絆 4-7 決着

 夕刻、テロンとクレシュナのふたりは漁村マイナムの外れにある自宅へ帰り着いた。小屋の戸口の前にはゾウムが立っている。


「おじいちゃん!」


 クレシュナは声を上げて駆け寄った。その後にテロンも続く。


「クレシュナ! 何処へ行っておったんじゃ。心配したぞ」


 落ち着かなげにうろうろと動き回っていたゾウムは、孫娘の姿を見てとりあえずはホッとしたようだ。


「海が時化しけてきたので、早めに漁を切り上げて帰ってきたら――」


「それよりおじいちゃん、像って何のことなの?」


 クレシュナは緊張した面持ちのまま、祖父に詰め寄った。家に帰り着くまで、尾行を気にしてずっと怖いを思いをし続けていたのだ。黒装束の男たちの様子からいって、あの程度であきらめるとは思えなかったのである。


 「像」と聞いた祖父の肩がビクリと反応したのを、孫娘は見逃さなかった。


「知っているのね」


「おまえ……どこでそれを?」


 ゾウムは震える声で訊いた。


「ロスタフよ……ごめんなさい。黙って出掛けてしまって」


「奴らに見つかったのか? しかし、どうして奴らがおまえのことを知ったんだ……?」


 ゾウムの瞳には、明らかに動揺と恐怖のいろがあった。祖父のそんな様子を見て、クレシュナは不安に駆られて早口で問うた。


「奴らって、何者? 像って何なの? おじいちゃんが持っているの?」


「わ、わしは……」


「シッ、静かに」


 黙って遣り取りを聞いていたテロンが、ふたりを制した。林が深く生い茂っているほうへ鋭い視線を向ける。まるで張り詰めた弦が切れる寸前のような殺気を感じたのだ。暗殺に長けたもののようだが、怒りのあまりか気配を隠しきれていない。


「誰か居る。すさまじい殺気だ……ふたりとも家の中に入るんだ。早く!」


「えっ!?」


 ゾウムとクレシュナが驚きの声をあげると同時に、暗い木々の陰から抑揚の抑えられた声がかかった。


「ほう、さすがだな」


 夜目の利くテロンにも判別しづらい、闇そのものを纏ったような黒い装束がひとり現れた。だが、声と気配ではっきりと判別できる。


「昼間、我々を襲ってきた者たちだな。何の用だ?」


「何の用だ……だと?」


 男の背後の闇から、さらに六つの黒い人影が歩み出てきた。


「この俺たちに、何の用か、とな。決まっているだろう。その後ろのふたりには、像のありかと――」


 燃えるような憎しみに満ちた目で、先頭に立つ男がテロンを睨みつけた。


「貴様に殺された兄者の、仇を討つためだ!」


「殺……された……? 俺が殺しただって?」


 自分の知らない事実を突きつけられ、テロンが半ば呆然とつぶやく。


「とぼけるな! 貴様と兄者が海に落ちたとき、兄者の死体だけが見つかった。貴様のことだ。どうせ何処かで無事にのうのうと生きているんだろうと。生きているなら……俺の手で貴様を地獄へ叩き落してやる……!」


 男の全身から、凄まじいまでの殺気が放たれた。


「俺の名はギルドラース。『黒の教団』の偉大なる指導者ダームザルトの弟だ。もうロスタフでのようには行かぬぞッ!」


 男がそう言い放つと同時に、後方の六人のうち四人が短剣を手に突っ込んできた。


「ふたりとも逃げろ!」


 テロンはそう叫んで身構えた。


 後方を振り返る余裕などありはしない。黒装束の男たち四人の動きは、まるで疾風だった。同時に繰り出された三人目までの攻撃は何とかかわした。だが、四人目の攻撃はかわしきれなかった。


 浅くではあったが脇腹を切り裂かれる。焼け付くような痛みとともに自分の血が地面に散るのをテロンは見た。


「ぐっ!」


 テロンはそのまま地面を蹴るようにして低く回転し、後方へ素早く跳び退すさった。短剣に何か塗ってあるようだ……!


「テロン!」


 クレシュナの悲鳴が耳に届く。視線を巡らせると、小屋の前に立ち尽くしたままのふたりの姿があった。ゾウムは目を見開いたまま、硬直したように動かない。


「早く逃げろ、ふたりとも! ここは何とか食い止める」


 テロンは厳しい表情で叫んだ。


 その言葉に、クレシュナとゾウムはじりじりと後退した。自分たちがこの戦いに加わることはおろか、手助けにもならないことは歴然としている。ならばせめて――。


「……た、助けを……」


 ふたりは助力を求めるべく、自警団のいる村の中心を目指して駆け出した。


 そのふたりを逃すまいと四人のうちのひとりが動いたのを、テロンは足払いをかけてつんのめらせた。


「貴様ァ!!」


 地面に転がった男が、そのままの姿勢で短剣を大きく振るう。それは続く三人の攻撃に気を取られていたテロンの左腿にざっくりと食いこんだ。


 たまらずテロンは苦痛の声を上げて地面に転がり、そのまま数度転がってその場から離れ、片膝をついて起き上がった。左腿を押さえる手の指の間から、真っ赤な血があふれ出ている。


「ここでひるんだら、やられる」


 テロンは気を集中させた。


 半ば目を閉じて力を抜いたその様子に、もはやあきらめたかと判断したらしい四人の男たちが、短剣を構えてテロンに一斉に飛びかかった。


 その瞬間。


 ゥゴウッ!! テロンの全身が炎に包まれた。男たちにはそう見えた。


 全身から陽炎のように金色の光が立ちのぼっている。『聖光気せいこうき』と呼ばれる技だ。発散された気の衝撃で、空中にあった四人の男たちがそれぞれの後方に跳ね飛ばされる。


 そのうちのひとりは頭部から木の幹に突っ込んで失神した。残る三人はふいを突かれて地面に投げ出され、脱臼などかなりの痛手を負ったようだ。


「もう良い。おまえたちは先ほどのじじいと娘を追え」


 ギルドラースは起き上がった三人の男たちに命令した。


 その三人は怒りと悔しさのこもった目でテロンを睨みつけると、ゾウムとクレシュナの逃げた方向へ、まるで夜闇の獣のような身のこなしで駆けていった。


「ま、待て!」


 テロンは立ち上がり、追おうと一歩踏み出した。


 瞬間、音が消失した。すぐ横で爆発が起こり、爆風で真横に吹き払われたのだ。一瞬聴覚が跳んだが、鼓膜は破れなかったらしく、痺れたような強い痛みとともに周囲の音が戻る。


 右半身が、高熱を伴った爆風で焼けている。ギルドラースが『火球ファイアボール』を放ったのだ。


「くっ……魔術師か!」


「こちらのことを忘れてもらっちゃあ、困る。貴様の相手はこの俺なのだ……!」


 ギルドラースは僅かに身をかがめ、再び魔術の詠唱をはじめた。


 その精神集中を断ち切ろうと、テロンはギルドラースに突っ込んだ。痛みをこらえ地面を蹴る。十歩ほどの距離だ――魔法の発動より先行できるはずだった。


 だが――。


 テロンの体を電撃が襲う。全身が筋違えを起こしたかのような凄まじい痛み。ギルドラースの後方に影のように立っていた残りふたりのうちの片方の魔法だ。残るひとりも一瞬遅れて『氷剣アイスダガー』を放ってきた。


「ぐわああッ!」


 連続的に属性の違う魔法を身に受け、テロンは堪らず膝をついた。いくら強靭きょうじんに鍛えられた肉体であっても、身に纏っている『聖光気せいこうき』がなかったら、すでに絶命している。体の内部もやられたらしく、口から鮮血が吐き出された。


 テロンは顔をあげ、ギルドラースを睨みつけた。


「何故こんなことを。おまえたちは一体……何者なんだ!」


 顔を歪めたギルドラースの手の中で、魔法で具現化された炎が膨れあがった。


「まだしらばっくれるか……。ただでは殺さん、もがき苦しんで死ね!!」


 ギルドラースはテロンに向けて真紅の炎を放った。





 クレシュナとゾウムは暗い林の中を駆け続けていた。この林を抜ければマイナムの村に着く――教会と自警団のいる村の中心だ。ふたりは木の根や蔓草に足をとられながらも、必死に走り続けた。


 後方から立て続けに爆音が聞こえた。クレシュナの足が思わず緩む。


「テロン……あぁ、どうしよう、おじいちゃん。まさか……」


 取り乱した様子で、クレシュナが立ち止まる。


「わたし……戻るっ!」


 身をひるがえそうとしたクレシュナの腕を、ゾウムが慌てて掴んだ。


「戻ってどうするんじゃクレシュナ、待て!」


「だって、おじいちゃん。わたし――」


 涙を浮かべるクレシュナに、ゾウムが口を開きかけた、そのとき。


「こんなところにいたか」


 声を掛けられて初めて、ふたりは背後に立っている黒装束の男たちに気づいた。気配すら感じなかったのだ。そして、この男たちがここにいるということは――。


「……て、テロンは?」


 クレシュナの震える声を聞き、ひとりが嘲笑うように答えた。


「ふん、あいつか。まだ生きちゃあいたが、そろそろ手か足の二本くらい、無くなってんじゃねぇか?」


 男たちはクックックッと押し殺した笑い声を漏らした。それを聞いたクレシュナの顔が、夜目にもみるみる蒼白になる。


「テロン!」


 ダッとばかりに駆け出した。しかし、「おっと」と男のひとりが手を伸ばし、腕をねじるように掴んで彼女の動きを封じた。


「テロン、か。やけに気安く呼んでいるな。――にしても、どうして王子がこんなところにいるのかねぇ。俺たちの報復を恐れてコソコソ隠れていやがったのか?」


 下卑げびた笑い声をあげる男に、痛みに悲鳴をあげることも忘れ、クレシュナはショックのあまり凍りついた。


「お……おうじ、王子ですって?」


 クレシュナのかすれた声は、笑い続ける男たちの耳には入らないようだった。


「さてと。そんなことより大事な用があるんだったな……」


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