従僕の錫杖 8-51 打ち捨てられし知恵の塔

 下では仲間たちが、その名が告げられるのを聞いていた。


「……ターミルラ公国の、カールウェイネス公? 姿を消したはずの」


「では、マイナの母君――アイララ殿の弟なのか、あの黒い服のやつは」


 仲間たちが互いに戸惑い気味の顔を見合わせるなか、テロンは口元を引き結び、鋭い視線のまま頭上の状況を見据えていた。


 妻を助けるタイミングを探っているのだ。


 中央制御メインコントロールパネルの前では、魔導プログラムの書き換えで魔力マナを大量に使い、体の不調に気力と体力までをも使い果たしているルシカが、今にも倒れてしまいそうな顔色で――だが、顎をあげ背筋をしゃんと伸ばして立っている。


 その目の前では、黒衣の男と異形の男が対峙し、にらみ合いを続けていた。一触即発の気配はまだ抜けていない。


 ロレイアルバーサは、こめかみをピクピクと引きつらせながら、相変わらず高い位置にある足場に立ったままだ。最下層にいるテロンたちからは瞬時に手が出せない距離である。


「まさかそんな……俺から全てを奪ったのが、他でもないロレイアルバーサ様だったと……?」


 誰にともなく言葉を発したルシファーに、油断なく構えたままのカールウェイネスが急き込むように「そうだ」と頷く。

 

世迷言よまいごとだ! 耳を貸すんじゃないぞ、ルシファー! そやつが例え大公である本物のカールウェイネスだとしても、国を捨てた男だ。その言葉が正しい訳がないっ!」


 ロレイアルバーサがわめき、その声をとどろかせた。ルシファーがびくりと反応する。彼は迷っていた。紫水晶アメシストの瞳が激しく揺れ、牙のごとく尖った犬歯がカチカチと鳴った。今まで信じ続けていた唯一の心の支えが崩壊しかけているのだ。


「俺は……俺は……」


 異形となっている男は、広げた自分の手のひらに視線を落とした。金属のような硬度と奇怪な突起、尖って伸びた鉤爪――変わり果てた姿になってしまったおのれの肉体を見下ろす。ひとを切り裂き屠るためのかたちを成す手を握りしめ、のろのろと顔をあげた。


「――では何故だ。カーウェン、答えろ。何故おまえは国を捨てた」


 ルシファーは震えおののく肩をそのままに、噛みしめた歯の隙間から絞り出すように問うた。


 大公であったカールウェイネスは構えていた腕を下ろし、機関に手を貸すもの――カーウェンとして接してきた目の前の友に顔を真っ直ぐに向けて正直に答えた。


「私は……姉を愛していた。だから、忘れ形見であった彼女の娘の命を救いたかった。そのためならば、私は世界中を敵に回し全てを捨てても構わないとさえ思った! 姉が失われたと知った時のあの喪失感――私はそこで一度死んだも同然だったのだ!」


 カールウェイネスは声を振り絞り、胸を掻きむしるようにして心の内を吐露した。その迫力に、思いの強さに、ルシファーが気圧されたように一歩後退る。そのとき叫ぶような声がふたりの会話を断ち切った。


「ならば、どうして!? おかあさんの弟なら、どうしておとうさんを殺したの? おかあさんの愛するひとを、どうして踏みにじる必要があったのですかっ!」


 マイナだった。血の繋がりがあるがゆえによく似ている紅玉髄カーネリアン色の瞳を見開き、精一杯に力を込め、どうしようもなく溢れてくる涙を拭おうともせず。ただ強い光を宿したまま黒衣の男から目を離さず、怒りに眉を跳ね上げながら。


「違う! 私は……」


 傍目にもはっきりとわかるほどに狼狽し、カールウェイネスが言葉を詰まらせる。


 ルシファーは鉤爪を下ろした。再びうつむかせていていた顔をゆるゆると上げ、「――確かに」と口を開く。


「おまえはあのとき、海辺の丘の襲撃の夜に、俺を止めようとした。襲撃の事実のみあればよいと。立ちはだかった司祭を引き裂こうとしたとき、確かにおまえの声が聞こえた……」


 マイナが息を呑み、黒い装束に身を包んだ男を睨みつけていた瞳の力を緩めた。床にへたりと座り込みかけた体を、傍にいた青年が膝を落として抱きとめる。


「おのれ……言わせておけばっ!」


 ロレイアルバーサは腕を突き出した。背丈ほどもある魔法陣が瞬時に描かれ、その指先に生じた血色の火花はいかずちとなって、宙を切り裂いた。


「なっ、あぶないッ」


 マイナが悲鳴をあげ、クルーガーが、テロンが、頭上を振り仰いだ。


 バジュウウウゥゥンッ!!


 光が走り、爆発した。細かく鋭い破片となりつつぜ散じ、消えていく。その向こうで、腕を掲げていたカールウェイネスはハァッと息を吐き、苦しげな表情で激しい呼吸を繰り返した。その背後にはルシファー、そしてさらに後ろには装置の心臓部――。


 どちらを護ったのか判然としないが……おそらくはどちらもだったのだろう。


魔力マナの扱いは、おまえより儂のほうが上なようだな」


 ロレイアルバーサはニタリと口元を吊り上げ、突き出したままの腕に再び力を込め意識を集中させた。


「クッ!」


 バジュウウゥンッ!!


 第二波が激突した。続けざまに第三波。受け止めている魔法陣が歪み、展開している防護の障壁に亀裂が入る。黒衣の魔導士は悔しそうに唸った。


 だがそのとき。


 苦しむ黒衣の男の横から繊手が伸ばされ、消滅しかけていた魔法陣を支えた。その手から新たな力が注ぎ込まれ、青と緑に輝く強大な障壁となって広がる。血色のいかずちの奔流を阻み、呑みこみ、消滅させた。黒衣の男が驚いて、横に立つ人物に視線を向ける。


「『万色』の娘!」


 伸ばした腕はルシカのものだった。肩で息をつきながら、白い光の踊る瞳を片方苦しげに伏せながらも、魔導の力を行使している。


「この装置は、友人にとって必要なもの――壊されるわけにはいかない。この装置を起動させることはあたしの望みでもある」


 だからこそルシカは、不当に拉致された後であっても協力していたのだ。


「あくまでも、そなたは儂に楯突くというわけか!」


 ロレイアルバーサが腕を下ろし、ぎりぎりと歯噛みする。


「ルレアと同じ外見を持つもの、同じ魔導の輝きを放つものなのに――。こうなれば、仕方ない、残念だ」


 黄金の瞳をギラリと光らせ顔色を変えたたロレイアルバーサは、白く豊かな髪を振り上げるように両腕を高く掲げ、広い内部の空間にこだまするほどの声量で呼ばわった。


「異形の道化――我が操り人形、ルシファーよ――」


 その言葉に、ルシファーがびくりと反応する。革衣の間、はだけた胸に輝く赤い魔法陣がその光を強め、異形の姿に変化していた男は背筋を仰け反らせた。苦しそうに喉もとを掻きむしるさまに、傍にいた黒衣の男が友の名を叫び、その腕を伸ばす。だが次の『真言語トゥルーワーズ』の発動を止めるには……遅すぎた。


「覚醒せよ!」


 叫ばれた言葉に、ルシファーだったものが膨れあがった。胸の魔法陣から裏返るように別の姿かたちを成していく。


 うおぉぉぉおおぉぉぉ……!


 空間を震撼させるその音が、果たしてルシファーの悲鳴であったのか、化け物と化していく肉体があげる雄たけびであったのかは、すでに判別できなくなっていた。


「いけない!」


 下で成り行きを見守っていたリーファが叫ぶ。ティアヌは急ぎ集中し、詠唱をはじめた。


 テロンが身構え、『聖光気せいこうき』の輝きをその身にまとう。クルーガーは傍らのマイナをかばいながら入ってきた扉側に退き、護るべき娘を安全な位置に押しやる。そして自分は腰から魔法剣を抜き払ち、前へ出た。


「なんてこと……!」


 目の前で魔導の力がひとの肉体を再構成する様にルシカは目を見開き立ちすくんだが、すぐに表情を引きしめた。腕を振り上げ、青に輝く魔法陣を展開する。その効果を減じ、元に戻そうと、淡白く光る生命の魔導の輝きが異質な体に伸びてゆく。


 ぐぎゃるぅぅぅぅ!


 ルシファーだったものが、その身を瞬時に縛り上げた魔導の糸に憤慨し、身をよじった。その間にも銀の髪はたてがみのように背まで続き、鉤爪めいた腕先は本物の爪に取って代わる。化け物じみた外見への変貌が続く。


「うははははははっ」


 その様子を見てロレイアルバーサが哄笑した。


「さあどうする! ヴァンドーナの孫、魔導士の娘よ。おまえに奴の変化へんげを止めることはできぬ。ふっ、ふぁははははは!」


 ルシカが腕を振り上げたままあえぎ、膝をついた。額に玉のような汗が生じている。自身の魔力マナが尽きかけているのだ。ロレイアルバーサが切り札としていたルシファーの変化の秘術は、ルシカが自身の魔導の知識を総動員しても、瞬時にその魔法構造を理解することができない。その赤い魔法陣の発動を阻止できない――。


 ルシカが自身の魔力の限界を超えている。テロンはそう判断した。もう待ってはいられない。


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