立場が国の体制に組み込まれたため、全体的に結びつきは強まり整えられたが、気を使わなければならぬことも多少増えてしまった、というわけだ。


「兄貴も難儀だよな。けれど俺たちでは、祭事のほうは代われないから」


「そっか、そうよね。あらら……残念。イルドも楽しみだったでしょうに」


「イルドラーツェン殿はむしろ喜んでいたぞ。世話になったソサリアの国王に会うことを理由に、訪れることができると言っていた。もちろん国内が落ち着いてからだけどね。それで戴冠の儀には、王の代理として俺が赴くことにしたよ」


「やったぁ! あたしまだ、ラムダークの島々に行ったことがなかったんだもの!」


「とはいえ、君も連れてゆけるかどうかはわからないぞ、ルシカ。だってもう間もなくだろ?」


「あう……そうでした。ウルの頭に乗せてもらえば一日で着けると思うんだけど」


 ウルは『海蛇王シーサーペント』、海の魔獣の最上位種だ。とてつもなく長大かつ巨大な体躯と醜悪なる外観をもつが、高い知性を備えており、テロンとルシカふたりの友人だ。


 冗談とも本気ともつかぬルシカのいらえに、テロンはため息をつき、腕の中に抱いた彼女のすべらかな頬をそっと撫でさすった。


「君は自覚がないのか。無茶ばかりして、ルシカひとりの体じゃないとあれほど――」


 う、とルシカが呻いた。テロンの言葉半ばに苦しげな息を吐き、体をふたつに折ったのである。喘ぐように繰り返される呼吸、痛みのうねりに耐えようとしているのか幾度も口を開き、額には玉のような汗が浮きはじめている。


「る、ルシカ……ルシカ!」


「あ、はじ……まった、いよいよ、みた……い、う! ごめん、話のとちゅ……で」


 テロンはようやく何がはじまったかを理解し、混乱する思考をまずは脇に押しやって妻の体を抱き上げ、テラスからドーム内に駆け入った。


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