破滅の剣 5-34 呪われし地へ

 ルシカは素直に頷き、手近な岩に座りこんだ。深い呼吸を数度繰り返して落ち着いたあと、胸の隠しポケットからあるものを取り出した。


「何だい、それは」


 テロンがルシカの隣に座る。ルシカは傍らの青年にもよく見えるよう、手のひらを開いてみせた。


 透明な球状のガラス容器に赤と青の液体が同量入れられ、密封されていた。そのふたつの液体は水と油のように決して混ざり合うことはないようだった。不思議なことに、二色の液体が接している面の波のような動きは容器を振っても変わることはなく、常に独自の振動で動いている。


「おじいちゃんが持っていけって、出立前に渡してくれたの。持っていればわかるからって」


 ルシカの言葉を聞き、テロンは少し笑った。


「はっきりと説明しないところが、実にヴァンドーナ殿らしい」


「そうね」


 ルシカも目を細めて笑った。そして、真面目な顔になって言葉を続ける。


「たぶん『きょく』を知るためのものだと思うの」


「きょく……?」


 聞きなれない言葉に、テロンは青い目をすがめた。


「天文学では、地軸と地表が交わる地点のことを指す言葉なんだけど、魔導では、世界が浮かんでいる揺らぎの波が最大になる瞬間のことをいうの。『きょく』が来る周期は、およそ二千年だといわれているわ」


「今から二千年前といえば、グローヴァー魔法王国が滅亡したときですか?」


 興味深げに聞き耳を立てていたティアヌが口を挟んだ。


 ルシカは頷いた。


「そう。『神の召喚サモンゴッド』が滅亡の引き金になったのではないか、というのはおじいちゃんの仮説なんだけれど、根拠はそこからきているの」


「『きょく』の瞬間が、ハーデロスを召喚することができる唯一のタイミングということなのか?」


「うん。その瞬間でないと、神界との大きな接点を作ることができないから。凄まじい影響力をもつ存在を、実体を保持させたまま次元を渡らせるんだもの。相手はその瞬間に向けて、今、準備をしているはず」


 ルシカは、不思議な液体の入ったガラス球を目の前にかざした。中の赤と青の液体の接触面は、穏やかなときの海の波のようにゆっくりと動いている。


「おじいちゃんから渡されたときよりずっと、波が小さくなっている気がする。これが完全に静止したときが『きょく』の瞬間ということね……」


 テロンたちは、ガラス球の中の液体を見つめた。球を持つルシカの手は動いていないというのに、一定の動きで揺れている。まるで正確に動く何かの生き物のようだった。激しくはなく、穏やかな動きだ。……もうすぐ動きが止まってしまうかのように。


「急いだほうがいい、か」


 クルーガーはかがめていた身を起こした。テロンも立ち上がりルシカに手を差し伸べて、起き上がるのを助ける。


 再び一行は歩きはじめた。


 ルシカの体を心配して、テロンは彼女の様子を見守っている。淡い色合いの魔法使いの旅着も、やわらかそうな金の髪も、すべらかな頬も、土や変色した血で汚れていた。唇は開かれ、息遣いは乱れている。


 ルシカは弱音を吐かないが、苦しそうなのは見て取れる。ただ、昇りたての太陽の色を宿した瞳だけは、強い輝きを失っていなかった。


 時々転びそうになるが、一行に遅れることのないように懸命に足を前へ前へと動かしていた。自分の力でできる限り頑張っている姿が、いじらしくもあり、また愛おしくもあった。


(俺の力がもっと強ければ、大切な相手を護れるのだろうか……)


 テロンは考え、すぐに首を横に振った。強大な力は周囲を犠牲にした上で成り立つことが多いことを、今までに対峙してきた敵や『ソサリアの護り手』として関わってきた事件から、彼は知りすぎるほどに知っていた。


 テロンの視線に気づいたのか、ルシカが彼に眼を向け、視線を合わせて微笑んだ。


「平気よ、心配しないで、テロン。無理だと思ったら、ちゃんと頼るから」


 約束だもんね、と、もう一度微笑み、ルシカはまた足元や前に視線を戻した。


「ああ」


 テロンはゆっくり頷いた。彼女が少しでも歩きやすい道を選びながら進んでいく。


 ティアヌはひとり、足元を見つめたまま無言で歩き続けていた。


(ルレファンに再び会って、何と言葉をかけたらよいのだろう)


 幼い頃から一緒に育ってきたルレファンは、兄弟のいないティアヌにとって兄のような存在でもあった。互いに隠し事はなく、相手のことはよくわかっているのだと無邪気に信じていた。


 なのに、ルレファンがあんなに激しい想いを、憎しみを、怒りを内に秘めていたなんて、気づきもしなかったのだ。相当にショックだった。だが――今は落ちこんでいるよりも、為さねばならないことがある。


(リーファ……無事でいるのでしょうか)


 まぶたの裏に浮かぶ、琥珀色の瞳をした少女。その輝くような笑顔を、ティアヌはまだ一度も見たことがなかった。出逢ったときから傷ついたような瞳で、泣き出しそうなのをこらえていたように思う。


 だが、時折見せる驚いたときの表情が、安堵したときの顔が、戸惑ったようにこちらを見上げる大きな瞳が……ティアヌの胸をうずかせる。このような感情を何と呼ぶのか、ティアヌにはわからなかった。


 楽しげに声をたてて笑うことすら知らない少女。まだ死ぬには早すぎる。


 彼女が無事であることを、ティアヌは祈り続けた。


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