歴史の宝珠 7-10 時のヴェールを越えて

「わたしの名は知っている……ふむ。まあ、いいです。そんな瑣末なことを気にしている場合ではないでしょう。あなたが背負っている女の子、きちんと休ませてあげないと危ないですよ」


 心配そうな表情ではあるが淡々と告げられたその言葉に、リューナは今度こそ驚いた表情を隠せなかった。


「どういうことだ、危ないって……!」


「生命を維持するラインぎりぎりまで魔力を使い果たしていますね。早くきちんと休息を取らせてあげないと、取り返しのつかないことになります」


「なっ?」


 リューナは思わず肩越しに振り返った。トルテの顔が視界の隅に入るが、そのまぶたは苦しそうに伏せられたままだ。


「トルテ!」


 リューナの声に、トルテがぴくりと反応した。目を開き、ゆっくりと瞳を上げる。


 ハッと息を呑んだ気配を感じ、リューナは思わず目の前に立つ男の顔を見た。――相手の顔を直視し、なつかしさを感じた理由を理解した。トルテと瞳の色が同じなのだ。相手もそのことに気づいたのだろう。


 ――昇りたての太陽のような、透き通ったオレンジ色の瞳。稀有な色彩。


 ハイラプラスは意を決したように迷いのない様子でリューナたちに歩み寄り、高い背をかがめるようにしてトルテに視線を合わせた。


「なっ、おまえ、なにを――」


「危害は加えませんと言ったはずです」


 ハイラプラスがリューナに向けて鋭く言った。静かだが、有無を言わさぬ口調でリューナの発言を封じ込めた。上に立って人に命令を下す立場にある人間が持つ能力のような。


 リューナは悔しさのあまり唇を噛んだが、それ以上は何も言わなかった。


「何をしていたのかは知りませんが、あまり無茶をするものではないですよ、お嬢さん。応急的な処置になりますが、今よりは楽になるはずです」


 ハイラプラスはトルテに手を差し出した。トルテは迷いながらも頷いた。ハイラプラスの指がわずかに動き、周囲に魔法陣が現れた。突然のことだったのでリューナは驚いたが、トルテは僅かに視線を動かしただけだった。


 優しい魔導の輝き――緑に輝く魔法陣は、すぐに細かな粒状の光になり、トルテの体を包み込んで消えた。


「心配しなくてもいいです。魔力を分け与えただけですよ。気休め程度ですから、今すぐきちんと休息する必要があることに変わりありませんが」


「このひとの言葉に嘘はないです、リューナ」


 背中から、いくぶんしっかりしたトルテの声が聞こえてきた。リューナがほっと安堵のため息をつく。


 その様子を見ていたハイラプラスは、目を細めて穏やかに微笑み、言った。


「あなたたちには『魔導識別コード』がありません。市民番号みたいなものですが、それが必要なさそうなのはなんとなくですが理解できました。ただ、それでも疑問はまだ幾つも残ったままですが」


 リューナには何と応えて良いのかわからなかった。


 ハイラプラスと名乗る者が目の前にいるということは、やはりここは過去の世界なのかもしれない。『歴史の宝珠』が見せている幻影でないとしたら、時間の流れをさかのぼり、この場所に到達したということになるのだろうか。


 リューナが頭の中で考えをまとめているうちに、トルテが口を開いた。


「ここは過去の世界なのですか? リューナ」


 そのものズバリ、トルテは疑問を口にした。


 リューナは思わず目の前に立つ男に目を向けた。


 ハイラプラスは口元から微笑みを消さないまま、くるりと背中を向け、肩越しにふたりを振り返った。


「君たちが踏んでいる魔法陣は一方通行です。屋上に戻るほうは、こちらの魔法陣になりますから」


 言いながら歩き出し、少し離れた別の魔法陣の前で立ち止まった。足元の輝きは青、ちなみに、リューナたちの足元の魔法陣は白だった。


「一緒にいらっしゃい。ふたりがここへ来た手段が、上に残されているのでしょう? 見せてもらいますよ」


 言い終えるが早いかハイラプラスは魔法陣を踏み、すぐにその姿を消した。


「ちょっと待て!」


 リューナが声をあげたが、遅かった。


 男を追わないわけにはいかなかった。もし装置を壊されてしまったら、と思うと心配になる。この状況が、装置が見せている幻影だったとしても、本当に時間を飛び越えてここに到達してしまったのだとしても、その装置を壊されてしまったら何が起こるのか予想がつかないのだ。


「トルテ、行くぞ」


 背中に掴まっている少女に声をかけ、リューナはハイラプラスを追って青の魔法陣に飛び込んだ。転移の魔法陣を踏むと一瞬で視界が切り替わり、すぐ目の前にハイラプラスの背中があった。


「うわっ、おっさん、何やってんだよ」


 思わず声を上げたリューナだったが、相手の反応はなかった。突っ立ったまま、ハイラプラスは凝視していた――『歴史の宝珠』を。


「なるほど……ふふ、そういうことなのですね。信じられませんが、これで、あらゆる可能性の中から考えても、事実としてこの考えが正しいのだと判断できました」


 額に手を当て、顔を伏せたハイラプラスは、ひとつ大きく呼吸をして顔を上げた。リューナとトルテに向き直り、はっきりと言った。


「君たちは未来から来たというわけですね。私がこれから完成させることになる、この『時間移動タイムトラベル装置エキップメント』で」


 今度はリューナとトルテが息を呑む番だった。


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