従僕の錫杖 8-31 想いが導くもの

 血の繋がりはあるにしても、こうも似ているものなのか――ふたりは信じられない思いだった。


 描かれた絵……優しく微笑む女性は、浮かべた表情から受ける印象こそ僅かに違えど、それはまるでテロンとクルーガーのように、ルシカの双子の姉だといわれても信じてしまうだろう。


 テロンとルシカのふたりは、手帳に挟んであった姿絵を見つめたまま、しばらく動きを止めていた。


 ふいに、テロンが顔を上げた。部屋の入り口を振り返る。


 コン、コン、コン。よく響く小気味良い音で扉が叩かれ、ルシカはやっと姿絵から視線を引き剥がすことができた。


「よう」 


 部屋に入ってきたのは、クルーガーだ。


「後ろには誰もいないぜ、俺だけだ。他の皆は下で待ってる。ティアヌはいくらでも待てそうなくらいだ」


 片手を挙げて笑いながらクルーガーが言った。そして、神妙な顔をしたふたりの様子に気づき、自分も表情を引きしめた。


「――どうした、何かあったのか?」


 ルシカは思わずテロンを見た。テロンが頷いたので、決心したようにルシカが話し出す。


「クルーガー。ターミルラ公国の城にあたしたちが行ったとき、こちらに絡んできた今回の事件の首謀者の話はしたよね……?」


「ああ。ロレイアルバーサ・リ・クライン……もともとは大臣の位に就いていた人物だな」


「うん。……そいつがね、あたしのことを見て、ルレアという名の女性と取り違えていたふうだったの。正確には、あたしの身体にそのひとの魂を降臨させて、一緒になろうとしているみたいで」


 クルーガーはみるみる厳しい顔つきになった。


「どういうことだ。そこまで俺は話を聞いていなかったぞ」


「ごめん……」


「話せなかった理由があるというのか?」


 クルーガーが鋭く問いかけた。


 うなだれるルシカの肩に、テロンが手をかける。そして兄であるクルーガーを真っ直ぐに見つめ、ルシカの言葉を継いで口を開いた。


「マイナのこともあったし、兄貴にもみんなにも、ルシカの件で上乗せしてこれ以上の心配をかけたくなかった。しかもあまりに不明瞭な話だったんで、もう少し何か分かったら兄貴やみんなに相談しようと、俺とルシカで決めていたんだ」


 クルーガーは深く息を吸い、吐いた。言いたい言葉がいくつか喉元まで上がっていたが、とりあえずそれを呑み込んだままにしておく。


「話してくれ」


 言葉短く、先をうながす。


「ルレアというのは、あたしの祖母の名前なの。父が生まれたとき亡くなったということしか聞いてなかった。どんなひとだったのか、おじいちゃんもあまり話をしてくれなかったし」


 ルシカは手元の手帳に目を落としたままそこまで語り、姿絵をクルーガーに渡した。


 受け取ったクルーガーが絵姿を見つめ、息を呑む。


「なるほど、ルシカに生き写しだな……。この女性を、今のルシカの体に降臨させるだと?」


「ああ。……どうもロレイアルバーサという人物は、ヴァンドーナ殿とその女性――ルレアを巡って何かあったらしい。当時の想いをそのまま今も引きずっているんだ」


 テロンが語り、口の端を引き結んだ。


 クルーガーは弟の苦々しそうな表情を見て、ロレイアルバーサが抱いているという想いの正体を悟った。


「――実らなかった恋を、ルシカで何とかしようとしているわけか」


「ああ」


「なるほど。語りたがらなかったわけがわかってきた。――最低変態ヤロウってわけか」


 クルーガーが額に手を当て、呻いた。


「死んだ者の魂を降臨させるなんて、そんなことができるかどうかは疑問だが」


「……できるわ」


 ルシカの半ば呆然としたような声が、ふいに割って入った。ふたりが目を向けると、『万色』の魔導士は不安の面持ちで手帳から顔を上げていた。


「――どういうことだ?」


 クルーガーとテロンの声が重なる。


「あいつは言っていた。自分は『時』の魔導士。過去の魂を呼び戻せる存在。そなたをいしずえにルレアの意識を降臨させればよい、と……。この手帳はおじいちゃんの若い頃のもので、覚え書き程度だけれど、三人が一緒に過ごしていた当時のことが書いてあるの」


 ルシカは言葉を続けた。


「ロレイアルバーサは『死霊使いネクロマンサー』でもあるの。冥界と現生界とを繋げる扉を開くことができる魔導士。あたしにはその方法までわからないけど、たぶんあいつの語っていたことは全て実行可能なんだと思う……」


 温かい日差しに満たされていた書斎の空気が、一気に冷えたものに変わる。


「そんな……冗談じゃないぞ……」


 テロンがこぶしをギュッと握りしめ、クルーガーは奥歯をギリッと噛みしめた。


「……マイナだけではなく、ルシカまで狙っているというのか……」


 ルシカはオレンジ色の瞳を伏せ、手帳に綴られていた内容を語りはじめた。


「当時は、おじいちゃん……ヴァンドーナとルレア、そしてロレイアルバーサは、仲の良い親友だったみたい――」


 三人は友人だった。無二の親友だった。


 尋常ではない力の持ち主として、魔導士は世間でいつも孤独だった。常人が持ち得ない稀有で強大な力。それゆえに生じる悩みは、周囲に話しても理解されるものではない。


 だが三人が運命的に出会ってからは、気持ちを通じ合うことができる仲間となり、互いの胸に開いていた穴を塞ぐことができたのである。


 けれど、青年ふたりと娘ひとり――いつしか通じ合う気持ちは恋愛のそれに変わっていき、ついに一組のカップルが互いの想いを成就させた。


 ふたりは結婚したが、残ったひとりはそれを祝福することなくふたりの前から去った。……いだいていた恋心と、友情から取って代わった愛が、あまりにも大き過ぎたゆえに。


 恋を実らせた青年はヴァンドーナ。彼はそれでも親友との関係は続くと信じていたが、ロレイアルバーサがルレアに寄せていた想いは、ヴァンドーナにも気づけなかったほど遥かに深く強いものであったのである。


 ヴァンドーナは、姿を消したロレイアルバーサの行方を捜したが、すでに大陸のどこにも彼の気配はなくなっていた。死んだのかも知れぬ……大切な友人をないがしろにしてしまったのだと、手帳には悔恨の思いが綴られていた。


 後年どうなったのかまでは、手帳には記されていない。


「――この手帳が探していた魔導書の隣にあったのは……おそらく、おじいちゃんが意図して置いたからだと思う……」


 ルシカの手帳を持つ手が、震えていた。


「ヴァンドーナ殿の『予知プレディクション』か……。今になって、このタイミングで発見されるとはな」


 クルーガーとテロンは、偉大な力を持つ大魔導士のかなしみの片鱗を垣間見た気持ちがした。


 そしてテロンはルシカが感じた思いを理解し、同時に胸を衝かれていた。そんな、閉じられない眼のような能力とともに生きるのは、あまりに重過ぎる、苦しすぎる……過酷だ。


「……おじいちゃん……」


 ルシカがこらえきれずに嗚咽を洩らした。テロンがその肩を抱きしめる。


 クルーガーは口を引き結んだままふたりから目を逸らすように、手元の絵姿を見つめた。ただ穏やかな面持ちで微笑む、ふたりの青年に愛された女性を。


「――まるで以前の俺たちみたいな関係だな……。皮肉なものだ」


 心の内でつぶやく。


 クルーガーの場合は、テロンとルシカのふたりを心から祝福していた。自分の気持ちは二の次だ――ふたりの幸せはクルーガー自身にとっても喜ばしいことなのだから。


 だが今回……これほどまでの重荷を、テロンもルシカも、自分たちの中だけで抱え込んでいたのには納得がいかない――そんな思いがどうしても消えなかった。


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