破滅の剣 エピローグ1

 長い長い、夢を見ていた。


 父と、母と、祖父と……在りし日の王宮の庭園で遊んだ幼少の頃の記憶。


「ルシカ」


 父と母が呼んでいた。


 やわらかな陽光の中、花を見ていたルシカは父と母のもとへ駆けていった。祖父が、何かとてもわくわくする、楽しいことを教えてくれた。


「お義父とうさま、ルシカはもうすぐ三歳ですよ。でも、まだまだ魔導のつかい手には早すぎます」


 朗らかながらも困ったような、母の声。


「いやいや。こんなに賢そうな顔をしておるのじゃから。可愛らしい容姿はおまえさん似じゃが、きっと将来有望なところはわし似じゃよ」


 そう言って祖父が笑う。


「ルシカ、そなたはきっと、いつの日か魔導の概念をも超越する力を持つじゃろう」


「ふふ、ルシカ、まだ難しいわよね」


 祖父と母の笑顔。傍には、父の笑顔。


「ルシカ」


 名を呼ぶ声は、優しく、温かく、とても懐かしかった。涙があふれそうになる。


 祖父はかがみこむように目線の高さを同じにして、彼女の頭を撫でた。


 叡智を宿した灰色の瞳に浮かぶ、穏やかな光。晴れやかながらも落ち着いた微笑みとともに、この上なく優しい声が告げる。


「ルシカ、幸せに生きるのじゃよ」





 あたたかい光に包まれ、ルシカはゆっくりと目蓋をあげた。


 やわらかな陽の光の差し込む室内は明るく、記憶と夢の続きから戻ったばかりの瞳には少しばかりまぶし過ぎた。まばたきを繰り返して、ようやく周囲のものが見て取れるようになる。


 見慣れた天蓋、落ち着いた色合いの明るい室内――そこは『千年王宮』の中の、彼女の私室だった。


「ルシカ」


 名が呼ばれ、声のほうに顔を向けると、覗き込むような姿勢でテロンが立っていた。澄んだ秋空のような青い瞳に深い安堵の光を浮かべながらも心配そうな表情で、ルシカの頬に手を伸ばす。


 大きな手を頬にあてがわれ、指先でしずくぬぐわれてはじめて、ルシカは自分が涙を流していたことに気づいた。


「どこか……痛むのか?」


「あ……ううん。ずっと夢を、見ていたの。お父さんとお母さんと、おじいちゃんがいた……」


 小さな声で発せられた言葉に、テロンは逡巡するように僅かだけ瞳を揺らした。意を決したように、口を開く。


「ルシカ。君のおじいさん……ヴァンドーナ殿は」


 テロンはベッドの傍の椅子に座り直し、ゆっくりと語った。


 ヴァンドーナが浮揚島に残っていた者たちを救い出すため、そして孫娘の命をつなぎ止めるために、全魔力をけた魔法を行使したことを。ルシカが二日間の昏睡状態から目覚めた今、すでにこの現生界の存在ではなくなっていることを。


 ヴァンドーナと『万色の杖』の魔力が、生命維持の限界を超えて失われたルシカの魔力を補填し、その命を繋ぎとめたのである。祖父の想い、そして『万色』の魔導の力は、今もルシカの内にり続けている――。


 テロンの話を聞いたルシカの瞳に、熱いものが溢れた。すべらかな頬を、涙がとめどなく伝い落ちる。


「父も母も、おじいちゃんまでも……。あたし、ひとりぼっちになってしまったのね」


「それは違う、ルシカ」


 テロンは椅子から立ち上がり、ルシカの手を強く握った。揺るぎのない眼差しで、途方に暮れかけていた少女の視線を離さぬようしっかりと繋ぎとめる。


「ルシカはひとりじゃない。これからはずっと、俺が、君の傍に居る」


「テロン……」


 真っ直ぐに向けられた想いの強さに、ルシカが目をいっぱいに見開いたとき。


「入ります」


 ノックの音がして、部屋の扉が開かれた。軽い足取りで入ってきたのは、花束を携えたリーファとティアヌだった。


「バルバさんにいただいたの。とっても良い香りだから今日も持っていきなさいって」


 中庭で咲き開いた花々から顔を上げ、リーファはようやく、ルシカが目覚めていることに気づいた。


「うわぁっ。良かったぁ」


「ルシカ、大丈夫ですか? 泣いているんですか?」


 嬉しそうな笑顔で飛び跳ねるリーファと、心配そうに身を乗り出してきたティアヌに、ルシカは目をぱちくりさせた。


「ああ、ありがとう、ふたりとも」


 ふたりに向き直ったテロンが花束を受け取った。ベッドの側に置かれたテーブルには、同じ花が飾られている。


「ほら、ティアヌ」


 とんっ、とリーファが彼を肘で小突いた。


「な、なんですか、リーファ?」


「にぶいんだから、もうっ」


 リーファはふたりに一礼し、ティアヌを引きずるようにして寝室を出て行った。


 ポカンとした表情のままふたりを見送ったルシカが、ぷっと吹き出すように笑った。仲間たちの無事を知って安堵し、張り詰めていたものがようやく緩んだのである。それでもこぼれて落ちてしまう涙を自分の指先で拭いながら、ルシカはテロンに笑顔をみせた。


「リーファ、ずいぶん変わったんだね」


「うん、すごく明るくなった。ティアヌが助かってほっとしたこともあるだろうし、彼の影響でもあるんだろうな」


 テロンは腕を伸ばし、上体を起こそうとするルシカを支えた。


「そして、俺も。二年前、君に出逢って、変われたんだ」


「うん、あたしも。あなたに逢えて、本当に良かった」


 太陽のような稀有なる色彩の大きな瞳が、ゆっくりと瞬きをしながらテロンを見つめている。彼はずっと、昏睡状態のルシカの傍に付き添っていた。彼女が再び目を開いたことに、胸がしめつけられるほどの感謝といとおしさを感じた。


「ルシカ。もう二度と、君を失いたくない」


 テロンはベッドに腰を下ろした。ルシカの細い腰と肩に腕を回し、想いを篭めてしっかりと抱きしめる。


「ともに生きると、今度こそ約束してくれ」


 テロンの腕は力強く、それでいて苦しくはなかった。包み込まれるような彼の体温を感じて、ルシカは幸せの涙のひとしずくとともに、返事をした。


「……はい、テロン」


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