白き闇からの誘い 6-14 封印されし魔導

 きっぱりと言い切られてしまっては、部下の者にはこれ以上反対できるはずもなかった。


「もう反論するものはいないか? いないな。ではおまえら、よく見ておけ」


 青年は胸の隠しから小さなはこをひとつ取り出した。魔法にあまり馴染みのない国柄とはいえ、便利なものは迷わず使う。それはそれ、これはこれというようにすっぱりと割り切った考えなのが、島国が持つしたたかさの理由のひとつであった。


 はこのなかから指先につまみあげられた小石は、『発火石』と呼ばれる魔法の品だ。旅の空の下ではき火を熾したり、毎日の煮炊きの火種にすることもある。主に貿易相手国であるソサリア王国から持ち込まれるものだ。


 青年は後ろに下がって壁から距離を開け、小石を握りこんだ手を振り上げた――。





 テロンは戸惑ったように青い瞳を見開き、目の前の白きものを見つめた。


「どうして姿を現してはいけない? 俺たちとはこうして逢っているのに。もしかして魔法を信じない者たちと幻精界の住人が出会うことが禁忌であるとか――」


 エトワは瞳を微笑ませた。そうではない、と首を振る。


「もしかして、あなたがたがこの世界に渡ったとき大勢の死者を出したことと、関係があるのですか?」


 テロンの横から、ルシカが訊いた。その問いの言葉に、読んでいた文献の内容がテロンの記憶のなかから少しずつ思い出される。


 文献には、かつて幻精界から渡ってきた種族がこの現生界に定住しようとして、とある場所に都を築いたと綴られていた。けれど環境に適応できず、数多くの犠牲を出してこの地を去ったというのだ。伝染病なのか、あるいは空気そのものが原因なのか、何故去らなければならなかったのか……そこまで書かれてはいなかった。


「我らはかつてメロニアと呼ばれた都の跡地に降り立ち、そこに定住するための場所を建造した」


 水宝玉アクアマリン色の瞳に悲しみを宿して、遠くを見つめる目つきでエトワは語った。


「我らは『夢見る彷徨人フラウアシュノール』と呼ばれている、定住の地を求める流浪の民。けれど我らは、そのような放浪の暮らしにみ疲れていたのだ……」


「あのような素晴らしい技術を持ちながら、放浪していたじゃと?」


 グリマイフロウ老が口を挟む。


「我らの技術は、安寧と知恵の産物。定住の地を求める為に特化されたものにあらず。だが、ようやく適した場所を見つけたと思った。当時あの場所は遺跡と化し、打ち捨てられた土地であった。なかば森に埋没し、なかば河と海の流れに沈んだ状態であったのだ」


「そこに王宮なる建物を造ったけれど、住むことは叶わなかった……?」


 テロンは、エトワが浮かべていた表情のなかに秘められた、想像を超えるほどに深い悲しみを見て取った。


「……我らが世界に適応できないのは、魔力マナの濃度なのだ」


 エトワは震えそうになる唇を励ますように顎に力を込め、語り続けた。


「かつて魔導の力で現生げんしょう界の全土を統べていたグローヴァー魔法王国の都が存在していた場所には、多くの魔導の残滓が残されていた。我らの技術があれば、その魔力を掻き集めて充分に濃いものとし、安らぎと願いに満ちた永遠の都として叶うはずであった」


「それがいまの『千年王宮』だというのか……」


 クルーガーがつぶやくように言い、様々な思いに揺れる青い瞳をエトワに向けた。


「――しかし我らは失敗した。定住するに充分な魔力を集めきれず、我らは結局諦めざるを得なかったのだ」


「それで、この魔の海域に移動したのですね」


 ルシカの言葉に、エトワは頷いた。が、すぐに首をゆるゆると横に振った。


「けれど、ここでも願いは叶わなかった。我らすべてを受け入れられるほどに濃くはなかったのだ。――願いと憧れをもつに至ったとき、我らは本来の世界での生活を続けることができなく名なった。ここにたどり着く前も、そしてたどり着いた後であっても、次々と同胞が死んだ。残っているものは、もういない。我らが最後の群れなのだ」


「ちょっと訊くが……『群れ』とは何なのだ。『我ら』というのもわからない。他の場所に仲間がいるのか?」


 クルーガーが疑問を口にする。その答えはテロンだって聞きたかったものだ。ルシカも身を乗り出さんばかりである。彼女にも答えられない疑問だったらしい。


「我らは本来、このような姿かたちではない。話せば長くなる……まずはそなたらを、そなたらが求める場所に案内したい」


 そのとき地面が揺れた。同時に凄まじい轟音が響き渡る。


「何だッ!?」


 一行は咄嗟に姿勢を低くした。周囲に視線を走らせたテロンは、まさかと思いエトワに眼を向けた。だが、彼すらも驚いているようだ。不安と戸惑いに、水色の瞳が激しく揺れている。いや、地面全体が激しく揺れているのだ……!


「きゃっ!」


 ルシカが揺れをこらえきれず、段を踏み外した。テロンは慌てて足を踏み出し、倒れこむ体に飛びつくように腕を伸ばした。危ないところで間に合う。


 テロンの腕のなかで、ルシカの瞳があがった。力を込めた眼差しで階段の上をじっと見つめている。その目がハッと見開かれた。


「そんな……まさか!」


 つぶやくと同時に、テロンの腕を振り解いてルシカが飛び出した。


「ルシカ!?」


 テロンは焦り、妻の名を叫んだ。急ぎ立ち上がり、まろぶような背を追って階段を駆け上がろうとする。そのとき、また激しい揺れがあった。よろめいたグリマイフロウ老の体がテロンの行く先を塞ぐ。


 よろめいたルシカはきざはしに手をつき、姿勢を低くして段を駆け上がった。何が見えているというのか、その瞳に浮かんでいた焦燥の様相は尋常ではない。


「駄目……いけない! やめなさいッ!!」


 前方に向かい、彼女が叫ぶ。――何かが居るのか、何かが起ころうとしているのか? テロンは心臓を掴まれたかのような不安を感じ、言い知れぬほど怖ろしい予感に総毛立った。


 テロンは階段を一気に駆け上がった。王宮の広間にある段のように、低く幅の広いきざはしに足を取られそうになる。だが、文句を口にする余裕もない。ルシカが段を上りきっていた。


 立ち止まった彼女は左側の壁に向けて腕を突き出した。魔導の技を行使しようとする――ところまではテロンの眼にも見て取れた。


 その一瞬後。


 ドオオオォォォォン……!


 再び凄まじい音と衝撃が、テロンの鼓膜を打ち据えた。一瞬、聴覚が飛ぶ。もうもうと巻き上がった大量の砂が吹き寄せ、せるような火薬の煙が渦を巻き、白い闇のなか完全に視界が閉ざされる。


「……ルシカ……!」


 彼女は爆発するように舞い上がった砂の真ん中に立っていたのだ。そのことに思い至ったテロンは戦慄し、つんのめるようにルシカの姿があった場所を目指して煙の中に飛び込もうとした。だが――その足元に地面がないのに気づいて、危ういところで立ち止まる。


「テロン!」


 クルーガーが追いつき、足元にぽっかりと開いた穴に驚き、彼もまた立ち止まらざるを得なかった。


「テロン、ルシカはどうしたッ?」


 周囲の状況を見て取り、クルーガーは動揺したように大声で訊いた。だが、テロンに応える余裕はなかった。


 吹き払われるように、砂と煙が完全に晴れた。左側を覆いつくし、閉ざしていた六角柱の壁とともに、地面がすっぽりと抜けている。馬車一台分が落ち込むほどの広さだ。ルシカの姿はどこにもなかった。


「……まさか……下に……」


 テロンは意識を穴と周囲に集中させたが、ルシカのものと思われる気配を探り当てることはできなかった。


 代わりに、壁に開いた穴の向こうから複数の人間の気配がした。ざわめくような声も耳に届く。壁と床が割れ崩れた場所の向こうに現れたのは、屈強そうな体躯の兵士たちであった。船上で動きやすいように作られた印象の鎧と衣服の胸に、ラムダーク王国の紋章がある。


 壁からこちらの空間をおそるおそる覗き込んでくる人間たちを目にして、クルーガーが静かに口を開いた。その口調には、ふざけたようないつもの余裕は微塵も感じられない。


「悪いが……グリマイフロウ老。これは王命だ。あの者たちを俺たちの船に導いてやってくれ。そして待機していてくれ。あとの判断は任せる。俺たちは――」


 テロンが先を続けた。この上もなく力強い輝きに青い瞳をぎらりと光らせて、きっぱりとした声音で。


「ルシカを、救う!」


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