歴史の宝珠 7-42 真実を見るもの

 柱が急速にしぼんでいくにつれ、周囲の空気が渦を巻きはじめた。突風にあおられたルエインがバランスを崩し、案じて視線を投げかけたハイラプラスと、ふたりの精神集中がわずかに乱れて島がグラリと傾いた。


「うわぁっ」


「きゃああぁぁ!」


 皆は転げ落ちないように必死で這いつくばった。斜めになった地面に堪え切れず、ずるずると滑り始めたトルテとフェリアの体を、爪を立てて素早く移動したスマイリーが支えた。


 トルテが手を滑らせたとき慌てて駆け出そうとしたはずみで……リューナのポケットから飛び出し、転がり落ちた物があった。


 キィン……。


 軽やかな音を立てて斜めになった地面に弾んだそれは――。


「『歴史の宝珠』!」


 リューナが叫び、トルテが目を見開いた。


 ハイラプラスが魔力を注ぎ込み、『浮揚島』の傾きを修正した。だが、リューナが宝珠を掴もうと手を伸ばしたときにはすでに遅く、間に合わなかった。


 オレンジ色に輝く球は、ますます激しくなる風にさらわれ、天高く吹き飛ばされた。


「どうしよう、リューナ!」


 トルテが手を伸ばすが、僅かに『遠隔操作テレキネシス』の効果範囲を越えていた。


 風に弄ばれながら、『歴史の宝珠』は徐々に崩れゆく光の柱の中心へと運ばれていく。


「リューナ、トルテ! 跳ぶんです!」


 きっぱりと言い切った声の主は、ハイラプラスだった。


「あんな距離、いくらリューナでも無理だよ! あれが何なのか知らないけど自殺行為だ――」


 ディアンが叫ぶように言った。


「――あれが、時を超えて俺たちをこの時代に運んできた装置なんだ」


 リューナの言葉に、トルテとハイラプラスを除く全員がハッと息を呑んだ。


 ハイラプラスが、珍しく怒鳴るような大声で、繰り返した。


「あれを失ったら取り返しが付きませんよ! スマイリーなら跳べます。さぁ、早く!」


 スマイリーが駆け寄り、トルテがリューナを振り返った。


 リューナは下を向いて痛いほどに唇を噛み締めたが、すぐに決然と顔を上げた。


「――俺は、ここに残るよ」


 トルテがオレンジ色の目をいっぱいに見開いた。リューナはその表情から目を離さず、決意を込めて頷いた。


「り、リューナ?」


「約束したんだ。人間族の王として、新天地でみんなが無事に移住して暮らしが落ち着くまで、俺はみんなを――民を導かなくてはならない」


 その言葉に、取り乱しかけていたトルテは自分の胸を押さえ、呼吸を鎮めた。目に涙を浮かべ、リューナの瞳を見つめる。口元が震え、微笑みを形作る。


「あたしとの約束は――きちんと守っていただけるのですか?」


「ああ……。必ず君のもとに帰るよ。先に戻って、待っていてくれないか」


 トルテは、リューナがそう言いだすのを感じていたのかもしれない。目にいっぱいの涙を溢れさせながらも、はっきりと頷いたからだ。


「リューナ……あたし、あなたが戻るのを、ずっとずっと待ってるね」


 リューナもまた涙がじわりと滲むのを感じたが、瞳にグッと力を込め、押さえ込んだ。


「――約束だ。トゥルーテ・ラ・ソサリアに誓う。俺、リューナ・トルエランは必ず君のもとに戻ると」


「……はい!」


 トルテは泣き笑いの顔でリューナに体をぶつけるように抱きつき、その首に腕を回した。ふたりの顔が近づき、互いの唇が押し付けられた。


 トルテの唇は涙で少ししょっぱく、そしてとても甘く、優しかった。


「さぁ、急いだほうがいい。長くは持たなさそうだ」


 ダルバトリエの励ますような声に、ふたりは顔を上げた。


 『歴史の宝珠』は光の本流に向かい、渦巻く風に小突かれ、吹き上げられ、ふらふらと宙を舞っていた。確実に、少しずつ中央へと引き寄せられている。まもなく崩れゆく光の本流に呑まれて消え失せてしまうだろう。


「さあ、行け、スマイリー! トルテを送ってやってくれ」


 リューナの声に『月狼王』はトルテを傷つけないようそっと咥え、全身をバネに変えたように、かつてないほど見事な跳躍をしてみせた。


 集中を続けながらハイラプラスが腕を伸ばし、宝珠の『小型化ダウンサイジング』を解除する。


 『月狼王』はトルテをきっちりと『歴史の宝珠』――装置の椅子の上に乗せた。そのまま、自分は渦の中心へ向かって落ちていく……。


 トルテが転がり落ちそうになりながらも座席に掴まり、パネルを叩いた。光が装置を包み込む瞬間、振り向き、リューナとトルテの視線が一瞬交わった。


 そして。


 バジュウゥゥゥンッ……。


 装置は魔導の光の残滓を残し、宙に消えた。術者との繋がりが途切れ、『月狼王』――スマイリーの体が赤く輝く光の粒となって分解し、本流に呑まれる前に幻精界へ戻っていった。


「ありがとな、スマイリー」


 もう届かないかもしれないが、感謝を込めてリューナはつぶやいた。


 ハイラプラスは足元の魔法陣に手をついた。制御を強め、島を高く上昇させ移動を開始させた。


 『浮揚島』は、眼下で本流に呑み込まれていく大陸の上を飛び、次元の亀裂が閉じる影響範囲から離れ、難を逃れた。大陸を全て呑み込んだタイミングで亀裂は完全に塞がれ、バシンという激しい衝撃が時空を震わせた。


 リューナ、ハイラプラス、ディアン、ダルバトリエ、フェリア、そしてルエインを乗せた『浮揚島』は飛び続けた。


 やがて、トリストラーニャ大陸北部の海上、今はすでに無いミッドファルース大陸と繋がっていた名残であるクリストア列島の最北端に、たどり着いたのである。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る