従僕の錫杖 8-36 ミディアル防衛戦

 テロンが、保管庫の中央にある机に三冊目の本を置き、ルシカを振り返った。


「――ルシカ?」


 大魔導士の孫娘はうつむいて、衣服のポケットから取り出した手帳を眺めていた。呼ばれてやっと顔を上げ、慌てて手帳を仕舞しまいながら「ご、ごめんなさい」と謝る。


 昨日のヴァンドーナの私邸の執務室で手帳を発見してからずっと、ルシカはずっと塞ぎこんでいた。ひとの視線を受けたときや話している間は、はきはきと明るく振舞っていた――いつもと変わらないばかりか、少しオーバー気味なくらいに。


 テロンは肩を怒らせ、ルシカまでの数歩を大股に歩み寄った。常にない勢いとその表情に、ルシカが思わずびくりと身を引いた。


「テロン、どうし――」


 言葉が途切れる。ルシカの唇を、テロンが自分のそれで塞いだからだ。


 ようやく顔を離したテロンが、ルシカの瞳を真っ直ぐに覗きこむ。目を逸らそうとしたルシカの頬を大きな手で包み込み、その視線を逃さないようにしてテロンは言った。


「俺を見るんだ、ルシカ」


「テロン……」


「俺の目に、誰が映っている? ――ルシカはルシカだ。他の誰でもない、ルシカなんだ」


 ふいに、見開かれていたルシカの目から涙が転がり落ちた。頬を包むテロンの手を濡らす。


「気になっているのだろう。愛した者とうりふたつの姿に成長した孫娘の君に、おじいさんが自分の妻についてほとんど何も話してくれなかったことが」


「……そう、どうしてなの? 隠すことなんてないじゃない。それなのに」


「もし俺がヴァンドーナ殿の立場なら、同じく何も言えなかったと思う」


 テロンは流れる涙を指で拭い、諭すようにゆっくりと言葉を続けた。


「孫として愛していたならなおのこと、絶対に口にはできない。孫に重なる面影が、自分の愛した女性だぞ。祖父と孫娘との関係が崩れてしまいそうで、怖ろしくなる」


「……じゃあ、おじいちゃんは」


「ルシカのことを、おじいさんは孫として――ただ『ルシカ』という女の子として、とても大切にしていたんだと思う」


 ヴァンドーナは最期に自らの生命を、孫娘を救うために躊躇なく差し出したのだ。その祖父の自己犠牲が、もしも……ルレアの面影を見ていたからだとしたら?


 ルシカはそれを怖れている。もしそうであったなら、一生自分を許せないのだろう。仲間たちのためとはいえ、あのとき自分の生命を使い切る選択をしたのは、他でもないルシカ自身であったから。


 ヴァンドーナが自分に残された全ての魔力マナと生命をけて救った、ルシカの命。


 込められた想いは、亡き妻の面影のためでも、友を差し置いた自分に対するあがないでもなかったと、テロンは思っている。の大魔導士は、そんな矮小な人物ではなかった。


 それに、大切なことをルシカは気づいていない。ふたつの存在は、決して同一ではないということだ。テロンとクルーガーが双子であり同じ体と生まれを持つ身であろうとも、別々の魂を持ち、別々の感情で動いているように。


 だから、ルシカは祖父にとってルレアの代わりではない。


 成長し、結婚もした今のルシカならば、祖父の想いを理解できるはずだ。ヴァンドーナもそう思っていたからこそ、手帳が今のタイミングで見つかるようにしてあったのだとテロンは思う。


「ルシカは安心していい。何も疑問に思う必要はないんだ」


 テロンはルシカを抱きしめた。腕に込めた強さから、少しでもルシカに自分の想いが伝わることを願いながら。


 そしてルシカが息苦しさを覚える前に、彼は体を離した。


「――それにルシカ、ひとつ大事なことを忘れているぞ」


 涙を自分で拭ったルシカは、「え?」と濡れた目を上げてぱちくりさせた。


「俺はルレアを知らない。ルシカだけだ。それなのに――君は夫の気持ちを置いてゆくのか? 俺にとって愛する相手は君しかいないんだぞ」


 冗談めかし慣れないことを言おうとして少々つっかえ気味のテロンの顔を、ルシカはポカンと眺め……まるで当たり前のことに今気づいたような顔になった。


 そんなルシカを正しく理解し、思わずテロンが苦笑する。


「――あぁ、テロン。そうよね、そうだよね。ごめんなさい……!」


 ルシカは泣き笑いの顔になって声をあげ、テロンの首に飛びつくようにぶつかって腕を絡めた。その体を改めて優しく抱きしめながら、テロンはようやく安堵した表情になった。


 ルシカの表情から憂いの影が消え、テロンの態度から戸惑いと焦燥が消え……ふたりはもう一度くちづけを交わしてから、本を解読する作業に戻った。


 『万色』の魔導士はこの上なく集中して魔導の力を行使することができたので、必要な情報を得るのに長い時間はかからなかった。





「おう! エルフのぼうず、元気だったか? なんでぇ、少しは成長したのか、あぁん?」


 振興地区の一角にある冒険者ギルドの建物を訪れたティアヌが、ギルドの長から開口一番掛けられた言葉がそれだった。


「うぅっ……、その呼び名はいい加減やめてください。自分がただの子どもにでもなった気がして情けなくなりますので」


 ティアヌが、本気とも冗談ともつかない様子でしょげ返り、床を指でぐるぐるした。確かに長命のエルフ族で二十六歳といえば、まだまだひよっこのほうに入るのだろうけれども。


「ディドルクさん、こんにちは。今回は大変お世話になりました」


 ティアヌのあとに続いて扉をくぐったリーファが、にっこりと笑顔で挨拶をした。


「おお、舞姫の嬢ちゃんも! どうでえ、別の大陸への旅は楽しめたかい?」


「恥ずかしいです、その呼び名」


 リーファはにこにこと変わらぬ笑顔を浮かべながらも鋭く返し、ディドルクがガハハと豪快に笑った。


「まあそう言うな。お前さんの短剣の技使いは、本当に見惚れちまうくらい洗練された動きと可愛らしさを感じるからな。人様の前で披露しても十分に食っていけると思うぞ」


「髭面で誉められてもなぁ~」


 リーファが笑うと、ディドルクはようやく立ち上がったばかりティアヌの背中をバンバンと叩いた。照れ隠しの行動だろうが腕力が半端ではない。


 たまらずティアヌがせ返る。


 ディドルクは竜人族の男だ。大柄な種族の中でも背の高い、見事に鍛えあげられた筋肉を持つ巨漢である。そしてこのミディアルの冒険者ギルドを束ねる長でもあった。


 冒険者ギルドとはもともと互助会のようなものから発展した組織である。街の人々や商人、果ては国家からも様々な内容の依頼クエストを受け、それを腕に自信のある者たちに斡旋する。情報を集め、与え、共有する場であり、仲間をつのる場ともなる。


「げほ、げほっ。――そういえば、マウはどこですか? 久しぶりに会えるかと思ったのですが」


「おう、マウのやつならリンダと一緒に彫金ギルドのほうに出掛けているぜ。あンのちっこい手で、どういうわけかすげえ細工物を作り出すってんで、先方のギルドの親方が気に入っちまって」


「トット族は優れた細工師が多い種族ですからね」


 ティアヌの言葉に、ディドルクは重々しく頷いた。


「誰でもひとより優れた才能を何かしら持って生まれてくるモンだ。その才能を伸ばしてやるってぇのが、子どもを育てるってことよ」


 ニカッと、まさにドラゴンが笑うような顔でディドルクが言った。


「まあ、もうじき帰ってくるはずだ。マウもリンダも、おやつの時間に遅れることはないからな。茶でも淹れて待っていようぜ」


 ギルドの長は、ふたりを上の階の私室へと案内しようと先に立って歩きはじめた。一階は簡易の食堂と依頼斡旋のカウンターがあるため、多くの冒険者でごったがえしているからだ。


「そういえば、お仲間はどうしたい? 王弟殿下と宮廷魔導士の嬢ちゃんも一緒なんだろ? 久しぶりに甘いものでも食いながら積もる話でも――」


「いま手分けをして調べものやら準備やらに奔走しているところなんですよ」


 ティアヌが答え、眉を寄せる。ここを訪れた目的を思い出したのだ。


「ですから、お茶も頂きたいところなのですが、申し訳ありません。急ぎフェンリル山脈の寒さにも耐える装備を揃えなくてはならないので、その品の調達についてご相談したいのです」


「ほう」


 相好を崩していたディドルクの表情が、一気に引きしまったギルドの長のそれになる。


「承知した。手伝おう。山岳登山も必要になるのか? だとしたら装備品の重量が半端ないものになるが」


「それは想定しなくてもよいようなことをルシカが言っていました。寒さをしのげる暖かい外套と、すぐに火をおこせる魔法の火種や火口ほくち、中の水が凍らない水筒も確かありましたよね」


「冬ならばむしろ雪から水は調達できるが、いまの季節はそうはいかんだろうな。よし――こっちへ来い。丁度とっておきのモンが揃っているんだ」


 さらに上の階へ案内されながら、リーファは階段の途中にある窓から外を見た。


 途端に、ざわりとした感覚が首筋を這い登る。


「なに……、あの黒雲。ひと雨くるのかな。これから動かなきゃなんないのに、嫌だなぁ」


 不安のようなものを感じたリーファがつぶやいた。その声に被さるように、豪快なディドルクの声が上から降ってくる。


「しかしまぁ、テロン殿とルシカの嬢ちゃんも忙しいねぇ。そんなこっちゃ子宝に恵まれる暇もないんじゃねぇのか?」


「またまた、子どもはいいもんだぞって語りはじめるつもりですか? ディドルク殿はリンダちゃんを目に入れても痛くないくらいに可愛がってますからね~。親父さんっていうのは、みんなこういうものなんですか?」


「てやんでぇッ、からかうもんじゃねぇよ!」


 照れたように顔を染める巨漢がまたもやバシンとエルフの魔術師の背中を叩いたので、リーファはティアヌが階段を転げ落ちないかと心配になった。


 窓の外から目を引きがし、トトッときざはしを蹴ってふたりに追いつく。


「もうっ! ディドルクさん、ちょっとは加減しないとティアヌが壊れちゃうってば」


「こんくれぇで壊れちまうようじゃあ、嬢ちゃんを護れねぇぜ!」


 ディドルクはガハハハとたのしげに笑いながら、ふたりの背を押すようにして階段を上っていく。


 窓の外、フェンリル山脈の方向に出現した黒い雲は、いま急速に広がりつつあった――。


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