歴史の宝珠 エピローグ1 皆へ繋がる物語
トルテは腕を動かし、指先を空に向けた。
ふわふわと
ソサリアの『千年王宮』、その北の庭園の入り口に残る白い石造りのテラスに腰掛け、トルテはまぶしそうにオレンジ色の目を細めて空を眺めている。
傍に誰かが立った気配を感じて、トルテはゆっくりと視線を向けた。
「トルテ、少し、いいかい?」
「……テロンとうさま……」
いつの間にか、腰掛けていた石の柱の跡の傍に、父親であり王弟であるテロンが立っていた。長身で引き締まった体格の父親は、いつもと変わらない優しい微笑みを浮かべている。
「テロンとうさま……ごめんなさい、心配かけて。それに、あの時代にリューナを残してきてしまったの。彼の気持ちがとてもよくわかったので、あたし、無理に一緒にって言えなくて――」
テロンは、娘のトルテと並ぶように自分も座った。うなだれてしまった娘の背中をそっと撫で、静かに口を開いた。
「そのことについては何も言わなくていい。――彼の選択は正しかったと、とうさんも思っている。ひとは生きている限り常に選択を迫られる。彼は自分の心に背くことなく、覚悟を決めて立ち向かい、選んだのだ」
トルテが小さく頷く。テロンは言葉を続けた。
「そしておまえは、それを受け入れた。信じたんだろう? 彼の選択を」
「……うん」
「ならば、それがきっと一番良かったんだ。それに、約束したのなら、真っ直ぐに、彼を信じてあげなさい」
「うん」
ぽたりと涙の粒を落とした娘の頭を、テロンはそっと抱き寄せた。トルテはあたたかい父の胸で、少しだけ泣いた。
「そういえば、かあさんはおまえのことを想って、心配してずっと泣いていたんだよ。毎晩、慰めるのはとても大変だったんだ」
「えっ――ルシカかあさまが?」
トルテは弾かれたように顔をあげ、目を丸くした。思わず父親の青い瞳を見つめる。父テロンは冗談を言う人物ではない。
――戻ってきたとき、トルテは気を失っていた。目を開いたとき周りに大人たちがいてとても驚いたものだ。昨日のことである。
母であるルシカが、トルテが戻ってくるタイミングを感じていたらしく、テロンと、リューナの両親と一緒に待っていたのだ。その場にはクルーガー陛下もいた。――そういえば、今日は朝から伯父の姿を見ていないが。
ルシカは、リューナとトルテの姿が見えなくなったときすぐに、この世界の何処にも気配がないことに気づいたという。それでも、心配ないと事も無げに言い、にこにこ笑って心配するそぶりすら見せなかったらしい。
「ふたりは必ず戻ってきますから、心配いりません。待っていましょう」
ルシカは類稀なる『万色』の力を持つ魔導士だ。祖父の『時空間』の大魔導士の力をも受け継いでいる、と国中が認識している。つまり、
王宮では、そのおかげかたいした騒ぎにもならず、不要な憶測が飛んで混乱することも無かった。
本来なら、王位継承権を持つ者が行方不明になるということは、国が引っくり返るほどの大事件だ。……もしそうなっていたら、一日経った今も騒ぎが収まることなく、このようにゆっくり過ごせることはなかったに違いない。
「ルシカかあさまって、強いんですね……」
トルテが思わず言うと、テロンは首を振って応えた。
「いや……強いわけではないよ。ルシカはいつも、自分ができる以上に頑張って、背伸びをして……当たり前のように振舞ってきた。強いわけではない、強く見せているだけなんだ」
テロンは娘の髪を撫でながら言葉を続けた。
「それは、優しさなんだ……周囲にいる人々に向けた、彼女なりの精一杯の優しさだ。おまえのかあさんは、決して心配していなかったわけではない、自分の言葉通り、安心して待っていたわけではない……。本当の気持ちを、俺にだけは許してくれる」
トルテは父を見上げた。そっと微笑みながらはっきりと言葉にする。
「――とうさまは、本当にルシカかあさまを愛しているんですね」
「う……、う、ああ、その通りなんだが」
テロンは顔を赤くして頬をかいた。話がちょっとずれたようだ、とつぶやきながらコホンと咳払いをする。
「何が言いたかったかというとだな……。リューナがおまえに本音で言ったことは、信じる価値があるということだ。……彼は決して真に強いわけではない。そんな人間は世界のどこにも居ないさ」
テロンは言葉を切り、ちょっと笑った。そして真剣な表情で娘を見つめ、言葉を続けた。
「彼が、おまえに自分の気持ちを真っ直ぐに向けたのなら、おまえはそれを受け止めるだけでいい。信じてあげなさい、約束を。何も――迷うことはない」
トルテは、母親似であるオレンジ色の瞳を輝かせ、父親から受け継いだクセのない真っ直ぐな金色の髪を揺らして立ち上がった。
「ありがとう、テロンとうさま」
トルテは駆け出した。それを見送り、テロンは微笑んだ。
トルテは、庭園が現存している一番端――かつて庭園が完全だったとき、中央にあった広場にたどり着いた。
「ここは、あたしたちの約束をした場所……」
はるか過去から
トルテにとっては数日前だ。けれど、とてもとても遠く感じる。目の前にある緑に半ば埋もれた石碑、色がくすんだ敷石が、長い年月の隔たりを語っていた。
「リューナ……あたし、待っています。きっと帰ってくるって」
声は、石碑の広場に静かに響いた。
「……約束、ですもんね……」
トルテは言い、ゆっくりと微笑んだ。耳に鳥たちのさえずりが戻り、さらさらと木の葉が揺れた。優しい陽ざしが射し込んで光が踊り、くすんでいた敷石が微かに煌いた。
ふと、何か聞こえたような気がして、結い上げたツインテールを揺らしながらトルテは広場を見回した。
「……誰もいないよね。気のせいかな」
揺れる瞳に目を伏せ、トルテは踵を返した。もと来た道へ戻ろうして……ふと、その足が止まる。
背後に、光があふれたような気がした。ひとの気配を感じる。
次の瞬間、呼びかけられたのは――。
「トルテ」
――待っていた声だった。
トルテの目に、涙が溢れる。……振り返り、夢中で駆けた。
ドン、とぶつかるようにして相手の胸に腕を回す。首には、届かなかった。驚いたトルテは顔を上げ、相手の顔を見上げようとした。
同時に、ぎゅっと抱きしめられる。
「逢いたかったよ――トルテ……」
「……リューナ……」
トルテは、自分が一瞬縮んでしまったのかと思った。それは違う――相手が成長したのだ、と気づく。
「間違いなく、リューナですよね……?」
「ひどいな――俺じゃなきゃ、誰だというんだ?」
微笑みながら、こちらを覗き込むように真っ直ぐ見つめてくる瞳は、深海の蒼の色。黒い髪が、さらりと流れた。ずいぶんとおとなびた眼差し、落ち着いた声。頬を包み込む手は、まるで父のように大きかった。
トルテの両の瞳から涙がこぼれ落ち、頬に触れていた青年の手を濡らした。その手はトルテの涙の雫をそっと拭った。
「――なんだかトルテ、小さくなった?」
冗談めかして言われた言葉に、トルテは目の前にある胸にこぶしを当てた。
「もうっ! リューナだけ大きくなっちゃって。そんなに、時間が――」
「ごめん、トルテ。もっと早く戻りたかったんだけど、なかなか落ち着かなくて、気づいたら二年も経ってしまっていたんだ」
リューナは腕に力を込め、トルテの髪を何度も撫でた。
「――その代わり、きちんと皆が暮らせるようにいろいろ整えてきた。トルテに話したいこともたくさんあるんだ」
「リューナ、頑張ってきたんですね」
トルテはゆっくり息を吐き、ようやく微笑むことができた。
「あぁ、リューナ、おかえりなさい――」
「――ただいま、トルテ」
ふたりは見つめ合い、やがてどちらともなく笑い出した。
「それにしてもすごい衣装ですね、リューナ」
「ああ、これか。王の衣、正装なんだぜ。ゴテゴテしたのは苦手だから、これでもできるだけシンプルなものを選んだんだけど……もしかして、変かな?」
両腕を広げ、心配そうに眉を寄せる青年に、トルテは吹き出してしまう。途端に青年の表情が曇る。慌てて「違う、違う」と首を振りながらトルテは微笑んだ。
「とてもよく似合っています、リューナ。堂々としていて、王様みたい――あ、じゃなくて、正真正銘の王だったんですよね」
「うーん。まぁ、正確にはさ、王国はもうなくなったんだよ。俺があの時代を離れる直前に、グローヴァー王国の構造を改革したんだ。全員が同意の上だよ」
「ハイラプラスさんも、ディアンも?」
「うん。ダルバトリエも、フェリアさんもね。みんな元気だよ――あ、いや、元気だったよ、か」
「それにしてもすごいです。じゃあ、リューナはずっとこの石碑の中に居たんですか?」
「――ディアンの『封印』の魔導の力だよ。トルテが発する『約束』と『待っています』という言葉を、封印を解くキーワードにしたんだ」
「ええっ」
トルテは思わず口に手を当てた。
「じゃあ、あたしがその言葉をここで言わなかったら、どうなっていたんです?」
「実は――」
リューナはニヤリと悪戯っぽく笑った。その表情は、トルテの記憶にある二年前のリューナと同じである。
「俺たちは現代にも続いている『新暦』――つまり
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