古代龍と時の翼 9-23 闇夜の襲撃

 リューナは駆けた。一陣の風のごとく、それよりも速く。


 塚森のある森林地帯は、神殿跡の南に広がっている。周囲にはいつの間にか大勢の気配に満ちていた。妙に希薄で生気のない気配だが、間違いなくひとのものだ。人間族と飛翔族、竜人族――世界で主要な五種族のなかの三つ。リューナは駆け走りながらそれらの位置を把握した。ざっと数えても三十は超えている。


 林が切れる。視界が開けた。


 ドゥン!


 眼前で炎が咲き開いた。石造りの柱や周囲の草の原を炎の舌で舐め焦がし、みるみるうちに煤けた黒に染めていく。


「『火球ファイアボール』のようだが――にしては変だ」


 リューナは素早く周囲を見回した。闇夜であったが、いまは燃え広がった炎が周囲を照らしている。


 木々の間に隠れるようにして、巨大な筒を持った兵たちがいる。表面に複雑な紋様を刻み込んだ、無骨そのものの細工だ。その筒から魔法を撃ち出しているらしい。


 見極めようと眼を凝らした瞬間、またひとつ攻撃魔法が撃ち出された。赤い光が筒の表面を駆け巡り、まるで圧縮された魔法陣のように光り輝いたあと、真っ直ぐ前方に発射されたのである。


 赤い光は宙を奔り、神殿跡の手前に突き当たって爆発した。生じた炎と爆風が石の表面や辺りの草を薙ぎ払う。神殿跡の周囲は火の海と化しつつあった。


「ちくしょうッ! やめろッ」


 リューナはひと息に魔法筒との距離を詰めた。それを支え持っていたふたりの人間族の兵士がこちらに気づき、驚いたように首を向けたが、いやにぎくしゃくと人形めいた動きだ。リューナの剣が振り抜かれ、魔法の筒大砲を真っ二つに切断する。


 表面に刻まれた魔法陣が暴走したのか、赤い光が爆発した。抱え持っていたふたりの兵が悲鳴をあげて筒を取り落とす。リューナは素早く飛び退って逃れていた。だが、兵たちの鎧には耐火の魔法でもかかっていたのか、すぐに体勢を整え、抜き放った細身の剣でリューナに向かってきた。


「剣なんざ持ち出しても俺の敵じゃねぇぞッ!」


 リューナは本能で体が動くに任せ、相手の剣を根元から容赦なく叩き折った。金属の放つ耳障りな音が林に鋭く響き渡る。戦いの気配を聞きつけ、すぐに他の兵たちが駆けつけてくるかもしれない。


「トルテ……いま行く!」


 魔導航空機ヴィメリスターを飛び出したときから、リューナの胸にざわざわと嫌な予感めいたものが渦巻いていた。トルテが呼んでいる――そんな気がしてならなかったのだ。


 リューナは素早く自分に『倍力インクリーズパワー』と『倍速ヘイスト』を行使した。このふたつは、物心ついた頃からすでに魔術として使いこなしていた魔法だ。いま魔導の技として使えるようになってからも詠唱することで効果を得ている。


「ディアンは大丈夫なようなことを言っていたけど」


 リューナは大地を蹴った。林から草原くさはらに飛び出し、一気に草の生えた間隙かんげきを駆け抜ける。すでに神殿跡をぐるりと囲むように兵たちが陣容を整え、その範囲を狭めつつあった。


「ここはすでにバレてたってことか!」


 剣を風車のように振り回し、駆け走るようにして位置を移しながら、リューナは次々と兵たちが手にしている武器を叩き壊していった。地面を蹴って宙を舞い、素早く相手を蹴りつけ、反動を利用して次の相手の鳩尾に剣の柄を突き入れる。着地と同時に手首を回すようにして刀身を引き寄せ、次の相手に向かって跳躍する。


 まばたきを十するかしないかの僅かな間に、二十を超える兵士たちを次々に地面に叩き伏せ、リューナはハッと顔をあげた。


「――っとあぶねぇッ!」


 殺気を感じてひるがえした身体のあった場所の背後にある石柱の表面が、爆ぜるように細かく吹き飛んだ。無数の石つぶてが放たれたかのように、柱の表面がボコボコに抉られている。


「何だよあれッ!?」


 思わず愚痴のような言葉を発したリューナに応えたのは、ディアンの声だった。


「銃火器です! 魔法の障壁すら貫いてきますから、気をつけて!」


「何だと、冗談じゃねぇッ」


 火薬を使っていやがるのか――リューナは硝煙の匂いで理解した。魔法とすこぶる相性が悪いとされている火薬である。物理的な魔法障壁を張っても、すぐに破られてしまうかもしれない。避けるしかないか――リューナは眼をすがめて周囲に視線を走らせた。


 兵士が持っている黒くて細い筒のようなものが、ディアンの言う銃火器とかいうものらしい。兵士が向けてくる真正面に向けて発射されることを見抜き、リューナは地面を転がるようにしてその狙いから逃れた。


 ぶわっ!


 押さえつけられるような風圧とともに、巨大なものがのしかかってくる気配があった。思わず飛び退すさったリューナが空を振り仰ぐと、そこに魔導航空機ヴィメリスターが浮かんでいた。乗り込んでいるのは、おそらくディアンだろう。


「そいつをどうするんだ、ディアン! ほとんど後ろが壊れかけているじゃないか。それに武器も――」


「この魔導航空機ヴィメリスターは本来、魔導士用に開発されたものなんだよ。武器が搭載されていないのには理由があるんだ。見てて!」


 覇気のある声が機体から聞こえた。同時に展開された魔法陣に、リューナは息を呑んだ。『真空嵐ウィンドストーム』だ。離れた位置に立っていた兵士たちが吹きすさぶ風に容赦なく引っさらわれたあと、地面に叩きつけられて無力化されていく。真空の刃によって鎧も武器もボロボロだ。近くにいた兵たちは、魔法が行使されている間に飛びかかったリューナによってほぼ全員が昏倒させられていた。


 リューナは旋回する魔導航空機ヴィメリスターに向けて声をかけた。


「すげぇぞ、ディアン! そいつ、操縦席から魔導の攻撃を放てるんだな」


「魔導士の意のままに、何倍にも増幅してね。普通の人間だとそうはいかないけれど。――さあ、これで歩兵たちはあらかた片づいたみたいだ。でも、どうも腑に落ちないな。指揮をしていたはずの者が見当たらない……それに、あっけなさすぎる」


「そうだな……それにしても何なんだよ、こいつら。兵士や戦士にしては動きが鈍いし、鍛えられてもいないみたいだぞ。手に持っている武器がなければ、街で飲んだくれているおっさんとたいして変わんねぇぜ」


 内部にいるディアンに声が届くよう、言葉の前半部分は大声でリューナは語ったが、どうやらその必要はなかったらしい。声を落とした後半部分までしっかり聞こえていたからだ。


「まさにそうだよ。この世界の住人たちはみな、驚くほど脆弱ぜいじゃくになってる。シニスターによって操られているから、本当に傀儡人形さながらの動きしかできないし、個々の意識もあるのかどうかすら怪しいんだ」


「操られているって……」


 リューナは絶句した。


「世界中の住民がそうだっていうのか? あの都市だけでもデカかったのに、でもラハンたちは違ったみたいだけど――」


「それについては詳しく説明するよ。まずはみんなを連れてここから移動しないと――む、いや、待って!」


 ディアンの声の調子ががらりと変わり、緊迫したものになった。


「何か巨大なものが空を飛んで近づいてくる――高魔導移動砲台ハイメリアキャノンらしい光は見えないけれど、それ以上の脅威かもしれない。すごい重圧を感じるよ。こっちは僕に任せて、リューナはエオニアやトルテたちのほうを頼む!」


 ディアンの操る小型の船ほどもある機体が旋回し、蜂蜜色の都市がある方向を向いた。確かにその方向から、得体の知れない、とてつもない気配が近づいてくるようだ。


 気にはなったが、いまは確かにトルテたちを救出するほうが先だ。地下へと続いていた柱は黒く焦げており、いまにも崩壊してしまいそうに見える。無事なのだろうか――ひやりとした汗がリューナの背中を伝う。


「……ナ、リューナ!」


 その柱の影から、小さな人影がリューナに向けて突進してきた。幼なじみの体を全身で受け止めると、トルテはリューナの胸にすがりつき、涙の雫を拭おうともしないまま激しくしゃくりあげた。


「――どうした、何があった!?」


 尋常ではない様子に驚き、リューナはトルテの全身を見回した。怪我はないようだが――次いで背後に続いて出てきたエオニアやラハン、ルミララを見てホッと息をつく。四人とも煤と埃だらけだが、無事であることは確かなようだ。だが、何故こんなにもトルテが打ちひしがれているんだ……?


 リューナはトルテの瞳を覗き込んだ。こんなトルテは、久しぶりに見た――かつてルエインを止めようとして自分の生命を危険に晒し、ハイラプラスの悲しみを深くしたときのように。いや……考え込んでいる場合じゃない!


「今はとにかくこの場所から離れないと」


 ラハンが頷き、口を開いた。


「移動手段を他にもひとつ隠してあるんだ。わたしたちがここに留まっていてはディアンも撤退できない。さぁすぐに向かおう――急ぎなさい!」


 言葉の最後は、ディアンの乗り込んでいる魔導航空機ヴィメリスターを見上げたまま動かないエオニアに向けられていた。ルミララがその背を叩くようにして娘に微笑みかけ、移動を促している。


 リューナもトルテの肩を抱くようにして駆け出そうとした。――だが、ぞわりと背筋をかけのぼった凄まじい悪寒に思わず足を止めた。振り返って、愕然とする。頭上から聞こえたディアンの声も震えていた。


「あれは……まさか、そんな……」


 こちらへ向かって空を飛んで移動してきたのは、凄まじく巨大であり威風堂々とした姿の生き物――話に聞いていた『古代龍』そのものだったのだ。


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