従僕の錫杖 8-52 打ち捨てられし知恵の塔

「ルシカ!」


 テロンは走り、床を蹴った。装置が積み重なったような塔の表面にある僅かな突起を次々と見定め、手と足の爪先を引っ掛けながらその身を引き上げ、垂直に近い壁を一気に駆け上る。


「――うおぉぉぉぉぉっ!」


 そしてとうとうルシカたちの立つ台上まで到達した。クルーガーが思わずヒョウと口笛を吹く。


「テロン!」


 ルシカの表情が輝く。だがルシファーの変化はすでに完了していた。


 ルシファーであった化け物は、自身を縛る魔導の糸を断ち切ろうと腕を振った。ゴウと風が巻き起こり、人の胴体ほどの太さのあるその腕が装置の表面をかすめ、台上の空間を薙ぎ払う。テロンがルシカに飛びつき抱き込むようにして、ぎりぎりのタイミングでその身をかばう。腕は立ち尽くしていた黒衣の魔導士の体を捉える――。


「グッ――!」 


 太い腕に弾き飛ばされ、カールウェイネスの体は塔から一直線に落下した。外殻の壁の中途に突っ込み、はがれ落ちた壁の一部とともに床に積み重なる。衝撃に裂かれたのか黒衣の切れ端が宙を舞う。それを視界に捉え、マイナが悲鳴をあげた。


 化け物はぎらぎらと剣呑な光を放つ紫水晶アメシストの目で、中央制御メインコントロールパネルの前に残るもうひとりの魔導士の姿を見た。


 がああああああ!


 濃い魔導の血に怪物は憤慨し、吼えながらその腕を伸ばした。ルシカが腕を突き出し、『力の壁フォースウォール』の障壁を具現化する。だが、化け物の腕が障壁に衝突するより早く、テロンの拳がその胴体に炸裂した。横ざまに殴られ、さしもの化け物もヨロリと姿勢を崩す。


 巨大な体躯が踏み替えた足の下には、床がなかった。もともと中央制御メインコントロールパネルの前の足場は狭かったのだ。化け物はバランスを完全に失い、何もない宙に倒れこむように飛び出した。


「おのれ!」


 ロレイアルバーサは台上に残ったテロンに向けて腕を突き出した。魔法陣が瞬時に具現化され、テロンの体を取り囲む。魔力を酷使していたルシカは目眩めまいを起こしかけていたために、反応が遅れた。


「なっ!?」


 テロンの腕が、足が、動きが止まった。意識までもが停止しかける――『時間』の魔導士による強力な『停止ストップ』の魔法だ。


「――テロン!」


 頭を振って意識をはっきりと取り戻したルシカが悲鳴をあげる。


「隙だらけだぞ、娘!」


 ロレイアルバーサの声。ルシカがハッと顔を向けると同時に、今度はルシカの体の周囲に血色に輝く魔法陣が展開された。


「きゃああぁぁぁぁぁっ!」


 ルシカがたまらず悲鳴をあげた。やわらかな金の髪が逆立ち、すべらかな頬が苦痛に染まる。力を失った腕が、渦巻く魔導の風に弄ばれるように宙を泳ぐ。魔法効果を減じようにも、自身の体内の魔力マナの余剰がない。


「うぅッ……! こ、これは、冥界と繋がる扉……!」


「その通りだ。そなたの体の内に冥界からの扉を開く。こうなったらいとしき彼女の魂を、無理矢理にでもその体に降霊させてやるわい――!」


 ロレイアルバーサは狂気に取りつかれたかのような瞳と口元にくらき微笑を張りつかせ、勝利を確信してルシカの体をねっとりと眺めた。


「うぅ――ルシカッ!」


 テロンは必死で、強大な魔導の力にあらがっていた。だが目の前で他でもないルシカが苦しんでいるのに、指一本動かせない。


 下では――。


 ズウウウウン……!


 化け物の巨体が、クルーガーとマイナの目の前に落下していた。継ぎ目のない床もその衝撃に爆ぜ割れ、舞い上げられた埃が周囲を覆い尽くす。


 視界を遮る埃の中の気配に青い目をすがめ、クルーガーは真剣な面差しで呪文を詠唱しつつ、一気に魔法剣を抜き放った。


 閉ざされた視界の先で気配は殺気に変わり――土埃が渦を巻いた。


 ぐあぅおおおぉぉぉぉっ!!


 激しい痛みと怒りに我を忘れた化け物が――ロレイアルバーサにひととしての姿かたちと心を奪われたルシファーが、土埃のなかから飛び出してきた。


 ガギンッ!! 襲い掛かった腕をクルーガーの魔法剣が受け止める。金属とぶつかったような衝撃に剣からは火花が散った。それと同時に、付与エンチャントされた氷属性の魔法効果が発動し、触れていた腕を冷やして瞬時に氷結させる。


 突然霜で覆われたように真っ白になり、ビシビシと不穏な音を立てた腕に狼狽し、化け物が後退った。


「ティアヌ!」


「リーファ、今ですっ」


 フェルマの少女とエルフの魔術師の声が重なり、階下にいるクルーガーたちの耳を打つ。


 バシュウゥゥゥンッ! 土埃の一角から、白の魔導に輝く一筋の光が解き放たれたように上に向けて発射された。一瞬遅れて衝撃風が生じ、土埃が吹き払われる。


 床にうずくまったまま顔をあげたティアヌと、頭上に向かって弓を掲げたリーファの姿があらわになった。その弓は、ミディアルで再会したマウから譲られた新開発の試作品――魔導の力を撃ち出す武器であった。


 ティアヌの起こした追い風に支えられ、矢は一直線に、遥か上方に立つ『時間』の魔導士に向けてぐんぐんと昇っていった。


 ドンッ! 狙い過たず魔導士の片腕に突き刺さり、瞬時に魔法陣を展開する。行使されたのは対象の強化術を破る魔法だ。


「なんだと!」


 その正体に気づいたロレイアルバーサの顔が驚愕に歪む。行使していた魔導の技に対する集中が解け、ルシカの体を捉えていた魔法が霧散した。


 パシンッ! 薄い硝子細工のグラスが弾け割れたかのような音を立てて魔法陣が消失し、ルシカは崩れるように床に倒れた。その場所は足場の縁であった。倒れて弾んだ体がほとんど空中へと投げ出され、ずるりと滑る。


「ルシカ――!!」


 テロンが渾身の力を込めて『停止ストップ』の魔法効果を打ち破り、床に身を投げ出すようにして腕を伸ばす。かろうじてルシカの手首を掴み、その落下を止めることができた。


「おのれえぇぇぇぇ!」


 呪うように叫ぶ声に警戒してロレイアルバーサに目を向けたテロンが、驚きに目を見張った。その体が急速に老いさばらえていくのだ。


 リーファがティアヌとともに放った白い魔導の矢には、強化術を破る効果があった。時をさかのぼり若さを取り戻す魔法も、本来強化術に属しているもの。その効果を消失したロレイアルバーサの体に、相応の年月が急速に押し寄せつつあるのだった。


 テロンは腕に力を込め、半ば意識を失っているルシカの体を引き上げた。腕の中にルシカをしっかりと抱き、テロンはホッと息を吐いた。


「おまえなんぞに、その娘は渡さぬぞ!!」


 ロレイアルバーサは腕を伸ばした。引きしまっていた体躯は見る影もなく、クシャクシャと皺を寄せる腕から、しかし巨大な光が撃ち出された。


「止せッ!!」


 テロンはルシカを抱えたまま片腕で『聖光弾せいこうだん』を放った。ふたつの力が空中でぶつかり、凄まじい衝撃が吹き荒れる。


「ぐああぁっ!」


 ロレイアルバーサの体は、風にあおられた紙のようにあっけなく宙に舞い、遥か下の床に落ちた。


 同じように衝撃に台上から吹き払われたテロンは、ルシカを抱えこむようにかばい、床に向かって落下した。


 だがそのとき、腕のなかのルシカが気づいた。指先の動きで瞬時に魔法陣を紡ぎ、落下速度を緩める。叩きつけられる寸前だったがテロンは身をよじって足を下に向け、なんとか着地を決めたのだった。


 下では、魔法剣を振るうクルーガーと、怨念めいた光を目に宿した化け物の戦いが続いていた。


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