古代龍と時の翼 9-9 投じられた一石

 ――焦らずともその肉は我のもの。魔導士の娘……邪魔は許さぬ!!


 ズンッ!!


 ルシカが展開していたふたつの魔導の技が一瞬で破壊された。それはルシカ自身の内なる魔力までも散り散りにされるかと思うほどに容赦ない力であった。


 魔導が破壊された反動で、術者の体の周囲の空間で凄まじい衝撃が炸裂し、轟音とともに吹き荒れる。


 ルシカは声なき悲鳴をあげた。両の瞳が爆発したかのような痛みと熱とが体を貫き、視界が真っ白な闇に閉ざされる。魔力も気力もすでに限界を超えていた。


 あらがうもむなしく、ルシカは空中でそのまま意識を失った……。





「……そんなことが……。古代龍が、あの塔を狙っているというのか」


 ルシカの話を聞き終わったテロンが彼女を抱きしめ、怒りを湛えた眼をザルバーンがあった場所に向けていた。いまや霞んで見通すことすらできなくなっている、『打ち捨てられし知恵の塔』が残されている方向を。


「すべての生き物の意識を支配し、従わせることのできる古代の宝物『従僕じゅうぼく錫杖しゃくじょう』……その構成データはまだそこに残っていたか? まさかとは思うが、塔が狙われる理由といえば、そのくらいしか思いつかん」


 クルーガーが、厳しい表情で唸るように言葉を発した。片腕にマイナの肩をしっかりと抱き支えている。マイナは、『従僕の錫杖』が封じられていた自分の胸を掴むようにして、真紅の瞳を震わせていた。


 ルシカはテロンの腕にぐったりと体を預けたまま、それでもきっぱりと首を横に振った。


「いいえ。同じ悲劇を繰り返さないためにも、造られたときの記録も分離されたときの記録もすべて、ひとつ残らず消去しておいたわ。でも……龍がそれでもなお塔を狙っているということが……う」


 苦しげに息を乱し、深い呼吸をひとつして落ち着いたあと、ルシカは言葉を続けた。


「……錫杖が分離され、関連データがすべて消去されたいま、塔を狙う理由がわからないの。破壊の力を向けてはいたけれど、塔そのものを破壊するものではなかった。古代龍は、外殻部分のみを排除しようとしていた。そんなふうに見受けられたの」


「あの塔の外殻部分には、ルシカが侵入者除けのまじないと、護りのための結界を幾重にも張っていたからな」


 そう言ったあと、テロンは妻の体を横抱きにしてゆっくりと立ち上がり、兄であるクルーガーに静かな声音を向けた。


「すまない、兄貴。……ルシカを休ませてやりたい。古代龍のこと、塔のこと、そしてルシカの見たという隣国の魔導士の救助のことは、別室で話し合おう」


 腕のなかのルシカは、すでにぐったりとまぶたを閉じていた。話したことで、残っていた体力のほとんどを使い切ってしまったのだ。


 クルーガーが頷き、マイナを伴って王宮のなかへと続くバルコニーの出入り口に歩み向かった。ルシカを抱えて歩く弟にちらりと眼をやり、心配そうな表情でふたりの様子を確認している。双子の弟であるテロンの静かな口調が、強い怒りの為であることに気づいていたからだ。古代龍に対する怒りもあるだろうが、魔法に関する脅威からルシカを護ってやることができない自分の無力さにも怒りを感じているのだろうと。


 そのとき、バルコニーに歩み出てきた人影がいた。


「ルシカかあさま! テロンとうさま……何があったの、大丈夫?」


 意識を失って父に抱きかかえられた母の姿を目にして、心配に顔を曇らせて駆け寄ってきたのは、トルテだった。


「かあさんは大丈夫だ。これから部屋で休ませようと思っている。とうさんは話し合うことがあるから、しばらくかあさんの傍についていてくれないか? トルテ」


「え、あ、はい! わかりました、テロンとうさま」


 父テロンの言葉に素直に頷きながら、トルテは握りこんでいた魔晶石の表面を指でなぞっていた。その明るいオレンジ色の瞳には、僅かな陰りと迷いが現れている。


 バルコニーから回廊へ、そして階上の部屋へと進むおとなたちのあとについて歩きながら、トルテは祈るように手を胸に当てていた。





 夏の午後の強い日差しも、窓を覆うように展開されている魔法陣の薄いヴェールのおかげで、やわらかな光となって部屋を満たしている。窓からは心地よい風が吹き通され、魔法の導きに従ってゆるやかに部屋を巡り、快適な室温を保っているのだった。


 部屋には、ふたりの魔導士が座っている。彼女たちの瞳には、この複雑かつ大規模な魔法干渉の庇護の下にある『千年王宮』の内部が、いつもそのように映っているのであった。


 けれどいま、天蓋つきの大きな寝台ベッドでクッションを背に上体を起こしていたルシカが見つめているのは、必死の想いを内包している娘トルテの瞳だった。


「……重なることは、重なるものなのね」


 ルシカはため息まじりに言い、優しげな弧を描く眉を下げた。やわらかな、落ち着いた微笑みになる。部屋を満たしていた緊張はいつの間にか欠片も残さず消え失せていた。


「いいわ。協力する――為さねばならないことなんでしょ? リューナもあなたも、言い出したら聞かないだろうし」


 そんな母の言葉を聞き、トルテが安心した表情になった。次いで、楽しげな笑いを洩らしてしまう。


「何か言いたそうね? トルテってば」


「あ――いえ、ううん。えっとね」


 トルテがぴょこんと跳ねるようにして椅子から立ち上がり、歩いていって母の傍にポスンと座った。少しだけ遠い眼をして、ゆっくりと懐かしむように言葉を続ける。


「……さっきの台詞せりふ、テロンとうさまがよく言っていたのとそっくり同じだったから。ルシカは言い出したら聞かないって」


 ルシカは眼を見開き、同時にせた。そうして眼が合ったトルテと一緒に、弾けるように笑い出した。どちらの表情にも曇ったところはなかった。穏やかな時間を象徴するかのような、心の底からのたのしげな笑いであった。


 ひとしきり笑ったあと、ルシカは優しげな母の顔になって腕を伸ばし、想いをこめてしっかりと娘の背を抱きしめた。


「行ってらっしゃい……トルテ」


「ありがとう……ルシカかあさま」


「いいのよ。そのかわり、ふたりとも無事に帰ってくるのよ?」


 ルシカは娘の体を離し、その瞳を覗き込むようにして念を押すように言った。そっくり同じ、朝に昇る太陽のようなオレンジ色の瞳が見つめ合う。そのどちらもが相手の心配を払拭するようにやんわりと細められ、あたたかい微笑みのかたちを成した。


「はい。約束します――無事に帰ってくると」


 その言葉に深く頷いたルシカは、娘の手のひらに自分の魔力を注ぎ込んだ魔晶石を握らせた。


 その魔晶石を胸に押し抱いたトルテは顔を輝かせ、すぐに立ち上がった。


「ありがとう、ルシカかあさま。行ってきまぁす!」


「気をつけてね――トルテ」


 跳ねるような足取りで部屋を出て行った娘の背を見送り、ルシカは全身の力を抜いた。力を使い果たしたように後方にそのまま倒れ込む。あてがわれていたクッションに体が沈み、やわらかな金の髪は裳裾のようにふわりと広がった。


 ルシカは小さな吐息をついた。


「歴史の宝珠……投じられた一石。それがこれからの形勢をどう決するのか……ね」


 そうつぶやいたあと、ルシカはゆっくりと瞳を閉じた。いまの彼女に残された余剰の力はなかった。これからのことを考えても、いまは少しでも魔力を回復しておかなければならないのだ……。


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