白き闇からの誘い 6-13 封印されし魔導

 白き光を纏った人影は、テロンたちより奥に進んだ階段の中途にたたずんでいた。


 幅の広い段は緩やかな傾斜となって通廊となり、段の表面は鏡のように左右に続く燭台の光を映している。それらのほの暗い光の存在を消し去るほどに、人影は強く膨大でまばゆい光を放っていた。


 ひとの形を成していながら、この世界に住まう五種族――人間族、竜人族、飛翔族、魔人族、エルフ族――そのどれにも属さない気配は、まるで光そのもののように自由でよどんだところのない、ひとつとは数え切れぬ何かの集合体であるとも感じさせた。魔導士でもないテロンにさえも感じられる、これほどまでに濃い魔導のれ物となりうる肉体など、通常は存在しないはずであった。


 あまりの光の強さにテロンたちは腕をかざし、眼を細くせばめた。さきほどルシカが悲鳴をあげたのは、余りに濃い魔導の輝きに瞳を射られたせいだろうとテロンは思った。太陽を直視したようなものだ。


 そんな人間たちの様子を相手が思いってくれたのか、放たれていた光量がぐっと弱められた。おかげで、その姿かたちがよく見えるようになった。


 背は高く、人間族のなかでも長身のテロンと並ぶほど。肌は抜けるように白く、この世のものとは思えないほど左右対称に整った美しい顔立ちである。光を透かしたような水宝玉アクアマリン色の瞳を持つ眼球は大きく、鼻筋は真っ直ぐだがそれほど高くはない。


 まるで薄く彫り付けられた美しい壁面彫刻のようだ。性別は見定めようと注視するほどにわからなくなったが、最初に受けた印象では青年だろうと思われた。浮かべている微笑は静かで揺るぎなく、聖人のように穏やかな眼差しをしている。


「ようこそ。――我らはそなたらを待っていた」


 そのものは言った。だが、その薄い唇はわずかも動いてはいない。さらさらと鳴るのは、そのものが身に着けているたっぷりとしたドレープのある純白の衣服だ。頭巾フードもついている丈の長いそのローブには、金属のような光沢の糸を使って全体に細かな刺繍を施してある。


「……ようこそ……?」


 テロンは戸惑い、体術の構えを緩めた。相手からは悪意も敵意も感じられない。どちらかというと友好的な印象さえ受ける。


 クルーガーが剣の柄を握っていた手を戻して背筋を伸ばし、低く落ち着いた声で問うた。


「あなたがここのあるじであるのか」


「そうではない。だが、創造主は我らの先祖である。我らは先祖が魂を解き放ちここを去ったあと、なおここにとどまっているに過ぎぬ。我らの名はフラウアシュノール。の名はエトワである」


 耳慣れない古風な言い回し、心に響くほがらかな音を伴わない声で、白きものは語った。目を細めてクルーガーに向けていた視線をゆっくりと動かし、彼の背後に向ける。その眼の動きを追って後方を振り返ったテロンは、そこにルシカの姿を見た。


 クルーガーの背の後ろから、ルシカが歩み出ていた。オレンジ色の瞳の内に魔導の白い輝きを宿し、恐れ気のない真っ直ぐな眼差しで、緊張のために頬を僅かに強張らせて。


「……『夢見る彷徨人フラウアシュノール』……」


 囁くような声で、ルシカがつぶやいた。その言葉にテロンは聞き覚えがあった。記憶をたどり、ハッと顔をあげる。いつか図書館棟で、幻精界に住まう様々な種族についての調べごとをしていたときだ。何故その文献を紐解いたのか、きっかけまでは忘れてしまったが。


「幻精界の最上位種であるあなたがたに、この現生げんしょう界でお逢いできるとは……驚きました」


「ようこそ、あかつきの瞳をもつ人間族の娘よ。そなたは我らのことをよく知っているようだ」


 エトワと名乗った白きものは、左手を横にゆっくりと伸ばして円を描くように胸に当て、うやうやしくこうべを垂れた。どこかの宮廷作法にあるような、なんとも典雅な動きであった。応えるように、ルシカも膝を曲げて優雅な礼を返す。


 エトワは視線の先をルシカの横に移動させた。


「そして――そなたが、いまソサリアと呼ばれている集合体を統べる長なのだな」


「ソサリア王国を統治している王だ。我が名はクルーガー・ナル・ソサリア。こちらの者は弟のテロン・トル・ソサリアという。王宮を建設した者が、よもや違う世界の住人とは思わなかった」


 警戒と緊張を微笑に変えて、クルーガーが白きものに歩み寄り、手を差し伸べた。エトワは戸惑うことなく、差し出された右手を握り返した。


「いやはや。何とも驚くべきことじゃ」


 かくしゃくと段を下り、降りてきた老人が声をあげる。グリマイフロウ老だ。


「王宮を建造した技術は、まこと素晴らしいものじゃ。わしら設計に携わる者や、建設者として現場で働く者たちはみな、その奇跡のような技術に羨望と憧れをいだいておる」


 にこにこと警戒のかけらもない笑顔を浮かべ、白きものを見つめる眼差しには、言葉通りの憧れのいろがはっきりと現れている。その言葉にテロンもここへ来た目的のひとつを思い出し、エトワに向き直って口を開いた。


「俺たちは、その技術を学びたくてここに来たんだ」


「理解している。『透視クレアボヤンス』のような魔法を使い、我らはそなたらの住まう街の様子を眺めることもある。我らは本来、好奇心が強い種族でもあるのだ。――クルーガーといったな、そなたとそなたの父の御世は平和に保たれ続けていること、その手腕と心意気に、我らは感服している」


 思いもかけない言葉に、クルーガーが言葉を失った。だがすぐに立ち直り、嬉しそうに礼を言った。


「そう言っていただけるとは嬉しい。俺はこの命の続く限り、変わらぬ平和が永久とわに続くよう尽力するつもりだ」


「あの……それからもうひとつ、ここに来た目的があるんです」


 おずおずとルシカが口を開いた。握りこんだ手を胸に押し当て、心配に見開いた大きな瞳を揺らしている。


「あたしたちの国の、海側の隣国であるラムダーク王国の船が一隻、この付近の海域で行方知れずになってしまったんです。あたしたちはその船に乗っていたひとたちの捜索と救出のためもあり、ここまで来たのです……何かご存知ありませんか?」


「ここへ通じる水路の手前で、船の破片らしき木片が波間に浮かんでいるのを見たんだ」


 テロンも言葉を足し、真剣な眼差しをエトワに向けた。


「それならば安心するがよい」


 エトワは優美なラインを描く眉を上げ、相手を安心させるような微笑みを浮かべた。しなやかな腕を動かして頭巾フードを背に落とすと、まるで月の光を紡いで糸にしたような髪が肩上に流れた。


「太陽の巡りのみっつと半ほど前に、帆船が流れ着いた。島の外壁にへばりついていたので、我らが水路へ導いたのだ。船の損傷は激しかったが、沈んではおらぬ」


「無事……なのね。良かった」


 ルシカがホッと胸を撫で下ろす。安堵のあまり揺れる肩を抱くようにして、テロンはエトワに尋ねた。


「いま、その船は何処に?」


 白きものは口の端を緩め、水色に透き通る瞳をテロンに向けて答えた。


「そなたらを導いた場所から東隣の入り江に停泊している。我らが彼らの前に姿を現すことはない。それに、いずれそなたたちが来るであろうと予測していた。ここは我らの領域だ。島にたどりついた時点から、死人は増えておらぬ。急ぐことはないはず、あとで場所を教えよう」


「姿を現してはいけない理由でもあるのか?」


 クルーガーの疑問に、エトワがおごそかに言葉を続ける。


「それが、我らの定めであるがゆえに」





「もっと火薬を持ってこい」


 凛然と言い放つ声が、青と白の空間に響き渡った。その声に応えて走り寄る屈強そうな影がふたつ。腕にひどく重そうな黒いものを抱えている。その者たちは壁面につけられた割れ目に取り付き、しきりに何かを突っ込み、固定し、蓋をする。


 白砂の地面に剣を突き立て、柄を握りしめるようにして背筋を伸ばしたのは、動きやすい革鎧を着込んだ青年。額にかかる琥珀色の髪を掻きあげ、緑の瞳を油断なく周囲に向けている。手にしている剣の刀身はうっすらと赤く輝き、魔法的な力を付与された品であることを証していた。


「用意はできたか」


 尋ねる風ではなく、肯定を促すように青年が訊いた。


「しかし、我が君――イルドラーツェン王太子」


 呼ばれて、青年が振り返る。屈強そうな体格をした兵士たちは横に並び、うずくまるように大きな体を可能な限り低くした。仕えている相手に対して異を唱えることに気が進まないという様子で、ひざまずきながらひとりが言った。


「もう残り少なく、貴重な火薬です。それに、ここらの柱や壁には何やら強固な護りのまじないがかかっていると、魔法にいくらか詳しい者が申しております。物理的な損傷を与える火薬のようなものでは、壁をくだき穴を通すことは叶わぬかと」


「だから、わざわざこうしてこの剣で壁に割れ目をつけたのではないか。魔法陣というものは、一部を断ち切れば全体が消失するものだ。もはやここの護りのまじないとやらはその役目を終えているはずだろ」


 聞きようによっては気楽とも思える口調で、青年は断言した。部下を見やり、言葉を続ける。


「どの道、出航できなければ火薬など無用の長物。外の魔獣をぶちのめし、ミストーナの港まで無事行き着くために必要というのだろうが、とりあえず船を修繕するための材を探すことが先決なのだ」


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