古代龍と時の翼 9-35 炎の龍と水の決戦

「やっと到着、間に合ったぁ! ボクたちも活躍させてよねっ」


「クルーガー、テロン、ルシカ、まかせてっ!」


 可愛らしくも勇ましい声がふたつあがった。同時に不思議な光を放つ矢が二筋、古代龍に向けて放たれる。


 ――何ッ!?


 狼狽して障壁魔法を展開しようとした古代龍の喉に、青白く輝く光の筋が吸い込まれるように突き刺さる。二本の矢は各々魔法陣を展開して大爆発を起こした。ビシリ、と音を立てて古代龍の表皮が凍りつく。『氷嵐アイスストーム』の魔法だ。古代龍が苦しそうに喉を掻きむしる。


「よっし命中っ! ボクの腕もまんざらでもないでしょっ?」


 言葉尻に星かハートのマークでもつきそうな調子で、同世代の娘たちと比べるとかなり背が高い少女が声をあげた。張り出した胸や尻を持つ体に、不釣合いなほど幼い印象の童顔が乗っかっている。体格がよくて背があるのは、彼女が竜人族だからに他ならない。その後ろには髭面の屈強そうな巨漢が立っている。


「おうよ! ルシカの嬢ちゃんたち、またせたなッ!」


「マウ! リンダ、ディドルクさんっ」


 ルシカが嬉しそうな声をあげる。その様子にテロンは思わず微笑んだ。――さすがは高位司祭の回復魔法だ。彼女の肌には傷ひとつ残っていない。


 マウとリンダは新しい矢をつがえた。翠と青に塗られている優美な弓の表面には、びっしりと複雑で精密な『真言語トゥルーワーズ』が刻まれている。ルシカとマウの最高傑作『魔導弓』だ。


 冒険者ギルドのミディアル支部の長であるディドルクが鉾槍ハルバードを天へ突き上げ、雷のように轟く声で叫んだ。


「おい、野郎ども!! 世界と、自分たちの酒と飯のために、ヤツを叩きのめしてやろうぜッ!!」


 その号令と同時に、彼の背後にある木々の間から次々と出てきた大勢のひとびとが、一斉にときの声をあげて古代龍に突っ込んでいく。種族や年齢はもちろん、武器も装備も多種多様な集団は、前衛と後衛に分かれるように絶妙な距離をとって各々のパーティで素早く隊形フォーメーションを組み上げた。


「冒険者たちか!」


 テロンは目を見張った。これほどまでに組織だったパーティの大規模同盟ラージスケールアライアンスを見たのは初めてだった。ルシカも彼の隣で「すごい」とつぶやいて目を輝かせている。


 冒険者たちの戦いぶりは、このような体躯をもつ相手にはうってつけだ。五人から七人ほどのパーティを組み、それぞれの人員で攻撃、回復、遠隔攻撃の役割を完結させているのだ。軍隊という組織にはない戦いかたである。学ぶべきものがあるな――テロンは感心した。ルシカも同様だったらしい。賞賛するような眼差しでその戦いぶりを見つめている。


「……っと、見惚みとれてばかりじゃいられないわね!」


 気合い充分のルシカに、シャールがやんわりと声をかける。


「行ってらっしゃい、ルシカ。でも、無茶はしないようにね」


「はい、シャールさん」


 まるで少女の頃に戻ったかのように、ルシカがぺろりと舌を出して照れ笑いを浮かべた。そしてすぐに表情を引き締め、古代龍に向き直る。


 冒険者たちの参戦によって形勢は逆転した。徐々に追い詰められはじめた古代龍は、うなり、顎を開き、牙を剥きだし、狂ったように尾や首を振り回している。ひとつひとつの攻撃が瀕死になるようなものでなくても、十も二十も連続で食らい続ければ我慢も限界を超えたらしい。


 ――があぁぁぁぁあああっ!!


 古代龍がえた。大地と闇空がビリビリと震える。ぎらぎらと尋常ではない光を瞳に宿し、文字通り燃えるような視線で周囲をめつけ――その巨大な体躯の表面全体にまるで魔法陣のような紋様と文字の羅列がびっしりと浮かび上がる。


「何だッ!?」


 総毛立つような怖ろしい気配と様相に、歴戦の冒険者たちは攻撃の手を緩めて一斉に身を引いた。新たな攻撃に備えて前衛たちを護ろうと、後衛の魔術師たちが彼らに回復と防護の魔法を飛ばす。


 テロンの横で剣を振るっていたクルーガーが緊張した面持ちで古代龍の体躯を見上げ、口を開いた。


魔法語ルーンじゃないな。もしや――」


「あれは『真言語トゥルーワーズ』だわ!!」


 ルシカが叫ぶ。


 テロンは彼女の言葉でことの重大さをすぐに理解した。『真言語トゥルーワーズ』とは、一字一句が魔法陣のように力あるものであり、世界のことわりを書き綴ることのできる魔法言語のことだ。それをつかって行使される魔法は、神の領域に等しいとされるものばかりである。


 テロンは周囲に散らばっていた冒険者たちに向かって大声を張り上げた。


「みんな距離をとれ! ――早くッ!!」


「魔法障壁で各パーティごとに護りを固めろ!」


 クルーガーも周囲に向けて指示を飛ばした。腕を振って合図を送り、マイナとプニールをさらに後方へと下がらせる。


 ルシカが腕先を虚空に滑らせるように動かし、いくつかの防護魔法を具現化した。魔導の技が体を包み込むあたたかさを感じながら、テロンは油断なく古代龍を見上げた。いまや龍の体躯は真紅の輝きで彩られ、傷だらけの首は天を振り仰いでおこりのように震えている。


 古代龍の巨大な瞳のなかに恒星さながらの強い光が幾つも現れた――まるでルシカが魔導の技を行使するときのように。龍は音なき音として魔導のことわりを紡ぎ出した。


 ――我が命のみなもと、灼熱の炎よ。我が同胞。目覚めよ、目覚めてかたちを成せ! 我が呼びかけに応えよ!


 思念として綴られようともその言葉は紛れもない『真言語トゥルーワーズ』――魔導士のみに扱える魔導の言葉。行使されたのは『火制御ファイアコントロール』であり、その規模は尋常ではなかった。


 龍は牙を剥きだし、自分以外のすべてに憎悪を叩きつけた。


 ――焼き尽くせえぇぇぇぇッ! 


 その瞬間、闇空は闇空でなくなった。


 光が駆け走り、ミディアルの都市の半分が収まるのではというほどの大きさの超巨大な魔法陣が古代龍の頭上に展開される。禍々しく輝く魔法陣の中央から炎が出現し、まるで生き物のように地上を駆け巡った。周囲が阿鼻叫喚の灼熱地獄と化してゆく。


「なんてこと……!」


 ルシカは自らも魔導の技を行使し、効果範囲を極大にして『氷嵐アイス・ストーム』を展開した。攻撃の為ではない。周囲を冷やし、ひとと森の炎上と延焼を防ぐためだ。


 テロンは『衝撃波』で炎の直撃を逸らしながら周囲を見回し、仲間たちの無事を確かめた。リンダやマウたちは咄嗟の機転で『魔導弓』を大地に向けて射たことが功を奏し、水と氷の力で自分たちを護ることができている。リーファはティアヌが精霊の力を使って安全を確保していた。冒険者たちに被害が出ているが、何とかパーティ同士で助け合ってこの状況をしのいでいる。


 大森林アルベルトは生き物のように暴れまわる炎に焼かれ、炎の海と化しつつあった。これほどまでに広範囲が焼けはじめたのでは、もはや魔術師たちの魔法では消火できないだろうと思われた。猛火は樹齢数百年を越えているであろう木々すらもあっけなく灰に変えてゆく。


 狂ったように哄笑する古代龍に、テロンは静かな視線を向けた。膨れあがった怒りが大きくなり過ぎて、かえって精神をたいらかに研ぎ澄ましたのである。大地と空の上げる悲鳴とおののきが手に取るように感じられる――間違いない。地鳴りのような響きが少しずつ、だが確実に高まりつつあった。


「テロン」


 ルシカが静かな口調で彼の名を呼んだ。テロンは彼女の決然とした表情を見て、すぐに理解した。やはり懸念していたとおり、ザルバーンでの山岳氷河の消失と周辺の氷河湖の決壊洪水による多大な影響が差し迫っているのだ。


「ルシカ。……はじまるのか」


「ええ。……そろそろ来るわ。テロン、お願い――あたしを抱いていてくれる?」


「わかった」


 テロンは言葉通りルシカを抱き上げ、マイナを護るクルーガーとプニールに駆け寄った。ルシカがテロンの首に腕をまわし、ぴたりと寄り添うようにして静かに瞑目する。深い精神集中に入ったのだ。


「兄貴!」


「テロン、ルシカの様子――とうとうはじまったのだな。ルアノの避難は完了しているのか?」


 クルーガーが念を押すように訊いてきた。テロンは頷き、言葉を足した。


「ああ。ザナスとテラシストの両都市も対岸への避難を完了している」


「そうか」


「あとはミディアルだが――」


 テロンが言い掛けたとき、ルシカが瞑目したまま微笑して囁いた。


「……大丈夫。来てくれたわ」


 ウルゥルルルルルーゥウゥ!!


「よし、行動開始だ! ――みな聴け、ミディアル方面へ走れ! 水が押し寄せてくるぞ!!」


 クルーガーの張り上げた声に、冒険者たちを含めその場にいた者たち全員が移動を開始する。マイナの指示でプニールが地面に伏せ、その背に負傷者たちを乗せた。周囲の森はまだ燃えており、古代龍は咆哮を続けている。


 テロンはルシカを腕に抱いたまま、フェンリル山脈として屹立する北壁を見た。闇夜であるにもかかわらず、フェンリル山脈の足もと――断崖絶壁である北壁の下部分がぼぅっと淡く輝きはじめる。


 次いでその強固な岩壁が、内側から弾け飛ぶように崩壊した。


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