歴史の宝珠 7-21 タラティオヌの飛翔王

 都市の夜空は、星が見えにくくなるほどに明るいものだった。


 なんとなく眠れないリューナは、王宮の回廊の外にある細長いバルコニーに出ていた。そこからだと、昼間騒ぎがあった広場全体が見渡せる。屋外ステージはすでに片づけられ、広々とした草原となっている広場は、不自然なくらいに静まり返っていた。


 だが、視線を広場の向こうに動かすと、延々と続く道路の先には明るい光が数多あまたあり、たくさんの灯りがきらびやかな地上の星となって、夜をまるで昼間のように照らしているのであった。


「大陸どこでも、こんな大都市があって、夜空を見えなくしているのかなぁ……」


 リューナはつぶやいた。自分がこの場所にいることが夢の中の出来事なのかと思うこともあるが、肌に当たる夜風も、昼間うっかりスマイリーに引っかかれた傷も、全てが現実のものだ。


「……いつ帰れるのやら」


「どこへ帰るの?」


 リューナのため息混じりの独り言に、応える声があった。振り返ると、回廊の屋根を支える柱のひとつから、リューナと同じほどの背丈の人影がバルコニーに出てきたところだった。


「よう、ディアン。おまえも眠れないのか?」


 リューナが訊くと、ディアンは困ったような微笑みを浮かべて歩み寄ってきた。


「うん、君には正直に言うけど、やっぱり怖くてね。ここの警備は万全だと、ハイラプラス殿の助手のひとは言ってくれたけれど……それでもいつ僕を迎えにくるかわからなくて」


「まあ、話を聞く限り常識もなさそうな連中みたいだったもんな。けど、堂々とこの建物を襲えば国際問題に発展するんだろ? あ、国際問題っていう言い方は変かな。同じ王国内なんだし」


「言いたいことはわかるよ。自治エリア同士の内乱にでも発展したら、いまの王国は分断されてしまう可能性があるからね」


 ディアンは、同世代には似つかわしくないほどの疲れた表情で言った。


「長く平和が続いたから、ほころびが生じて、どんどんほつれていって……なんだかそんな感じがする。僕は古い本や文献でしか当時を知らないけれど、ずっと昔の人たちのほうが、いきいきと日々の生活を送っていたように思うよ」


「便利すぎる世の中、だからかな」


「魔導の力を自分自身で操ることができるものが少なくなっている、ということも含めてね。荒廃していった経緯には、原因があるんだけど……」


 リューナは、都市の周囲をぐるりと取り囲むようにそびえている、雲までも届く高層建築の白い影を見回した。最初に降り立った場所から見えたものと同じ塔が、この都市にも存在していた。同じく、五本ある。


「あの塔のことを『監視塔』って呼んでたよな。魔導の力を使ったときにあそこで感知され、記録されていくのか?」


「うん。千二百年ほど昔に、ちょっと大きなクーデターがあってね。たくさんの死者を出したんだ……。そのときに、厳しく監視せよという動きが出て、ついに法として制定された。当時最先端の技術を結集して作られたそうだよ」


 ディアンはそこまで自然に会話をしていたが、ここで真っ直ぐにリューナに向き直った。


「ねぇ、リューナ。昼間のあのり取りのこと、僕なりに考えてみたんだけど」


 言葉を切り、わずかに逡巡したが、口を開いて言葉を続けた。


「もしかして、リューナとトルテは、この世界のひとじゃないのかなって。世界というか――時代、かな?」


 リューナは足もとに視線を落とし、やがて目を上げて友人の瞳を見た。透きとおった赤い瞳が優しげに細められ、魔法によって灯された白い光に照らされている。


「――ここより未来、二千年は経過している時代から来たんだ、俺とトルテは」


「そっかぁ……」


 ディアンは息を吐きながら言葉を紡いだ。なんだか、ほっとしたような表情だった。


「ありがとう、リューナ、答えてくれて。昼間の遣り取りから、僕なりにあれこれいろいろ考えをめぐらせていたんだけど、これですっきりした気がするよ。……少なくとも二千年後では、僕たちの文明は終焉を迎えたあとだってことだよね」


「……ああ。でも、具体的にいつどんなことが起こったとか、そういうのが残っていないから、詳しいことはわからないんだ。俺たちの時代では、失われた歴史の鎖の輪って呼ばれている時代なんだ、ここは」


失われた鎖の輪ミッシングリンク……」


 ディアンは目を伏せ、考えこんだ。


 リューナは、言えない言葉を呑み込むのに必死だった。――自分のいる時代には、この『ミッドファルース大陸』が存在していないことを。


 ――言うべきなのか? でも、それが歴史の介入となって未来が変わることになったら、自分たちの存在はどうなるんだろう。世界のありようが変化するのか。それとも、自分がここに来て何か行動を起こしたからこそ、未来が今の俺たちの未来に繋がったのだろうか。


 だが、大陸ひとつがなくなるような事態だ。目の前に立つ、自分と同じほどの歳の少年に話すべきことなのだろうか。きっと自分がディアンの立場だったら――。


 リューナはぎゅっと目を閉じた。そして、意を決してゆっくりと口を開きかけたときだった。


「リューナ!」


 空を見上げたディアンが緊迫したように小声で呼びかけてきた。ハッと、リューナも遅ればせながら気配に気づき、夜空を見上げた。ふたりの顔が驚きに歪み、次いで緊張のために引きしめられた。


「――信じられない。ここに強襲をかけるというのかッ!」


 叫んだリューナの視線が捉えたのは、魔導の力で転移してきたらしい人影が夜空に次々と浮かび上がってくる光景であった。すでにひと目で数えられる数を遥かに凌駕している。地上からの灯りに照らされた純白の翼が、まるで綿を散らしたときのように夜空を埋め尽くしていた。


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