破滅の剣 5-37 浮揚島、復活

 クルーガーの長剣に、リーファの腕と小剣は近すぎる。少女を斬るつもりのないクルーガーは躊躇することなく自分の剣から手を放し、少女の手首を掴んで攻撃を封じようとした。


「クッ……。女性に胸に飛び込まれるのは悪くないが、危ないモンはなしで頼むぜ」


 クルーガーは軽口を叩いたが、冗談を言っている余裕はほとんどなかった。リーファは身をよじるようにして激しくもがき、隙あらば彼を突き刺さんと執拗に攻撃を続けている。


 瞳はガラス玉のような冷たさで、口は呼吸のために少し開いたまま、感情の動きは全く見られない。己の身も省みず、ただひたすらに刃先を向けて突き込んでくる。加えて、フェルマの戦士は接近戦においてかなりの手練てだれとなる。


 相手を傷つけることなく止めようとする側にとっては、この上ない強敵であった。


 嘲笑あざわらうように、ルレファンの哄笑こうしょうが響き渡る。


「ハハハハハッ。やれ、少女よ。自分の体なぞ壊れてもな!」


「……くっ……」


 リーファの手首を掴んでいるクルーガーの額に、冷たい汗が浮かぶ。彼の手を逃れようとするリーファは、滅茶苦茶に暴れ続けていた。このままでは、彼女自身の腕や背骨が折れてしまう。


「リーファ!」


 ティアヌが少女の名を叫んだ。めまぐるしく位置を変えるふたりの動きに割り込むことができずにいた彼の横を、恐るべき質量をもった獣が風を巻き起こすように轟然と通り過ぎる。


 それは刹那の出来事だった。『足止めストップフット』の効果を振り払った『闇狼王ダークウルフロード』が、揉み合うクルーガーとリーファに向けて突っ込んだのだ。


 咄嗟に少女をかばったクルーガーがまともに体当たりを喰らい、ね飛ばされた。神像のある岩壁に叩きつけられる。


 ティアヌは『気弾』を放ったが、冥獣は彼の攻撃を避けると同時に床を蹴りつけた。飛び掛かる『闇狼王ダークウルフロード』を、危ういところでかわす。掠め過ぎた獣の口惜しげな唸り声が背後から聞こえたが、ティアヌに構っている余裕はなかった。


 彼の目の前で、リーファが起き上がったのだ。神像から放たれる禍々しい赤の光に、鋭い刃先がギラリと光る。岩壁から床に落ちたまま動かないクルーガーに向け、少女は片刃の小剣を振り下ろそうとした。


 ティアヌは自分が何を叫んでいるのかもわからないまま、無我夢中でふたりの間に割り込んだ。


 そして少女に向き直り――。


 ズシャッ、という衝撃ともに、世界から音が消えた。


 腹が、燃えるようにカッと熱くなる。少女の顔が返り血で染まっていくのを、まるで夢の中の出来事のように現実感のないまま、ティアヌは呆然と眺めていた。ゆるゆると腕を伸ばし、少女の名を呼ぶ。


「リー……ファ……」


 ティアヌの指先が、少女の頬に触れた。





 闇のなか、少女は必死にあらがっていた。


 得体の知れない無数の腕を何とか振り払おうとして身をよじりながら、虚空に手を伸ばし、助けを求め続ける。今にも闇に呑まれそうになりながらも、少女は青年の名前を叫んでいた。


(ティアヌ……ティアヌ……!)


 あふれてくる涙を振り払いながら、少女は、闇へ引きずり込もうとする圧倒的な力の中であがいている。完全に呑まれてはいない――まだ魂を、存在の全てを、支配されてはいない。


 けれど、すでに危ういところまで浸食されていた。


(リーファ!)


 ティアヌは抗い続ける少女に向け、心から発する声の限りに叫んだ。少しずつ、小さな肩が……首が闇へ埋没してゆく。


(リーファ! あきらめてはいけない!)


 ティアヌの呼び声が差し伸べる手となって、少女に届いた。


(戻ってきてくれ……リーファ! 僕は君が……。そうだ、僕は君のことが……)


 ついえそうになっていたリーファの意識が、その声に気づいた。大きな琥珀色の目を見開き、声の主を探し求める。


(ティアヌ……!)


 虚空へ伸ばされていたリーファの手に、ティアヌの指先が触れ……。


 短剣の柄を握り、返り血に染まった少女の目に透明な光があふれ、静かにきらめきながらこぼれた。虚ろだった瞳に、力が戻っていく。


 やがて焦点が合ったのか、少女は唇を震わせた。


「……ティ……アヌ……?」


 ティアヌはほっと安堵し、張りつめていた何かがピン、と音を立てて切れたのを感じた。見えていたものの全てが斜めに傾ぎ、衝撃を受けたように激しくぶれる。


 それを最後に、何も感じられなくなった……。


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