破滅の剣 5-11 ふたりの王子

 ルシカの声で一同の緊張が崩れ、張りつめていた雰囲気が元に戻った。彼女は繰った先のページに挿んであった、一片の紙切れを指差している。


「ねぇ、クルーガー。これは何なの?」


「しおり、だな」


「うん。でも、そうじゃなくて、どうしてここに挿んであるのかしら。紙が新しい……こんな書物に物を挟みこむなんて、通常では考えられない」


「ヴァンドーナ殿は、ルシカに渡せばわかるはずだって言っていたぞ」


「おじいちゃんなら可能……か」


 ふむ、とルシカはひとつ唸って、もう一度そのページの上にかがみこんだ。彼女の虹彩にキラリと強い光が閃いたような気がして、テロンは思わず声を掛けようとした。だが、ルシカの表情がみるみる厳しいものに変わってゆくのを見て、言葉を呑む。


「……これは……!」


「どうしたのですか? 何が、何が書いてあるのです?」


 好奇心を押さえきれないのだろう、ティアヌが早口で問いかける。


 ルシカはしばらくの間、食い入るように綴られている文字をたどり、本から目を離さなかった。やがてまぶたを閉じ、深い呼吸を繰り返した。


 瞳を上げ、ルシカはゆっくりと口を開いた。


「間違いない……これはただの魔導書じゃない。『神の召喚サモンゴッド』の魔法に関する記述が載っているわ」


 目眩めまいをこらえるかのように額を手で押さえ、彼女は言葉を続けた。


「ここに書かれていたのは『無の女神』の召喚方法……。現在では行使する手段の失われた魔法であり、実行することは絶対に不可能だった……はずなのに」


「絶対に不可能……なのに?」


 先を促すように、リーファが上擦った声をあげる。「方法は幾つもある……まさにそうね」と、つぶやいたルシカは額から手を離し、オレンジ色の瞳をきっぱりと開いて皆を見回し、言った。


「今でも実行可能なものがあるの。その時期についてはまだ他でも詳しく調べなくては説明ができないけれど、本に記述があったから、必要な品については今すぐに説明できる。それこそが――」


「『赤眼の石』と『青眼の石』か!」


 リーファの言葉に、ルシカが頷いた。


「そして『虚無の指輪』……」


 眠るマウを見て、ティアヌが言葉を繋ぐ。


「もうひとつが『破滅の剣』というわけか」


 テロンは厳しい表情で言葉を締めくくった。一連の騒動の動機と目的が、これで繋がったのだ。


「わたしの村が襲撃され、ふたつの石が奪われたとき、そのエルフが言ってたんだ。次は『虚無の指輪』だと。わたしはその言葉を手掛かりに、あの村までたどり着いた」


 リーファが立ちあがって、こぶしを握りしめた。


「あいつはすでに方法を知っていたんだ! 今頃その『破滅の剣』とやらを探しに向かっているかもしれない」


「次に狙うのは古代五宝物か……連中も一筋縄ではいかないだろうが、俺たちも急いだほうがいいな」


 腕組みをして話を聞いていたクルーガーが腕をほどき、低い声で言った。


 テロンも同感だった。調べることを終えたら、すぐに出立しなくてはならないだろう。ルシカに視線を向けると、彼女もテロンを見つめていた。目が合うと大きな瞳に力を込めて頷き、彼と同じ考えであることを伝えてくる。


 書物を閉じ、ルシカが立ち上がる。


「あたし、これからこの都市の図書館に行ってくる。連中のことや、『破滅の剣』の在りかを詳しく調べてくるね。王都のおじいちゃんたちにも連絡を入れて、時期についても同時に調べてもらうつも……り……」


 ルシカの言葉が途切れ、華奢な体がふわりと倒れかけた。傍にいたテロンは驚くより先に腕を伸ばし、彼女の体を抱きとめる。


 大陸でも扱える者が数えるほどしかいない魔導の力を宿す身にしては、ルシカの体はあっけないほどに軽い。すべらかな頬は血の気を失い、僅かに呼吸を乱していた。腕や肩は肌はひやりと冷たく、やはり魔導によって自身の魔力を消費していたのだとわかる。


「無理をするな、ルシカ」


 とがめる響きを含めず、優しい口調のままテロンは彼女に告げた。ルシカは為さねばならぬことをしているだけだ。何よりも大切な彼女であったが、テロンもそのことは理解しているつもりだった。


「……うん、ごめんね、テロン」


 ルシカもまた、テロンの気持ちも想いも痛いほどに理解しているのだろう。だが、彼女を取り巻く周囲の状況は、決して待ってはくれない。今すぐに行動しなくてはならないのだ。


 テロンはルシカを抱き支える腕に力を込め、ゆっくりと立ち上がった。双子の兄であるクルーガーに向け、テロンは言った。


「俺もルシカと一緒に都立図書館まで行ってくるよ。できるだけ早く戻るから、旅に必要なものを揃えておいてくれないか」


「俺も参加するつもりだと、ばれているようだな」


 ふたりの遣り取りを黙って見つめていたクルーガーは、肩を持ち上げるようにして悪戯っぽくニヤリと微笑んだ。次いで真剣な表情に戻り、背筋を伸ばすようにして言った。


「こっちは任せておけ、テロン。……ルシカにはあまり無茶させるなよ」


「ああ。わかっているよ、兄貴」


 テロンは兄に頷いて応え、ルシカの体をしっかりと抱き支えた。ルシカのほうはティアヌとリーファに「マウのことを頼むわね」と伝え、ふたりは連れ立って部屋をあとにした。





「図書館……どのようなところなのでしょうか」


 ティアヌは残念そうにつぶやいた。気にはなったが、テロンやルシカと行動をともにできないのは雰囲気を読まずともわかっていた。


「さァて、と」


 テロンとルシカの背を見送ったあと、クルーガーが立ち上がった。部屋では脱いでいた外套マントを肩に羽織りながら、部屋に残っているままのティアヌとリーファに声をかける。


「俺は旅に必要なものを用意してくる。テロンとルシカが戻ったらすぐに出発することになるから、そのつもりでいてくれ」


「あの、よろしければお手伝いしましょうか?」


 部屋を出ようとするクルーガーの背に向けて声を掛け、ティアヌは立ち上がった。先ほどは聞くばかりだったので、買出しくらいは役に立ちたかったのだ。


「いや、たいした量ではないし。……この都市には詳しいのかい?」


「いえ、全く」


 逆に問われてしまったティアヌは、素直に首を振って答えた。


「人間族の大きな都市に滞在するのは、実はここがはじめてのようなものですし。今までは通り過ぎるばかりでしたので」


「そうか。なら、あまり出歩かないほうがいいな。ミディアルは中心から次々と新しく広がり続けている大都市だから、通りがとても複雑なんだ。はぐれると、まず迷う」


 クルーガーの言葉にティアヌはまたも残念でならなかったが、すぐに自身の方向感覚の無さを思い出し、素直に頷いた。彼らに出逢わなかったら、いまでも森で道に迷っていただろう。


「お嬢さんはどうするんだい?」


 クルーガーはリーファに訊いた。少女が黙ったまま首を横に振る。「そうか」とクルーガーは頷き、挙げた片手をひらひらと振って扉を開け、出て行った。


「大丈夫ですか? リーファ、あまり顔色がよくありませんが」


 クルーガーが部屋から出て行くのを見送ったあと、ティアヌは口数の少なくなった少女に話しかけた。リーファはちらり、とティアヌを見て、低めた声でつぶやくように言った。


「いろいろあったから、少し疲れているだけだ。ただ――」


 リーファが口ごもる。


「ただ?」


 遅くも早くもなく、丁度よい間を空けたティアヌが穏やかに訊き返す。


「ただ……父と母を思い出していた」


 リーファは目を伏せたまま、故郷であったフェルマの村のことを話しはじめた。


「――フェルマの村は、ふたつの部族に分かれていた。『赤の部族』と『青の部族』。わたしが生まれる前から長い間ずっと、互いに争っていた。いつもいさかいごとが絶えず、戦争では金で雇われて同じ部族でも互いに殺しあう。戦闘を好む民、呪われた民だと、他の余所者たちからさげすまれていることを……気にしてないわけではなかった」


 同じ力をもつ勢力がふたつあれば、どちらかが相手より上位に、優位に立とうとするものだ。もとをただせば同じ部族であったはずなのに。それを憂えてか私利私欲のためか、武力によって村を統一しようとした者もいたが、さらなる溝を増やしただけだった。


「父は赤の部族の長、母は青の部族の長だった」


 リーファの両親ふたりは愛で結ばれ、ふたつの部族を統一しようとしたのだ。それはかつてない、今まで続いてきた争いの歴史から開放される素晴らしい方法となるはずであった。


 だが、その道のりは厳しいものだった。互いの部族に結婚は認められず、ふたりの間に生まれた娘リーファもまた、命の危険にさらされるほどの抗争の渦中に叩き落されてしまったのだ。


「それでも、父と母は諦めなかった。ようやく、何年も何年も続けてきた父と母の説得が報われ、ふたつの部族を平和的に結びつける希望が……見えたところだった」


 村では、ふたつの部族の話し合いが行われていた。その間、リーファの身は万一の決裂に備え、父と母によって森の中に隠されていた。だからひとり助かったのである。


 強襲に、何の前触れもなかった。突然現れたエルフ族の男と黒装束の男たちが……全てを残虐に踏みにじり、消し去ってしまった。罵倒の飛び交っていた会話がようやっと穏やかな話し声に変わり、ぴりぴりとしていた雰囲気が緩んだタイミングだった……。


 リーファは隠れていた場所から、村が血に染まるのを見ているしかなかった。「決して出てくるな、何があっても」、それが父と母との約束だった。


 悲鳴を押し殺し、震える手で口をきつく押さえ続けた。全身を震わせ涙を流しながらも、彼女は父親と母親と交わした約束を守り通したのだ。


「連中が去り、隠れていた場所から這い出してみると……全てが無残な光景となって目の前に広がっていた」


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