従僕の錫杖 8-14 手掛かりを探して
広い王宮の敷地内には、様々な種類の緑がたっぷりと生息している。
それは
白亜の王宮の北側には、古代王国期からそこに在り続けていると
その東エリアの一角、『東の門』と王宮の建物との間に、ずんぐりと太い円筒のような五階建ての建造物がある。――『図書館棟』と呼ばれる建造物だ。
王都にある王立図書館とは違い、そこに集められ厳重に保管されているのは、古代魔法王国期から伝わる貴重な文献や魔法書の数々だ。
魔法に関する事柄や知識、歴史を綴るために用いられた
多くの文官たちが管理し、日々手入れと分類、そして解読を行う場所でもある。
その全てを管理する役割を担うのが、宮廷に仕える魔法の使い手――その中でも最上位に立つ者、すなわち『宮廷魔導士』であるルシカであった。
就任時には僅か十六歳という若さの宮廷魔導士だったが、その当時から文官たちからの信頼と忠誠心は厚かった。
普通の娘として育った
『魔導士』という古代魔法王国から続く力を受け継ぎ、しかもその中でも『万色』という、どの分類にも属さない無限の可能性を秘めた魔導士だからである。
本来、魔法には、創造、破壊、時間、空間、召喚、幻覚、察知、生命といった力の『
だが、上級魔法は魔導士のみが扱えるものとなり、しかもどれかひとつ、もしくはふたつまでの種類しか行使することができないという制限があるのだ。
しかし、その制限に縛られず、どのレベルであろうと全ての魔法を行使することができる者が存在する――それが『万色』の魔導士なのであった。
その魔導士という人材が特定の国家に就いたことは初めてのことで、憧れた民の間で魔法に対する関心が高まり、王国の魔術師人口が爆発的に増えたほどだった。
もちろん、今は亡き『時空間』の大魔導士ヴァンドーナの存在も大きかった。政治や歴史の表舞台には決して現れることがなかったとはいえ、この図書館棟に勤める文官たち、そして王宮に昔から居る者たちには馴染みの大先輩であった。
――そういう人望もあって、夜だというのに図書館棟には多くの文官たちが集まっていた。
「ルシカ様! 当時の歴史を綴った文献は、これで全部です」
文官のひとりが貴重で分厚い本を大切そうにそぅっと、閲覧室の机の上に置いた。腕が痺れたらしく、だらりと下げたままゆっくりと揺らしている。
「ありがとう。――大丈夫ですか? あんまり重たい書物は、物質移動の魔法を扱える者に任せてくださいね」
他の文官たちと相談しながら本のリストに目を落としていたルシカが立ち上がり、気遣いながら本を運んできた文官の腕に触れた。
ぽぅっと指先に光が灯り、小さな魔法陣が現れ、消えた。
「あ、す、すみません」
文官は照れたように肩を縮こまらせ、恐縮した。その腕からは痺れがきれいさっぱり消えている。
「こちらこそ。皆さんも、調べものを手伝ってくれてありがとう。祭りに駆り出されて疲れているのに、ホントごめんね」
オレンジ色の瞳を片方パチリと閉じ、両手のひらを合わせた宮廷魔導士に、文官たちの口元にあたたかい笑みがこぼれた。
「仕事なんですから。でも、そうおっしゃっていただけると元気百倍、これなら徹夜もどんとこい!」
「そういうルシカ様もどうか無理はしないでくださいよ。もしも倒れられたら解読待ちの古文書たちと、それから僕たち文官も仕事がなくなって半数は路頭に迷いますよぉ」
「それは言い過ぎでしょうってば」
本来静かな図書館棟に、楽しそうな笑い声がドッと響く。いや――ルシカが就任してからは、ほとんど毎日が静かとは無縁の図書館棟だ。
「さぁさ、とりあえず関連のありそうな項目を絞るところからはじめましょう」
「明日の朝までにはやっつけちゃいましょ!」
文官たちはそれぞれ、各自が習得している古代言語のレベルに合う本を手に取り、席に着いた。ノートを傍に置いて、慎重に本を開き、読み解きはじめる。
途端に場の雰囲気が変わり、静かで静粛な、静謐なものになった。
「さぁて、あたしもはじめようかな……」
ルシカの前に積まれたのはいずれも『
ルシカは考えていた――いずれは魔導ではなく魔術を扱う者にも読み解けるよう、新しい『
ルシカは本を開き、慎重に目を通しはじめた。その瞳――昇りたての太陽のようなオレンジ色の虹彩に、魔導の白い輝きが宿る。
その現象は珍しいことではない。それだけの
ルシカが握り込んだ手には、魔晶石があった。魔力を蓄えておいた特別な石である。
十分に休息を取っていないルシカが今、自分のなかに残っている魔力を使って何冊もの『
「――『従僕の錫杖』、か。あたしたちって、よくよく古代の『五宝物』に縁があるのね……」
古代に栄えた、偉大なるグローヴァー魔法王国――魔導の力で治められたその王国が滅亡したあと、後世にまでも伝わっている怖ろしいほどの魔力を秘めた魔法の宝物たち。
自分の力を安定させ、祖父の想いと共に自分の体の中に吸収された『万色の杖』、王宮内の隠された部屋で静かに眠る『生命の魔晶石』、そして邪神復活を止めようとして王子が砕いた『破滅の剣』……そして今回、新たな争いと難題を吹っかけてきた『従僕の錫杖』。
ルシカは、目の前にある文字の羅列から目を離さないまま、静かに口元を笑わせた。
――やってやろうじゃないの。今までと同じ、皆で知恵と勇気と元気を集めれば、必ず解決する方法はあるはずよ……ルシカはそう思っていた。
「それに……あの子を助けてあげたい。運命に翻弄されるのは、そのひとのせいじゃないもの――」
当人よりも早く、ルシカは気づいていた。クルーガーが、あの娘に寄せている想いの強さに。
現国王となったクルーガーとは、彼がその地位を継ぐ前から幾度も共に生死まで賭けた危機を乗り越え、助け助けられている仲間だ。男女の違いはあるけれど、世界の何と比べても同じくらいに大切な友情――
クルーガーはルシカにとって、単なる結婚相手の兄ではない。全幅の信頼を置いている、かけがえのない親友なのである。
「――解決方法、絶対に見つけるわ」
ルシカは魔導の輝きを宿す瞳に力を込めた。視線の先で、魔法の言語がいくつも連なり、踊るように導いていく――過去に構築された秘儀、行使された魔導の技……その知識の深淵へと。
どのくらい時が経ったのだろう……。
しばらく解読に集中していたルシカは、ふいに
「あぶない、あぶない、っと。また自分の
「――それは放って置けない冗談だぞ、ルシカ」
「あちゃっ、タイミング良すぎ」
独白を聞かれた宮廷魔導士はペロッと舌を出し、肩をすくめて振り返った。周囲の文官たちも慌てて立ち上がり、姿勢を正す。
閲覧室の扉から入ってきたのは、王弟であるテロンだったのだ。厳しく口元を引き結んでみせているが、目は穏やかに微笑みながら愛妻を睨んでいる。周囲の視線を集め、慌てて手を掲げる。
「あ、いや、みなを邪魔するつもりはなかったのだ。続けてくれ。ただ、休憩にどうかと思い、ホールに食事を用意させてあるから」
「まあ! ありがとう、テロン。――みなさん、手が空いたひとから順に休憩をとってね」
言ってルシカは立ち上がり、重厚そうな長机を回り込んでテロンに駆け寄った。
「ル~シカ。大変そうね、わたし古代文字が読めないからお手伝いはできないけど、肩くらいなら揉めるよ」
廊下からひょっこりと顔を突き出し、悪戯っぽく声をあげたのはリーファだ。ティアヌもにこにこ笑いながら、その後ろから現れた。
「どれどれ――僕もあとから手伝いますよ。
「では、ルシカ様。新しい魔晶石を用意しますから、その間に休んできてください」
文官のひとりが気を利かせてくれ、その心遣いにルシカは頷いた。
「ありがとう、ではちょっと席を外します」
図書館棟に入ってすぐのホールには、普段は長椅子がいくつも並べられ、壁には幾枚もの世界地図が貼られている。
奥に受付カウンター、さらに奥が閲覧室となっている。蔵書を並べられているのは、その一階から上の部分――二階から五階であり、全体が塔の中央を貫く巨大な螺旋状の書棚となっているのであった。
ルシカの直接管理下にある地下の『
王宮と同じく、およそ千年前の産物である。
そのホールの長椅子が片づけられ、卓が並べられ、今宵だけはささやかなパーティが開けるように整えられている。
「うわぁ、いつの間に!」
ルシカが驚いた声をあげた。その嬉しそうな表情を見て、テーブルに並べた料理の配置を確認していたマルムが幸せそうな笑顔になる。王宮の厨房を預かり、ルシカが両親を失って王宮を離れる前の、幼少の頃を知る数少ない人物のひとりだ。
「神聖な知識の塔でこのような場を設けさせていただきましたこと、今夜だけは特別にお許しくださいませ。まさかこんな喜ばしい祭りの日に、一番の功労者であらせられるルシカ様に、わたくしの腕を振るった自慢のタルトを逃していただくわけには参りませんでしたので」
マルムが言葉の終わりと同時に差し出した焼き菓子に、ルシカが目をきらきらと輝かせた。大好物のピナアをたっぷり使ったタルトだったからだ。
「うわぁ、マルム、ありがとう!」
満面の笑顔のルシカに手を握られ飛び跳ねられ、コック長の
「――ピナアの実って、
朴念仁のティアヌが見当違いの解釈をして、隣のリーファに肘で小突かれていた。
「ティアヌは、どうせわたしの好きな食べ物なんて知らないわよね」
ふんっ、と横を向くリーファだったが、「サクラの花が好きでしたよね、その実も合わせて」とさらりと答えられてしまい、
ルシカは幸せそうにタルトを頬張り、ぼぅっと立ち尽くしてしまったリーファにもさかんに勧めるのであった。
その様子を微笑みながら眺めるテロンの傍に、ティアヌが歩み寄っていた。
「王弟殿下、今日の祭りは大成功だったみたいですね。街を吹きぬけた風の精霊たちも笑い声をたくさん運んでいましたよ」
「ただのテロンで呼んでくれ。ティアヌに呼ばれるとこそばゆい」
テロンが困ったように片眉を上げて苦笑し、かつて共に戦ったエルフ族の青年に向き直った。
一年経ったくらいでは、長寿の種族ということもあり外見はあまり変わってみえないティアヌも、ずいぶんと成長した印象の、自信にあふれた顔つきに変わっていた。
「守る者がいる、落ち着いた目だな――いい目だ」
改めてティアヌと再会の握手を交わし、テロンが言った。その言葉を聞き、薄青色の瞳がにこやかに細められる。
「それはあなた様も同じみたいですね。互いに、その分苦労もあるでしょうけれど」
ふたりの男は訳知り顔でうんうんと頷き、皿とフォークを手にキャーキャーと騒いでいる女性ふたりに視線を向けた。
「――この一年、大陸を回っていたのか?」
「ええ。故郷に立ち寄ってからは、東回りで南の国をいくつか見てきました。いまだに戦乱の不穏な空気に満ちた国がありましたが。あぁ、この南隣の国では不思議な遺跡の話もいくつか聞きましたよ。興味ありませんか?」
「珍しいもの好きのティアヌだからな」
テロンは言い、嬉しそうに相好を崩した。
「その手の話なら、ルシカも一緒に聞きたそうだな。気になる遺跡なら、久方ぶりに一緒に冒険でも――と言いたいところなんだが」
口ごもったテロンに、ティアヌが心得顔で頷いた。
「昼間の騒ぎに関係していることですよね。ルシカが調べようとしていること――五宝物に関することですか」
「ああ。詳しく話すつもりでいた。この後どう動くかは決まっていないんだ。今は情報収集をしていて……」
そうしてテロンたちが語り合っていた頃、クルーガーは大変な目に遭遇していたのである。
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